sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

2021「夏越の祓」から「半夏生」さらに「土用の丑の日」までの風習など

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

愛読している中日新聞にも、新型コロナウイルス退散祈願を含めた「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」の神事が行われた神社に、大勢の参拝者が訪れ茅の輪(ちのわ)をくぐって身を清めた。という記事が茅の輪をくぐっている人々の写真とともに掲載されていました。

 

「夏越の祓(なごしのはらえ)」とは何ですか?と思われた方はいらっしゃいませんか?

 

この「夏越の祓」のように、全国各地で今も続いている風習が7月末まで次々とやってきます。

 

まずは、地域によってはタコを食べる風習もあるという「半夏生(はんげしょう)」。そしてうなぎの蒲焼きを食べる日と思っている方も多いでしょう「土用の丑の日(どようのうしのひ)」もやってきます。

 

昨年から続く「コロナ禍」の影響は、2021もまだ続いています。デルタ株の拡大が懸念されている今、それでもやっぱり昔からの風習を知り、行事に参加することで人の世の長きにわたる願いや思いを知ることができるかもしれません。

 

今回は2021「夏越の祓」から「半夏生」さらに「土用の丑の日」までの風習などを記していきます。

 

2021「夏越の祓」から「半夏生」さらに「土用の丑の日」までの風習など[写真AC]

 

 

 

夏越の祓(なごしのはらい)とは?

 

旧暦の6月末に行われる「夏越の祓」は、1年の前半の半年分のケガレを落とし、残りの半年間の日々を厄災や病気に遭わないように祈願する行事です。

 

由来は、日本神話のいざなぎのみことの禊祓(みそぎはらい)にまでさかのぼるそうですが、新暦に移った現在でも、6月30日ごろ日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。

 

名越(なごし)、荒和(あらにご)、六月祓(みなつきばらえ)などとも呼ぶこの行事には、多くの風習が見られます。

 

みなさまもよくご存知なのが、神社の鳥居の下や拝殿などに作られたた茅の輪(ちのわ)をくぐり、けがれや災いを祓う「茅の輪くぐり」ではないでしょうか?厄落としのひとつとして各地で「茅の輪くぐり」が行われます。

 

 

茅の輪(ちのわ)くぐり

 

神社の境内に作られたチガヤで編んだ大きな輪を8の字を書くように3度くぐり抜ける『茅の輪くぐり』[写真AC]

 

茅の輪くぐりとは、チガヤという草で編んだ輪のことで、神社の境内に作られた大きな茅の輪の中を「水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」と唱えながら8の字を書くように3度くぐり抜けるのですが経験はありますか?

 

ウォーキング好きなわたしは、この時期ちょっと離れた神社に茅の輪が作られていることを毎年確認しているので、氏子でもないのにちゃっかりとくぐらせてもらっています。

 

先程も書きましたが、「茅の輪くぐり」は日本神話に基づいているといわれています。

 

昔、ある兄弟のところに、一人の旅人が現れて一夜の宿を乞いました。

裕福な兄は旅人を冷たく断り、貧しいながらも弟の蘇民将来(そみんしょうらい)は温かく旅人をもてなしました。

数年後、旅人が恩返しにと再び蘇民を訪れますが、実はこの旅人はスサノオノミコトで、その教えに従って茅を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繁栄したそうです。

 

この故事から、家の玄関に「蘇民将来札」という札を貼り、厄除けにするという風習も残っていて、祇園祭のちまきや伊勢のしめ縄などにも見られ、長い時代にわたって全国に広がる信仰のひとつです。

 

ほかにも形代(かたしろ)と呼ばれる人の形をした紙などにけがれを託し、身代わりになってもらうために川や海に流したり、お清めをしたりするところもあります。

 

 

人形(ひとがた)を流して厄落とし

 

人形(ひとがた)とは、人の形を模した紙の形代(かたしろ)です。人形に自分の名前や年齢などを書いて、その人形で体を撫でて、人形に罪やケガレを移し、身代わりとして神社に納めます。

 

人形を川に流したり、篝火を焚いたり、水や火を使う神事で清め厄を落とすわけです。

なかには紙だけでなく藁などで人形を作るところもあるようです。

さらには、お清めのために形代ではなく直接、人が川や海に入る地方もあるとのこと。

 

 

「夏越の祓」と「年越の祓」

 

半年に一度の厄落としである「夏越の祓」は6月。半年後の12月末には、同様に厄除けをする「年越の祓」があります。

 

「夏越の祓」は、大晦日の年越し行事のような派手さはありませんが、大切な節目の行事とされ、心身を清めてお盆や新しい年を迎えるための大事な風習です。

 

参照元:夏越の祓(なごしのはらえ)|季節の行事|暮らし歳時記

 

 

7月2日から半夏生(はんげしょう)

 

 

田植えも終わり稲の苗がしっかりと根付いてみずみずしい田んぼの風景[写真AC]

 

夏至(6月21日頃)から数えて11日目の7月2日頃から、七夕(7月7日)頃までの5日間を半夏生といい、田植えは半夏生に入る前に終わらせるものとされているとか。

 

半夏生を過ぎて植えた田んぼは、秋の収穫が減るといわれてきたようです。

 

そういえば、先週ちょっと田んぼの多い地域へでかけたとき、稲の苗が力強く青々と茂った田んぼで、白サギや青サギが首元まで泥だらけにしてエサを求めているほのぼのとした風景を目にしたばかりでした。

 

半夏生の風習からでしょうか、すでに田植えはしっかりと完了しているようです。

 

ちなみに、とあるスーパーのちらしには「半夏生には稲の豊作を祈って昔から「タコ」を食べた」というキャッチコピーが載っていたけど本当なのかしら?

 

調べてみると本当に、関西地方では「タコの足のように大地にしっかり根付くよう」にタコを食べるようです。

 

ほかにも、近畿地方では収穫した小麦で「半夏生餅」を作って田の神に供えるそうで、地域によってわたしの知らない半夏生ならではの風習があるようです。

 

《七十二候のひとつ「半夏生」》

 

「半夏生」は、雑節の中では唯一、七十二候からとられた名称です。

七十二候とは、二十四節気の約15日おきの区切りをさらに3等分したもので、約5日おきに季節の移り変わりを気候の変化や動植物の様子などの短い文で表しています。

「半夏生」の「半夏」は「烏柄勺」(からすびしゃく)という薬草のことで、この薬草が生える時期を指した名称だといわれています。サトイモ科で、地下にある球茎の皮を取って乾燥したものが漢方薬の生薬「半夏」。

また、「半夏生」という名前の草もありますが、七十二候でいう「半夏」とは別の植物です。

名前の由来は、半夏生の頃に花が咲くからとする説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」と呼ばれたのが「半夏生」になったとする説などがあります。

また、古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれています。

 

《物忌みの日》

 

半夏生の5日間は働くことを忌み、天から毒が降るので井戸にふたをし、この日に採った野菜も食べてはいけないといわれました。また、ハンゲという妖怪が徘徊する(三重県)、竹の花を見ると死ぬので竹林に入ってはいけない(埼玉県)など、様々な物忌みが行われていました。

これは、田植えで疲れた体を休めるための昔の人の知恵だといわれています。

 

引用元:半夏生(はんげしょう)|季節の行事|暮らし歳時記

 

 

7月28日(水)は土用の丑の日

 

土用といえば、一年のうちで最も暑さがきびしい時期の土用の丑の日を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?

 

っていうか、土用と言われて土用の丑の日以外に思いつきません。

 

この日は昔から、梅干し・うどん・うりなど「う」のつくものを食べると夏バテや病気にならないという風習があります。

 

現在は「う」のつく食べ物=鰻という感じで、土用に丑の日が近づくと鰻屋さんでは蒲焼きのいい香りがしてくるし、スーパーでも鰻の蒲焼きのコーナーが作られ、世の中がうなぎだらけになる感じです。

 

昔から疲労回復効果抜群の食べ物とされていた鰻ですが、どうして土用の丑の日に鰻を食べるようになったのでしょうか?

 

土用の丑の日に鰻を食べるようになった由来にもいろいろな説があるようですが、今回は有力だと言われている4つの説を載せておきます。

 

《平賀源内(ひらがげんない)説》

 

最もよく知られているのが「平賀源内説」ではないでしょうか?時代劇などにも登場する有名なお話ですから。

 

江戸時代、源内が知人から「夏に売れない鰻を売る方法はないか」と相談を持ちかけられたのが発端です。

この相談に源内は、「丑の日に『う』の附くものを食べると夏負けしない」という民間伝承から「本日丑の日、鰻を食べると良い」と書いた張り紙を出すように勧めました。

物知りとして有名な平賀源内のいうことであれば信じよう!と、民衆がこぞって鰻をたべるために「鰻屋」に殺到したため相談した鰻屋は大繁盛。


それならば!と、他の鰻屋もまねるようになって土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したとのことです。

 

《大田南畝(おおたなんぽ)説》

 

平賀源内説と似たような説ですが、江戸後期の狂歌師・戯作者である大田南畝(別号=蜀山人(しょくさんじん))が「神田川」という鰻屋に頼まれ「土用の丑の日に、鰻を食べたら病気にならない」という内容の狂歌を作って宣伝したという説もあります。

 

《春木屋善兵衛(はるきやぜんべえ)説》

 

文政年間、神田泉橋通りにある鰻屋「春木屋善兵衛」のところに大名から大量の蒲焼が注文され、「子の日」「丑の日」「寅の日」の三日間で作って保存しておいたところ、「丑の日」に作ったものだけが悪くなっていなかったからという説もあります。

 

《丑=鰻二匹説》

 

ひらがなで墨汁を使って毛筆で書いた「うし」という文字が、まるで2匹の鰻のように見えたからという説もあります。

 

これらの4つの説が、これまで言い伝えられている土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着した説と言われているようです。

 

参照元:土用の丑の日・鰻の話|暮らし歳時記

 

わたしとしては、鰻はただただおいしいし、蒲焼きの香りがあまりに食欲をそそるからここまで長く続いている風習なのかな?と思っていますけど。

 

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まとめ

 

そろそろ6月も終わってしまいます。

 

部屋に閉じこもってばかりですが、この「夏越の祓」には茅の輪をしっかりとくぐって、新型コロナウイルスの退散と今後の6ヶ月間の厄除けをしたい!とソファーに横になって考えています(笑)

 

梅雨とは名ばかりですっきりと晴れた日が多かった居住地の6月でしたが、ここに来て少しジメッとした水分大目の梅雨らしさを味わえてしあわせです。

 

神頼みばかりしているわたしで本当に近所の神様にはご迷惑ばかりおかけしております。しかもお賽銭の額にも「大いなるケチっぷり」が発揮されていることにも気づいていることでしょう。

 

それでも、はっきりと住所、氏名、年齢を唱えてからのお願い事ですから、神様も聞かないわけにいかずきっと聞いてくださると信じております。氏子でもないけど。

 

ってことで、今回は昔からの風習が今も伝えられている「夏越の祓」から「半夏生」。

さらに「土用の丑の日」のうなぎを食べる風習の由来までを記してきました。何のためにもならないでしょうが・・・。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。では、またです。

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