🕖2020/04/01 🔄2021/11/29
こんにちは、sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
春と秋のお彼岸には「お鴨江まいり」に出かけるのが、ここ数年のお彼岸の過ごし方の定番になっています。
なぜなら、お彼岸といえば「お鴨江まいり」というのが、アラカンの居住地遠州浜松では当たり前だから。
そもそも、お彼岸ってなんでしょう?なぜ遠州のお彼岸は「お鴨江参り」なのか由来を調べていきます。今回は、さらに鴨江寺についても詳しく説明したいと思います。
お彼岸の意味とは?
お彼岸といえばお盆と同じように「お墓参りをする」というイメージを持っている方が多いのではないでしょうか?
でも、「お彼岸って何?」って聞かれると困ってしまいませんか?
お彼岸は春と秋で年に2回あることくらいはどうにか知っていると思われますが、はっきりとはわからないというのが正直なところ。
「春のお彼岸」とは、3月の春分の日をお中日(おちゅうにち)として前後3日間の計7日間を指し、最初の日は彼岸の入り、最終日は彼岸の明けと呼ばれています。
「秋のお彼岸」は、9月の秋分の日をお中日として前後3日間の計7日間を期間のことです。今の時代、このことだけでも知っているのはご年配の方だけかもしれません。
春分の日と秋分の日は国民の祝日ですが、毎年ちがう日なのは気づいていらっしゃいますか?
なぜちがうかと言いますと、国立天文台がその前年の2月に官報で公表して翌年の日程が定められているからのようです。
この日付は、国立天文台が作っている歴象年表から天文学的な春分日と秋分日を割り出しているそうで、ふむふむなるほど素人は知る余地もないということになります。
【彼岸という言葉】
《彼岸という言葉はもともと仏教の言葉で、意味は煩悩を脱した悟りの境地のことを指します》
ちょっと何をいっているのかわかりません(笑)よね。
まず「煩悩」とは、心身にまとわりつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望、すなわち悟りの境地を妨げるあらゆる精神作用のことで、その数は除夜の鐘を突く回数の108個と言われています。
三途の川をはさんで、わたしたちが住んでいる世界が此岸、向こう側の仏様の世界を彼岸といい、つまり「お彼岸」とは、わたしたち人間の迷いや苦しみの原因となる煩悩のない、悟りの境地に達した世界「極楽浄土」のことです。
「お彼岸」という言葉には、もうひとつ数々の煩悩に打ち勝ち、悟りの境地に達することができるように、仏道の修行を積む期間という意味合いもあるとのこと。
春分の日と秋分の日のお中日は、太陽が真東から上がり真西へ沈むことはご存知でしょうか?
なので、このお中日に沈む太陽を拝むことは、西にある極楽浄土に向かって拝むことになると言われているんです。
ですが、今の時代「お彼岸」という言葉は、仏道の修行を積む期間とか言うよりもこの期間に行われる彼岸会の法要やお墓参りのことを言っている気がします。
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【お彼岸という言葉の由来】
彼岸という言葉は、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳「到彼岸」を略した言葉であると言われています。
お坊さんがお経の中で♪パーラーミーター♪って感じのことを言ってるのを聞いた記憶があります。
これは、有名な仏教の経典の一つである般若心経にも「般若波羅蜜多」という部分があり、この「波羅蜜多」が「パーラミター」って聞こえるんだと思っていますがどうでしょう?
「波羅蜜多」とは、悟りの境地に達すること、そのために積むべき修行という意味を持っています。
サンスクリット語の「パーラミター」とは本来は完成する、成就するといった意味がある言葉。
その完成するといった意味が転じて、仏道の様々な修行において達成されるべきものであるという意味合いになっていったとのことです。
わたしたちの世界に溢れる煩悩や苦しみ、欲望といったものから逃れ、自由になるために悟りの境地に達することが、仏教における「パーラミター」だそうです。
この「パーラミター」の思想が、日本人古来の風習や自然観、ご先祖様を崇拝するという習慣と結びついていき、「此岸」というわたしたちの住む世界を表す言葉と、「彼岸」という仏様の世界、つまり悟りの境地に達した世界を表す言葉が生まれたとのこと。
なのに「お彼岸」という期間は、仏教の影響を受けているのに他の仏教国では設けられていないのです。ご先祖様を供養するという風習も日本独自のものというなんとも不思議な感じです。
「お鴨江さん」でも、この期間に彼岸会の法要を行っていますが、日本中の寺院の多くがこ彼岸会の法要をしています。
宗派は問わず、檀家同士で集まりご先祖様を供養してお墓参りをする。という日本古来のお彼岸の風習が現在まで続いている証拠ですよね。
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ところで、お彼岸にはどうして墓参りをするかご存知ですか?本来の意味なんて皆目見当もつきませんが、いったいどうしてでしょう?
お彼岸にお墓参りをするようになった理由は?
お彼岸といえば、お墓参りをする日とただただ思っている人も多いのでは?
ここ2年はちょっと以前のように帰省や里帰りもできない状態ですが、例年ならお彼岸の時期はお盆と同じようにふる里でお墓参りという人が多いはずです。
先ほども説明したとおり「お彼岸」にお墓参りをするという習慣は、日本独自のもので他の仏教国にはない風習です。
この「お彼岸」に墓参りという風習は、平安時代の中頃からの「彼岸会の法要」が始まりのようで今も「お彼岸」の期間には、宗派関係なく各寺院で彼岸会の法要が行われています。
彼岸会の法要は、仏教の宗派のひとつである浄土教(浄土思想)の影響を強く受けていると言われ、その浄土教の信仰では、極楽浄土ははるか西のかなたにあると考えられていました。
なので、太陽が真東からのぼって真西に沈んでいく、春分の日と秋分の日はわたしたちの世界である「此岸」と、仏様の世界である「彼岸」が、最も近く通じやすくなる日と考えられるようになったんです。
そんな考えから、春分の日と秋分の日にご先祖様の供養の法要やお墓参りを行えば、ご先祖様だけでなく自分自身も西のかなたの極楽浄土へ行けそうだし、ご先祖様への思いも通じやすくなるのではないかと考えられ、「お彼岸」にはご先祖様の供養のためお墓参りをするようになっていき、今も続いているということのようです。
ただ、一説にはそもそも仏教が伝わる以前から、日本にはご先祖様や自然を崇拝する風習があり、その「日願」が仏教の彼岸と結びついたとも言われています。
「お彼岸」にご先祖さまの供養をするため彼岸会や墓参りの風習があることはわかりました。では、この遠州浜松でお彼岸といえば「お鴨江まいり」と言われるのはなぜでしょう?
お彼岸といえば遠州浜松では「お鴨江まいり」っていうけどなぜ?
なぜ「お彼岸といえば遠州浜松では、お鴨江まいり」というのが当たり前なのかと言いますと、昔から浜松では「死ねば霊は鴨江寺にいく」と言われています。
ですから、死んだ人の霊をなぐさめるためには鴨江寺に出かけるしかないわけで、お彼岸には「鴨江まいり」をするという強いならわしのせいか、市民にとってはあまりにも当たり前のこと過ぎて説明がなかなかむずかしいです。
お鴨江さんのパンフレットによると以下のように書かれています。
「死ねばお鴨江に行く」初仏新仏のための初彼岸まいり、亡き父母、亡き親しい人のために孝行まいり、先祖供養、亡き水子の水子供養、鳥獣生類一切のためのペット供養などに心を込めて観音様・お地蔵様にお詣りすることが、春秋「お鴨江まいり」の意味です。
ここからは、お彼岸に古くからある「おかもえさん」と呼ばれ、浜松市民から親しまれている鴨江寺のお話です。
お彼岸といえば遠州浜松では「お鴨江まいり」
「お鴨江まいり」に出かけるお寺さんは「お鴨江さん」と親しまれている「遠州高野山・別格本山鴨江寺 鴨江観音」です。
「お鴨江のお彼岸さま」とは?
「お鴨江のお彼岸さま」とは?ズバリ鴨江寺の春・秋の彼岸会のことをいいます。
昭和のはじめごろ、鴨江寺は遠州地域で「おかもえ」と呼ばれ春の彼岸のお中日(2021は3月20日)には、境内も参拝客で大賑わいとなっていたそうです。
境内にはサーカスや見世物小屋が開設されたり、境内周辺の道路にも「瀬戸物市」や「植木市」、「玩具」や「飲食物を販売する屋台」が立ち並んでいたようです。
浜松では「死ねば霊は鴨江寺にいく」と言われ、死んだ霊をなぐさめるため、お彼岸に「鴨江まいり」をするならわしがあったため、今でもたくさんの浜松市民は「鴨江まいり」にでかけます。
参照元:鴨江寺 - Wikipedia
<お鴨江さん>
今もとても立派な観音堂で聖観音菩薩、善光寺如来、聖徳太子が祀られています。中世には大変な勢力を誇り、今の根上り松あたりが境内だったようです。
浜松駅からも近く、住宅地の一角にあるので歩いて15分ほどのお散歩ついでのお参りもありです。車社会の浜松なので駐車場もたくさんあるので安心です。
特に初詣、お彼岸、お盆などは大勢の人でにぎわいます。「鴨江のお彼岸さま」と親しまれているお彼岸の境内には、お好み焼きやたこ焼きの露店が並びお祭りみたいな賑わいを見せます。
ただ、昨年の春のお彼岸はコロナウイルスの感染拡大防止のための「不要不急の外出を控えるように」という時期にあたったので、例年のお彼岸に比べるとだいぶ寂しい感じでしたが、今年(2021年)の春のお彼岸はだいぶ人出も多く露天もにぎやかでしたよ。
<お鴨江まいりの由来>
約千三百年前、行基菩薩さまが来られたときに鴨江の泉をみつけ、それ以来遠州(浜松)地域の亡くなった精霊は「鴨江観」音に集まるといわれています。
今の水向け地蔵尊前の井戸がその泉のようです。お鴨江さんは真言宗の寺院で平安時代の創建です。
<春のお彼岸>
初仏新仏のための初彼岸まいり・ご先祖供養・水子供養・無縁仏・ペット供養など、各種供養法会がとりおこなわれます。
お彼岸の期間は、鴨江観音各所でご供養がおこなわれ、お中日には千体地蔵尊開眼法要もおこなわれます。
最終日には住職によるお焚きあげ法要がおこなわれます。3月23日15時までに供養する物(位牌・塔婆・人形・仏像・写真・その他)を持っていけば、ご供養のあと、お焚きあげをしてくれます。
<秋のお彼岸>
もちろん秋のお彼岸もいろいろな供養が行われ、たくさんの人々で賑わいます。初仏新仏のための初彼岸まいり・ご先祖供養・水子供養・無縁仏・ペット供養・人形供養等が行われます。
※当日参拝に来られない方は郵便・メール・FAXでも受けつけてくれるようです。
住所、氏名、戒名、電話、供養料、当日参拝の有無を記入の上お送り下さい。
私がお願いしたのは『尺塔婆供養:3,000円』の最安値コース(ご先祖様怒るかな?)です。
遠州高野山 別格本山 遠州総供養寺 鴨江寺 鴨江観音
では、マスク着用で少人数で仁王門をくぐりさっそくお参りしていきます。
[仁王門]
まずは朱色の映える大きな仁王門から入ります。山門で「お鴨江まいり」される方は受付を済ませます。
受付では、申込書に戒名(なければ俗名ども良い)を記入して代金を支払い「お塔婆」をもらいます。
[弁天堂]
木々に囲まれた池の中の小島に立っているのが弁天堂です。遠州七福神の弁財天がお祀りされています。
[成田山不動産]
石畳の左側に立つのが成田山不動堂。不動明王が祀られ成田山のお祓いやご祈祷はここで行われます。
[八角堂]
ここで塔婆供養をしてもらいます(約3分くらい)。先ほど受付でいただいた塔婆を出して供養してもらい終わったらまた塔婆をいただきます。
[水向け地蔵尊と阿伽井戸]
鴨江寺因縁の阿伽井戸でお浄水を汲み、水向け地蔵尊や塔婆へ手向け水向け供養をおこないます。
お浄水を手向けることは、お地蔵様・亡き人の供養となり、また自分の心を清浄にし、身を清めることにもなる。というのが水向けの意味だそうで、お鴨江さんへご参詣される方は必ずお浄水を手向けています。
お浄水を手向ける時に混雑していると、長い柄杓のため絡み合ってしまうのでちょっと緊張します。
先ほど八角堂で供養していただいた塔婆はここで納めてしまいます。
[観音堂]
本尊の聖観音菩薩、善光寺如来、聖徳太子が祀られている本堂も朱色の立派な建物です。
本堂前の礼拝堂へ20円で買ったお線香を供えてからお参りしました。
その後、本堂で彼岸供養をしてもらいます。(約5分くらい)
僧侶が多分お経?をあげてくれ、その後ありがたいお話もしてくれます。
今回のありがたいお話は「忙しい日々の中で毎日健康に暮らしていけるのは、ご先祖様あってのことです。忙しい時に思い出せとか、毎日仏壇に手を合わせてくださいとは言いません。
春と秋のお彼岸くらいはお寺さんに出かけて心穏やかにご先祖様に思いを馳せながらお参りされるのも良いものですよ。」みたいなお話でした。
確かに毎年2回ですが、ジーンと静まり返った本堂で線香の香りに包まれお経を聞いていると亡き両親や祖父母のことを思い出します。
ただ思い出すだけですが、なんとなく心が清らかになる気がします。あくまで気がするだけですが・・・。
[弘法大師堂]
真言宗の宗祖・弘法大師が祀られています。
家内安全・交通安全・無病息災・諸願成就をお祈りすると良いようです。
[鐘撞堂]
階段を上がると鐘つき堂があります。大晦日は「除夜の鐘」をつく人で賑わっています。
鐘つきを希望すると予約制でこの鐘をつくことができ、順番は電話でも受け付けているようです。
なんと!!
108番が終わっても、新年までに時間があれば鐘をつくことができるんですって。
最近は全国的にも騒音とか言われて止めたお寺さんも多く、鐘をつけるお寺さんが限られていますので、機会があれば古刹での鐘つきはぜひ一度やってみたいものです。
でも、「紅白歌合戦」を見ていると行けないのよね(笑)
参照元:鴨江寺サイト
<アクセス>
所在地:〒432-8023 静岡県浜松市中区鴨江4-17-1
電話:053-454-5121(代)
FAX:053-454-5123
交通アクセス
・浜松駅からバスで5分(鴨江観音バス停下車)
・浜松駅から徒歩15分
※お彼岸中は大変な混雑になります。一般車両の境内乗り入れはできません。また、近隣道路の特別交通規制もあるためできるだけ公共交通機関のご利用をおすすめします。
<口コミ>
・浜松市民からは「お鴨江さん」と呼ばれています。
・大きな鐘やお地蔵さん、観音様やちょっとした池などがあります。お寺内は手入れがされていてきれいです。
・お地蔵様を見ていると、とても心が穏やかになり、めちゃくちゃ癒やされます。ゆっくりと散策してリフレッシュできました。
・ペット供養をしてただきました。春と秋にある彼岸会は賑わいます。広い境内には露店が並び、射的など懐かしい遊びもできます。
などの口コミからも地元の方から愛されている評判通りの寺院なのがわかります。
<おみやげ>
今回は、故人が初詣やお彼岸に出かけると必ずだるまを買っていたのを思い出しまし帰りにだるまを買ってきました。
帰宅後さっそく片目を入れ、もう片方はコロナウイルスが収束したら入れることにします。できれば早いうちに目を入れられたら良いのですが、どうでしょう?
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最後に
今回は、お彼岸についてや浜松市民が愛してやまない「お鴨江さん」について由来や境内のようすなど紹介してきました。
「お鴨江さん」は浜松駅からも近く、浜松市民ばかりでなくお近くにお住まいの皆さんもちょっとした長めのお散歩でお越しいただければゆっくり散策していただけますし、コロナ禍のおでかけには最適な寺院ではないかと思います。
やはり、お彼岸には多くの人出で賑わいますが、それ以外の時期は静まり返っているような感じです。ちょっとした本などを持ってきて読書しても良いかもしれません。
このごろのわたしたちが住む地球の環境は、昨年から毎日のように新聞紙上に「新型コロナウイルスの汗腺拡大」の文字がある状況です。
しかも、大雨による被害や地震も国内でも頻繁に起きていたり、海外では甚大な被害が出ている大地震も起きています。
現在の状況は極めて悪い状況かと思われ、まさに「緊急事態宣言」下ですので、ワクチン接種を急いで進めてもらって(いまだ未接種)、少しでも以前のような心にゆとりが持てる暮らしができればいいなと祈っています。
最近は、すこしだけご先祖様のことや亡くなった両親や祖父母のことを思い出しながら、コーヒーをゆっくり飲んだりして心を落ち着かせることが多くなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。では、またです。