sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

家康ゆかりの地

1568年に”井伊三人衆”の案内により侵攻した徳川軍に攻められ落城した『刑部城跡』

今回の徳川家康ゆかりの城は、堀川城と同様三河の家康が遠江に侵攻してくる徳川に備えて、今川方の豪族たちが築いたお城『刑部城』です。 刑部城には悲しい姫様の悲話も残されているということで、興味津々で調べてみました。

1200年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』は家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地

今回の家康ゆかりの地は、三ヶ日みかんでよく知られる三ヶ日にある1200年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』です。家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地であり、寺内に多数の文化財があることもご参拝の楽しみです。

『護法山地蔵院』には築山御前が生前携えていたとされる秘伝『腹籠地蔵尊』が祀られている

ドラマですから、松潤と一緒に架純ちゃんも大往生しても良いのでは?とも思うのですが!今回は築山御前が生前肌見離さず携えていたとされる秘伝「腹籠(はらごもり)地蔵尊」が本堂の位牌堂に祀られている『護法山地蔵院』です。

天浜線の『松潤ラッピング列車』が『どうして!?信康』駅(天竜二俣駅)に停まってた!

天浜線の『松潤ラッピング列車』をご存知ですか?しかも、天竜浜名湖鉄道の[天竜二俣駅]には、3月20日から副駅名(愛称)として『どうして!?信康』の看板がホームに誕生したのです。その二俣には苦笑いするほどチャーミングなお顔の『信康くん』もいます。

戦国時代の悲劇”21歳の若さで切腹した信康”を供養するため家康が建立した『清瀧寺』

天竜二俣で今も愛され続けている武将、家康公の長男でありながら21歳の若さで切腹した信康公が祀られている『清瀧寺』について調べていきます。さらに、家康は、どうして実の息子の信康に自害を命じなければならなかったのでしょうか?その理由についても調…

浜松市天竜区にある徳川氏と武田氏が攻防を繰り返した二俣城址と鳥羽山城址

家康が遠江に持っていた城は数多くあります。特に浜松城の支城として知られるのが二俣城と鳥羽山城です。武田信玄との間に2度、3度と大きな戦いが行われた城になります。長男の信康を供養するために、信康の廟所として家康公によって建立されたのが清龍寺で…

薙刀を片手に家康と懸命に戦うも命を落としたお田鶴の方がお祀りされている『椿姫観音』

三河から遠江に侵攻を始めた家康は、夫亡き後代わりに守っていた引間城主今川家臣・飯尾連龍の正室お田鶴の方に開城を求めます。が、今川方への深い忠心から要求を撥ね付けたお田鶴の方は、馬上で薙刀を片手に家康と懸命に戦うものの、命を落とします。

釣鐘には”源家康”の銘文あり「身代わり地蔵」としてよく知られる宣光寺

旧東海道にあり地蔵小路の奥に鎮座する『珠玉山宣光寺(しゅぎょくさんせんこうじ)』は寺伝によると1596年(慶長元年)の開創。豊川稲荷として知られる「妙嚴寺(みょうごんじ)」の25世太淵龍堂和尚によって開山された曹洞宗のお寺です。宣光寺は遠州三十…

家康が初めて手掛けた磐田見付の『城之崎城』ところが幻の城に!どうしたらええんじゃ~

城之崎城跡は現在形を変え、城山球場や城山中学校となっていますから、その遺構は多くはありませんが、土塁は球場のスタンドで、横堀の一部は球場東側で見ることができます。幻の城となってしまったおかげで浜松城が築かれこうして暮らせることに感謝です。

万葉の森公園で見頃のミツマタ、紙の原料として現れる最初の文献は家康の黒印状!

甘い香りの『ミツマタ』をご存知でしょうか?紙漉きの原料になるとか。ミツマタが紙の原料として現れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の1598年(慶長3年)に、伊豆修善寺にいた製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状なんですぞ!

地元で井伊谷宮といえば「節分」南北朝時代に活躍した宗良親王をお祀りしていることも忘れないで!

今回は、地元民として節分には福豆や福餅、お菓子などを拾うために訪れていた『井伊谷宮』を改めて調べてみました。ただただ『節分』を楽しむだけに井伊谷宮を訪れていた自分が情けないです。

春はしだれ梅が咲き乱れ、かつて家康が本陣をおいた龍尾神社や『松ヶ岡』(旧山崎家住宅)

2月下旬~3月上旬に見頃を迎えるしだれ梅、掛川で名所として知られる『龍尾神社』の花庭園を訪ねてみました。龍尾山は城の攻守の要であり、かの天王山の戦では、徳川家康公が本陣をおいた場所としても知られています。

遠江 家康公ゆかりの食べ物 『忍冬酒』と『浜納豆』は共に健康に良さそう

ドラマ館でシニア向けの家康ゆかりの食べ物2点をGETしてきました。1つ目は、健康オタクの家康が薬酒として食後や寝る前に飲んでいたという『忍冬酒』。2つ目はこの納豆を好んだ家康が献上が遅れた年に「浜名の納豆はまだ来ぬか」と言ったとされ、後に『浜納…

『萬松山龍潭寺』は徳川幕府を支えた井伊家歴代当主の菩提寺でお庭も有名

今回訪ねる『萬松山龍潭寺』は、徳川幕府を支えた井伊家歴代当主の菩提寺です。現在放送中の大河ドラマ『どうする家康』では、板垣李光人さんが演じる24代井伊直政公の墓地も境内にあります。

『堀川城の戦い』では城兵約千人、『獄門畷』で女子供を含む約700人の首を討った家康

現在都田川沿いの田園の中にある『堀川城跡』は、家康が堀川城を徹底的に攻め、立て籠もった城兵や領民を全滅させた城跡です。落城後も敗戦兵を探し出し処罰し、その後も近隣に居住していた反徳川の住民を捕らえ、その捕虜の首を都田川の土手に並べたという…

家康が箱根や新居の関所とともに、東海道の三大関所の一つとして設けたと伝わる『気賀関所』

今回は、徳川家康が箱根や新居の関所とともに、東海道の三大関所の一つとして設けたと伝わる『気賀関所』を詳しく解説していきます。のんびりと散策するのにぴったりな気賀のまちを一度訪ねてみては?

松尾神社で家康公ゆかりのお宝が見つかった!?それはなんと錆びた刀だった!

2023年新年が明けてまもなくのこと、NHKローカル番組で、「松尾神社で家康公ゆかりのお宝が見つかった!?それはなんと錆びた刀だった」という衝撃的な事実を知りました。このお宝の刀は、しっかりと神社の聖なる領域「神域」に祀られていた。なんとボロボロの…

家康だって残忍なこともしまっせ!佐鳴湖畔にある『龍雲寺』のお庭がすごい!

今回の『徳川家康ゆかりの地 浜松』でご紹介するのは、家康だって残忍なこともしまっせ!というテーマに伴った、佐鳴湖のすぐ近くにある『龍雲寺』。「三方原の戦い」の時武田側の味方をしたばっかりに、家康公に攻められ、御本尊と山門以外を焼失することに…

家康公ゆかりの地浜松のパワースポット『浜松元城町東照宮(引馬城跡)』

みなさんは浜松城天守閣や市観光インフォメーションセンター、各区役所などでいただける『家康公ゆかりの地 出世の街浜松 家康の散歩道』という冊子を御存知でしょうか?家康公のゆかりの地を巡ってみたいと考えている方には絶対に役に立つと思われます。

今川領の遠江へ侵攻を始める途中家康は「奥山方広寺」に立ち寄った!

今回の家康ゆかりの地は、東海地方を代表する禅寺としても有名な『奥山方広寺』です。さて、徳川家康との関係は?といいますと、遠江へ侵攻の途中で井伊の三人衆(菅沼忠久、近藤康用、鈴木成時)に道案内をさせ、こちらの方広寺に立ち寄ったと伝えられてい…

その名の由来は「ただ勝つのみ」なのかしら?本多忠勝ってどんな武将なの?

今回は「忠義一徹、信念の勇将」といわれ、徳川四天王の一人として誰もが知る『本多忠勝』のお生まれから、お亡くなりになるまでを色々と調べていきたいと思います。本多忠勝像がある場所も調べましたよ。

金色の狛狐が出迎えてくれる家康公ゆかりのお稲荷さん『遠江分器稲荷神社』

今回は浜松市中区田町の住宅地にあるお稲荷さん『遠江分器稲荷神社』を訪ねてみました。もちろんこちらも家康公とのゆかりのある神社です。何よりも興味深かったのは、あの『蜻蛉切』で有名な徳川四天王の一人本多忠勝の屋敷があったと推定される場所が神社…

『井伊の赤備え』発祥の地として知られる『浜松秋葉神社』の御朱印はお菓子つき!?

『浜松秋葉神社』はJR浜松駅からも徒歩約22分ですし、浜松城からも約10分とちょっとしたウォーキング気分で出かけられます。途中の登り坂には『浜松城』を眺める絶景ポイントもあります。ドラマ館へお出かけの際に立ち寄ってみてはいかがでしょう。

日本初の本格木造天守閣でその美しさから「東海の名城」とうたわれる掛川城

駿河(静岡県東部)・遠江(静岡県西部)・三河(愛知県西部)を治めていた今川義元が、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られると、これらの地域は徳川氏と武田氏の激しい戦いの場となり、さまざまな城が築かれました。今回は山内一豊が天…

600年の歴史を刻む名刹 禅寺「可睡斎」は家康公との故事により名付けられた?

まさに遠州地方の紅葉の盛りとも思われる12月中旬に、赤や黄色に染まる木々の間から、歴史ある建物を思う存分に楽しむことができる「可睡斎」を訪ねました。「可睡斎」の名は、故事から家康公が名付け親ともいえ、600年の歴史を刻む曹洞宗専門僧堂「禅の寺」…

家康公は、徳川家ゆかりの長光山妙恩寺を2回も訪れているんですって

年末らしく寒くなってきた今回の家康公ゆかりの浜松は、家康公が2回も訪ねている浜松市東区天龍川町の『長光山妙恩寺』です。浜松市民にとっては、あの「丸に二引き」の寺紋の伝承のお寺と言ったほうがわかるかも!?

家康公、秀吉公、井伊直政公とも関わりのある『頭陀寺』は浜松有数のパワースポット

今回私が訪ねた「家康公ゆかりの地」は、『頭陀寺のお薬師様』と親しまれる浜松市最古のお寺です。なんて読むの?と思われましたか?これで”ずだじ”と呼びます。なんと、徳川家康公、豊臣秀吉公、井伊直政公とも関わりのあるお寺で、浜松では有数のパワース…

家康の側室 阿茶局 が預けられ、家康もたびたび訪れた浜松の『鈴木家』って?

今回は、正室2人、側室は19人にも及んだといわれる家康公、その晩年を支えたといわれる「阿茶局」、さらに阿茶局が預けられていたという、浜松市東区の『旧鈴木家屋敷』についていろいろと調べてみました。

『七五三』で賑わう五社神社・諏訪神社は家康公とゆかりの深い神社です

今回は、家康公ゆかりの地 出世の街浜松『家康の散歩道』というパンフレットに掲載されている《浜松城下ルート》から、初詣や七五三で賑わう「五社神社」を訪ねてみました。浜松市中区利町(とぎまち)浜松駅から徒歩およそ10分の場所にあり、市民からは「五…

長篠城跡を訪ねて戦国時代最強といわれた武田の滅びを感じてみては?

今回は、戦国時代の流れを大きく変えたといえる大きな戦い『長篠・設楽原の戦い』が行われた『長篠城跡』。さらに「長篠攻防」と「設楽原の決戦」の資料が残されている『長篠城址史跡保存館』を、紅葉のピークの時期に訪ねてみました。