sannigoのアラ還日記

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映画「瞽女 GOZE」に見る子役川北のんさんの凄さと瞽女という文化についての考察

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

いきなりですが、みなさんは子役の川北のんをご存知でしょうか?

深い雪の中での芝居で感動した子役さんは?と聞かれたら、アラ還世代ならきっとNHKの視聴率おばけの朝ドラ「おしん」の小林綾子さんが頭に浮かぶことでしょう。

 

その「おしん」で活躍した子役の小林綾子さんも出演している映画「瞽女(ごぜ)」で、実在の女性小林ハルの子供時代を演じたのがこの川北のんさんです。

 

映画「瞽女」に見る子役川北のんさんの凄さと瞽女という文化についての考察[写真AC]

 

 

 

映画「瞽女」に見る子役川北のんさんの凄さ

 

映画「瞽女」は、最後の瞽女(盲目の女性旅芸人)といわれた実在の女性小林ハルの波乱の人生を映画化した伝記ドラマ。

 

生後間もなく失明したことで、親戚縁者から疎まれる時代に生まれてきたことだけでも大変な不幸を背負っていると思われるハル。

 

それでも、孫を愛する祖父母や一生守ってやろうとする両親の温かい家族に囲まれ明るく育つハル。

 

ハルの将来や一生を思い苦悩する母親は、ある日、一人の占い師に「この子は長生きをする。6歳になるまでは母親、この子が6歳になったらあんたは鬼になってこの子を瞽女にしなさい」と告げられた。

 

6歳になったその日から、ハルは瞽女になるためにさらに辛い人生が始まる。母親もその日からは、母親だからこそならなくてはならない鬼になっての人生が始まる。

 

母親役の中島ひろ子が一切の甘えを許さずに鬼になって、盲目の娘に身繕い、お裁縫、瞽女になるための人となりの全てを教え込んでいく姿は、涙しか出てこないほどせつない。

 

瞽女になるためには、本当にそこまでの努力や我慢が必要なの?って疑問に思うほどの修行の厳しさや理不尽さ。当時はこういう厳しさがあたりまえだったのか!と驚愕します。

 

映画の中で一番印象に残っているのが「寒声」を出す訓練の寒稽古、「寒声」というのは冬の寒い時期に発生練習をすることで瞽女独自の発生法のこと。

 

この寒声は、出血するほど喉を痛めつけて声がでない状態で発声練習を続けることで得られるもの、この声こそが瞽女の「長い語りにも耐えられ変わらない声」というのだから、瞽女になるにはどうしても必要な修行だろうけども・・・。

 

小林ハルの「寒声」の寒稽古が、聞くだけで震えあがってしまうほど凄すぎるのです。

 

きっと普通の人は耐えられないでしょう。わたしだったら家を出た瞬間に凍死している。

 

「寒声」の寒稽古で、ハルは毎日早朝と夜に信濃川の土手で訓練するのですが、「厚着をしたり足袋を履いたりすれば、身体は温かくても声は出やせん」という理由から、深い雪で膝元まですっぽり雪に埋まってしまうほどなのに、薄着で裸足、しかも草履履きで家から信濃川の土手まで歩くんです。

 

やっとたどり着いた土手では、薄着のまま足元は裸足に草履という姿で、身体が温かくなるほど一生懸命に歌い続けます。

 

そして家までまた雪の中を歩き、帰り着く頃には足は真っ赤に腫れ上がるほどのしもやけ、顔も真っ青で、手はこわばったままで。小さな子どもでは到底耐えられるはずがないような状態。

 

ハルを瞽女にするために鬼になった母親の苦しさ、盲目で生き続けることの大変さ、鬼になった母親の期待に一生懸命に答えるハルの心情など、すべての視聴者を涙を誘いハルを応援したい気持ちにさせる大事なシーンだったかもしれません。

 

実際に、当時とは数百倍も甘えたさんが多いこの時代の子役さんが、この過酷なシーンを自身の体を使ってやり遂げたことが信じられないくらいの感動を生んだことはまちがいありません。

 

本当にこんなにも大変なロケをやり通したことだけでも絶賛に値する子役さんというのは、この映画「瞽女」をご覧になられた視聴者すべてが感じたのではないでしょうか?

 

実在していて、この映画のモデルになっている小林ハルさんは、この寒稽古を母親と死別した年以外の14年間続け毎年1ヶ月も行なったそうです。

 

そんな過酷な寒稽古のおかげでハルの唄は、瞽女の中でも独特な低い声で「一度潰してから腸から出る声」と評されるほど上達したそうです。

 

この「瞽女」での川北のんさんの演技(というかむしろ修行ですが)、そんな苦行の数々に対して真摯に立ち向かい、当時の小林ハルさんの過酷なまでの人生の辛さやそれでも明るく人には優しく接することができる人柄を見事に演じきっていると感じます。

 

素人目にもこのたった1本の映画を見ただけで、すでに子役という枠はとっくに超え、すごい女優さんというイメージを持ったのですが。その後の様子がわかりません。

 

いまは何をしていることでしょう?2019年には小学5年生ということでしたので、2021年現在は中学1年生なのではないかと思われます。

 

また映画やドラマで活躍してくれると思うとワクワクします。遠くからひっそりと応援させていただいています。

 

 

瞽女という文化についての考察

 

小林ハルのように失明した女性たちが、三味線を奏で語り物などを唄いながら各地をまわり、当時の娯楽のない人々に癒やしややすらぎを与えていた「瞽女」。

 

映画「瞽女」のエンドロールから、このような瞽女が当時は居住地の静岡やご近所の愛知、長野にもいたことを知り、誇りに思うと同時に福祉についても考えさせられました。

 

当時は、山梨県には総数200人を超える大きな組があったり、長野県でも飯田、松本、松代など、岐阜県では高山など、さらに居住地静岡県でも駿府、沼津、三島などにも小さな組合がたくさんあったと知り、「瞽女」のことも知りたくなり調べてみました。

 

瞽女(ごぜ)とは?

 

親しく瞽女(ごぜ)さんと呼ばれ、三味線、ときには胡弓を奏で語り物などを唄いながら、各地を門付けして歩く「盲目の女旅芸人」のことです。

 

その歴史的名称は、「盲御前(めくらごぜん)」という継承から由来しています。

 

瞽女の起源ははっきりしていませんが、室町時代後期に書かれた『文明本節用集』には「御前コゼ 女盲目(ごぜん こぜ おんなめくら)」と記され、『七十一番職人歌合』にもその姿が描かれています。

 

江戸時代の瞽女は、越後国高田(上越市)や長岡(長岡市)、駿河国駿府(静岡市)では屋敷を与えられ、一箇所に集まって生活しているケースがあったとされ、これを「瞽女屋敷」と呼んだようです。

 

瞽女たちの手によって津軽三味線の素地が伝えられ、信濃追分の馬子唄が順次伝播されて江差や松前追分に転化するなど民謡の伝播者としても大きな役割を残しました。

 

瞽女になるには、全国組織はないため幼い頃から親方と呼ばれる師匠に預けられ、瞽女として生きてゆくために厳しく音曲や技法を伝授する方法で芸を身につけます。

 

親方となる師匠は、弟子と起居をともにして組をつくり数組によって座を組織していたそうです。

 

幼い時から師匠の下で厳しい三味線芸の修行を続け、「瞽女」の世界の独自の掟としきたりの中で一緒に過ごすことで瞽女たちは強い絆で結ばれ、根強い世間の差別や偏見に対しても身を寄せ合うことで盲目という障害を克服できたのでは?

 

もしかしたら、わたしたちが想像するよりずっと豊かな気持ちで日々を過ごしていたのかもしれません。

 

瞽女さんたちは、地方の農村などをまわり、彼女たちの芸でテレビやラジオが普及していなかった時代の村人たちの日々の疲れを癒し、やすらぎや娯楽を与えます。

 

瞽女さんたちが地方をまわる時は、視力の残った手引きを先頭に、3~4人が一組となって師匠から弟子の順に前の人の肩の荷に左手を触れて動きを知り、右手に持った杖で足元を確認して歩きました。

 

目の見えない女性たちが、雪原を歩き続けて峠を越えてまでこの村にまで来てくれること、芸をみせてくれることに対して、訪れる村の人たちは畏敬の念で迎え歓迎しました。

 

村で庄屋が宿を提供して村人をあつめて瞽女が瞽女唄を聞かせれば、このような癒やしの時を農民たちも喜んでお初穂を差し出し、わずかなおひねりを布施とする瞽女さんたちに盛大な拍手を笑顔とともに贈ります。

 

瞽女たちが聞かせてくれる三味線芸は、物語性のある古浄瑠璃などの段物を中心に、流行り歌、民謡などでした。

 

そのほかにも、地方をまわリ歩いている瞽女たちは、都会の出来事や地震災害などを読み込んだ口説き節も聞かせたのは、農民たちに普段は知ることができない遠く離れた地方の動きを知らせる役目も果たしていたのでしょう。

 

彼女たちは、雪原を行き峠を越えるつらい旅を杖を頼りにつづけても、村人の喜んでもらえる芸を披露することに生きがいを感じていたんです。

 

そのようなことから「瞽女」という独特な芸能が生まれ、独自の文化を形成されたのです。

 

江戸時代中期・後期の瀬戸内地方にいた瞽女の多くは広島藩、長州藩あるいは四国地方の多くの藩から視覚障害者のための「扶持」を受けたといわれています。

 

明治期には、「瞽女」という文化も越後・新潟にだけに残り、長岡地区と上越高田地区の二つの集団が生まれました。

 

長岡地区には小林ハル 1900年(明治33年)~2005年(平成17年)、高田地区には杉本キクイ1898年(明治31年)~1983年(昭和58年)が代表とされ、富山、長野、関東一円から福島、山形の各地を巡って旅の仕事を続けていました。

 

なので、明治時代から昭和の初期にはまだたくさんの瞽女が新潟県を中心に活躍していた時代と言えそうです。

 

なぜなら、小林ハルも杉本キクイも共に国の無形文化財保持者として選ばれ『黄綬褒章』を受賞しています。

 

瞽女は女性だけの禁欲の世界で、映画の中でも「男性と交われば瞽女は追放される」というシーンがありました。

 

しかし旅の多い瞽女稼業ですから、人と人の間には感謝や喜びが生まれます。もちろん恋が愛に変わることもがあります。

 

それでも瞽女の掟の中で暮らしていくためにはあきらめなくてはならない。人間として女性としての葛藤もあるはずです。

 

そんな瞽女の美しい姿が画家や作家から、映画や舞台で描かれ一大ブームになったことがあるそうです。が、昭和50年代に入り近代化がすすむ社会からはいつしか忘れ去られていきました。

 

映画で描かれている主人公の小林ハルさんは、晩年は老人福祉施設で穏やかに暮らしていらっしゃたとのこと。インタビューなどで「しあわせです。ありがたい」という言葉をよく使っていらっしゃったとか。

 

実在した小林ハルさんは、2005年(平成17年)105歳で眠るように亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。

 

時が過ぎ、ここ最近では「視覚障害者が担ってきた伝統文化を顕彰しよう」という動きが静かに起こり始めているようで、改めて瞽女の存在が注目されているそうです。

 

障害者福祉という観点でも、目の不自由な人がやりがいや生きがいを持って人間らしく生きた瞽女という文化は語り継がれていくべきものと感じます。

 

ここまで痛いこと、つらいこと、煩わしいことから逃げて、逃げて、逃げまくってアラ還世代にいたってしまったわたしとしては、しあわせという言葉の重みを感じ、「しあわせ」という言葉を使って良いのは、この小林ハルさんみたいな方なんだと実感しています。

 

生まれて3ヶ月で白内障を患い盲目に、親戚縁者から疎まれる時代に苦労に苦労を重ね「瞽女」という人生を歩き続けたハルさん。

 

いまの”いじめ”についてハルさんが語った「かわいがられ過ぎて育った人は、あれやこれやと人が言うこと、することが気にかかる」ということば。

 

かわいがられ過ぎてしまった人生を悔やんでも悔やみきれません。映画から学んだこの気持ちを忘れずに生きていかなくちゃ!です。

 

参照元:映画『瞽女GOZE』公式サイト

 

 

まとめ

 

今回は「瞽女」という映画を見ていろいろな感想はあるのだけれども、まずはこの瞽女が「寒声」を身につけるためにおこなう「寒稽古」の物凄さに驚愕し、この迫力のあるシーンを演じているのは誰?というところからはじまった話です。

 

その子役さんは川北のんさんという方で「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」という番組で名物の「助っ人小学生」の5人の一人でクラスのまとめ役のんちゃんとして出演していた方だとわかりました。

 

雪印メグミルクの6Pチーズ焼きロッピー!にも出ていらっしゃったようですが、記憶にはありません。

 

川北のんさんの現在のことがちょっとウィキペディアだけではわからなかったのですが、とにかくこの映画「瞽女」の中での物凄いシーンを演じていた事、今後も期待していることを伝えたかったのです。

 

この映画から「瞽女」という文化を知ることができ、もっとくわしく自身の記録に残したかったので調べた内容やこの文化についても綴ってみました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。では、またです。