sannigoのアラカン日記

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映画『ともしび』は女優シャーロット・ランプリングが演じていることが見どころ

こんにちはsannigo(さんご)です。

今回は映画『ともしび』のあらすじ、感想です。

この映画「ミステリー映画」という分類のようなのですが、かなり分かりづらいお話で何もかも感じていないとわからないという映画でした。なんせミステリーというのに誰も殺されやしないし脅しもしない。何を推理したら良いのやら。

ただただ名女優ランプリングの表情や佇まい、視線から今の状況は?どんな感情なの?と探り続けていたらラストになってしまったという映画です。

 

ヘルパーのようなパートのお仕事もするし、演劇が好きなのか演技の勉強もして、スポーツジムに通って泳いでもいる普通の中高年女性と思われるアンナが主人公です。

 

その暮らしの中での心の奥の奥で起きているであろう感情の変化を、その立ち姿や顔の筋肉の有り様から感じ取るのがミステリーなのかもしれません。

 

まさに映画『ともしび』は女優シャーロット・ランプリングが演じている事、そのものが見どころと言える映画のようです。

 

それでは映画「ともしび」のあらすじや感想を書いていきます。

 

映画『ともしび』は女優シャーロット・ランプリングが演じていることが見どころ

[写真AC]

 

 

『ともしび』

 

 

ストーリー

 

 ベルギーの小さな地方都市。老年に差し掛かったアンナ(シャーロット・ランプリング)と夫(アンドレ・ウィルム)は、慎ましやかな暮らしをしていた。小さなダイニングでの、煮込みだけの夕食は、いつものメニューだ。会話こそないが、そこには数十年の時間が培った信頼があるはずだった。しかし、次の日夫は、ある疑惑により警察に出頭し、そのまま収監される。
 
 しかしアンナの生活にはそれほどの変化はないかに見えた。豪奢な家での家政婦の仕事、そのパート代で通う、演劇クラスや会員制のプールでの余暇など、すべてはルーチンの中で執り行われていく。自分ひとりの食事には、もはや煮込み料理ではなく、簡単な卵料理だけが供されることくらいが、わずかな変化だった。けれどその彼女の生活は、少しづつ、狂いが生じていく。上の階から漏れ出す汚水、ぬぐうことができなくなった天井のシミ、そして響き渡るような音を立てるドアのノックの音…。なんとか日常を取り戻すべく生活を続けるアンナだったが、そこに流れ込むのは、不安と孤独の冷たい雫だった。

やがてそれは見て見ぬふりが出来ないほどに、大きな狂いを生じていくのだった・・・。

 

キャスト

 

アンナ  :シャーロット・ランプリング

アンナの夫:アンドレ・ウィルム

エレーヌ :ステファニー・ヴァン・ヴィーヴ

ニコラ  :シモン・ビショップ

演技の先生:ファトゥ・トラオレ

 

スタッフ

 

監督・脚本:アンドレア・パラオロ

脚本   :オーランド・ティラド


製作   :アンドレア・ストゥコビッツ、ジョン・エンゲル、
      クレマン・デュヴァイン

撮影   :チェイス・アーヴィン

音楽   :ミケリーノ・ビシェリャ

 

引用元:映画「ともしび」公式サイト 2019年2/2公開

 

ともしび(字幕版)

 

映画.comの評価

 

☆3.1

 

解説


「まぼろし」「さざなみ」のシャーロット・ランプリングが、2017年・第74回ベネチア国際映画祭で主演女優賞を受賞したドラマ。

ベルギーの地方都市を舞台に、人生も終盤に差しかかった主人公の女性が、さまざまな業を背負い、もう一度「生きなおす」までの悲しみや決意を描いたミステリードラマ。

ベルギーのある小さな都市で、夫とともに慎ましやかな生活を送っていたアンナだったが、夫が犯したある罪により、穏やかだった生活の歯車が少しずつ狂い始めていく。

やがてその狂いは、見逃せないほど大きなものとなっていき……。

共演に「ル・アーヴルの靴みがき」のアンドレ・ウィルム。監督はイタリア出身のアンドレア・パラオロ。

 

2017年製作/93分/G/フランス・イタリア・ベルギー合作

原題:Hannah

配給:彩プロ

 

受賞歴


第74回 ベネチア国際映画祭(2017年)

受賞

ボルピ杯(最優秀女優賞) シャーロット・ランプリング

 

引用元:ともしび : 作品情報 - 映画.com

 

あらすじ、感想

 

私の勝手な評価


☆4.2

 

映画.comの評価が3.1というのは納得です。なぜなら、この映画は「ああだからこうです。」とか「このようなことからこんなことになりました。」ということが一生懸命探っても見えてこないのです。ただちょっと暗めの画面と中高年らしい主人公アンナを演じたシャーロット・ランプリングという女優さんの眼差し、たたずまいからそれぞれの鑑賞者が感じ取ってくださいませ。という感じだからなのでは?

 

あらすじ

 

普通にごく一般的に優しく思いやりをもって夫に接してきただろうし家庭も大事にしてきたはずだし、生活費をかせぐためにお金持ちさんのおうちへお手伝いさん的な仕事もやって慎ましく暮らしていた老主婦のアンナをシャーロット・ランプリングという女優さんが演じていたというところが一番の見どころだと思う。

 

映画が流れている間は、もうアンナだけの表情を頼りに場面ごとのカラーや気持ち、状況などを必死で探っていた時間だったように感じます。

 

家庭のことや仕事もしっかりするし、反面自分のやりたいと思う演技の勉強もする、ストレス発散や体力維持のためのスポーツジムで泳ぎもする誰もが普通だと思うちょっと年のいったおばちゃんというかおばあちゃんがアンナという主人公。

 

アンナは年老いた夫が犯した罪で収監されて生活の歯車が狂い出すはずなのに、上記のように仕事もするし、ジムにも行く。趣味なのか演技の勉強も続けているし、上階の水浸し事件につきあいもするという日常を変えることなく暮らしている。言ってみたらこの日常を変えることなく暮らしているのは夫の収監にも惑わされないぞというお気持ち表明なのかもしれない。

 

そんな日常として貧しいながらにケーキを作りユリの花の花粉が落ちないようにひとつひとつ花粉部分をつまんで取った花束を手みやげに息子の家を訪ねても「かまわないでくれ」と追い返される。

 

ここらへんから、夫の罪によって普通だった人生が普通でなくなってしまうという理不尽さや悔しさや自分が家族に捧げて生きてきた人生って何?って思い悩んだのでは?

 

多分「あの写真入りの封筒がでてきたの」と夫に告げるセリフにもある、あの写真があのタンスの後ろからでてきた時に、実は自分も長いあいだ夫の罪を隠し共有してきたんだということを思い出したのでは?

 

実はその罪を隠している間にもアンナは気づかなかったかもしれないけど、精神的に徐々に追い詰められていたのでは?

 

ただ、夫が犯した罪は一体何なのかは説明もそんな場面もなくわからずじまいだが…。そこはあえての説明なしだったようで監督が

「映画の核心から注意を逸らしたくなかったからです。核心というのは、夫が逮捕されて去ったことでアンナは自分自身と折り合いをつけなければならなくなるということです。」

と語っているのであえて夫の罪の説明はなかったってことだね。

 

大きな心の変化があったのかしら?と感じさせる場面はちゃんとあった。

 

①夫と一緒に刑務所と思われる場所に移動中のタクシーの中で夫から腕時計と指輪を渡されるこの場面では依存しているだろう夫との別れを感じたのでは?

 

②ヘルパーの仕事を早退してわざわざバスに揺られ漂着したクジラのいる海岸へでかける。そのクジラは死にかけているのか死んでいるのかわからないけど、沖に戻すにも方法がないと新聞に書かれていた。

 

もしかしたらアンナは自分が朽ちていく姿とクジラのその死にかけている姿を重ね、このまま自分は朽ち果てて良いのか?と思ったのか、朽ち果てるものと納得したのかは、私には判断できなかった。

 

年老いてからつつましく暮らしていた平穏な日常を夫の罪から奪われ、息子からも結びつきを拒否されるという悲しくてつらくやりきれない気持ちの中で暮らしていたアンナ。

 

自暴自棄にもなるであろう状況が続いていても、年齢からくるものなのか特にすべてをあきらめ投げ出すという様子はなく、お金持ちのヘルパーの仕事を頭痛を理由にあくまで礼儀正しく早引けし漂着したクジラを見に行ったところからも絶望に苦しんでいる様子は伝わってくる。

 

そして、いつもは楽しく演技の勉強をしていた教室からなにかに突き動かされ、周囲がビックリするくらい突然に足早に去っていくのだが…。

 

夫の罪を知っていながらも普通につつましく暮らしていたアンナという生き方そのものが罪を隠すためのツクリモノだとしたら、もしかしてこのいろいろな悲しくてつらい気持ちになる理由はそれまでのツクリモノの生活から来ているのだと気づいたとしたら?

 

あとは本当の自分で生きていくだけさ!と開き直って、積極的に生きていってくれたらいいな。


感想

 

まさに中高年で老年の女性という意味では、私という存在をアンナという主人公に重ねる部分がたくさんあるなと思いながら見ていました。

 

家族という依存すべきしっかりとした形があるアンナは、結婚もしていない、子もいない、ついでに職も金もないという私とは全くちがう心持ちで生きているのだろうとは思います。

 

年を重ねてきてバリバリ働いて居た頃から比べればやっぱり喪失感みたいなものはあるし「年配者はこういうもの」みたいなイメージがあるのが生きづらいなとは感じているけれども、基本フリーなのでアンナのように夫や子どもたちに依存することも、拒絶されることもなく深い喪失感や絶望は感じる機会もないのでかなり楽観的に生きているのが私です。

 

アンナのように夫や家族だけが「生きがい」で「生活そのもの」という生き方はとてもしあわせであり、反面それがなくなった時のとまどいや喪失感、絶望などは計り知れないものだろうと想像します。

日本でも世界でもこのアンナのように家庭を大事に生きている女性の方が圧倒的に多いわけでこのような喪失感や絶望を味わっているのではないでしょうか?

 

でも、私の周りを見てもシングルマザーも多いし、離婚経験者もたくさんいますがかなりパワフルですよ。いつでも前向きで職場で率先して何かを始めてくれるのも実はこのような方のほうが多いという事実。

 

きっと、この映画の主人公アンナもこの映画のラスト以降はパワフルに自分らしく生きているのだろうと想像しています。
(映画の中でのあの苦しげな佇まいが台無しでごめんなさい)

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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