こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回は、浜松のお隣の愛知県豊橋市石巻町にある石灰岩からなる標高358mの石巻山の中腹に鎮座する『石巻神社 』山上社(上宮)編です。前回は里宮社(下宮)でしたから。
『石巻神社 』山上社(上宮)が鎮座する石巻山には自然歩道が整備されているため、ハイキングやトレーニングで訪れる家族連れや元気なご年配の方などでにぎわっています。石巻山山頂からの景色は素晴らしく、お天気が良ければ富士山を見ることもできるそうです。
残念ながら石巻山山頂を目指したアラカン2人でしたが、途中の「石巻の蛇穴」でギブしてしまったため山頂の景色は見れなかったです。それでも、お天気が良かったおかげで山上社から眺めた豊橋市の景色もすばらしかったです。
鳥居をくぐり、苔むした階段を一段一段登り、木の根が絡む参道を進めた先に鎮座する『山上社』の佇まいは、あまりにも古(いにしえ)で、空気に乱れのない静けさに時が止まったような感じがしました。
山といえばさまざまな伝説や民話の舞台になっていることが多いのですが、こちらの石巻山も例外ではありません。神の使いの白蛇・ダイダラボッチ・天狗といった伝説が残されています。
石巻山と三河本宮山の間には「背比べ伝説」が残り、石巻山に登る人が小石を持ってきたら”疲れることなく山に登れるし願い事が叶う。逆に石巻山から石を持って帰ると頭痛などの祟りに遭う”と言い伝えられています。
今も伝わる証拠に、中腹の『石巻神社 山上社』の苔むした灯篭や狛犬には、多くの小石が積み上げられていて少し笑ってしまいました。
石巻神社(山上社・上社)
鎮座地:山上社(上宮):愛知県豊橋市石巻町南山93-2
里宮社(下宮):愛知県豊橋市石巻町金割1
奥の院:愛知県豊橋市石巻町南山93-14
《アクセス》
電車・バス:豊橋鉄道渥美線[柳生橋駅]から 徒歩約17分
[豊橋駅]から豊鉄バス豊橋和田辻線「石巻登山口」バス停下車徒歩10分で里宮社、さらに徒歩約50分で山上社。さらに徒歩20分ほどで石巻山頂上です。(山道はスピードに個人差がありますので、ご注意ください)
車:《里宮社》東名高速道路[豊川IC]より約25分で駐車場に着きます。
《山上社》里宮社からさらに”石巻山”か”ナツメ別館”の看板を目印に山道を約5分登っていくと駐車場があります。
駐車場:《里宮社》R362沿いの2~3台駐車可の駐車場(R362沿い)が利用できます
《山上社》石巻山中腹の駐車場(15台〜20台)が利用できます。
御朱印:《山上社》は住職さんがちょうどこちらにいらっしゃっていたため、ありがたいことに直書きでいただけました。
石巻神社とは?
石巻神社は、愛知県豊橋市石巻町にある神社である。
式内社(三河国八名郡石巻神社)。
旧社格は郷社であり、三河国四宮とされる。創建時期は不明。孝安天皇または推古天皇の時代の創建ともいわれている。元々は石巻山自体が信仰の対象と推測される。
吉田城の鬼門にあたるため、吉田城築城以来、歴代城主の信仰を受けていたという。
石巻山の中腹の奥宮(上神社)と山里の里宮(下神社)に分かれている。奥宮では管粥祭、里宮では鬼祭が行われる。
祭神
大己貴命
( 石巻神社 - Wikipedia )
関連記事≫
石巻山
かつては石巻山自体が信仰の対象とされ、中腹には式内社の『石巻神社』が鎮座し中腹には石巻温泉の旅館や自然科学資料館があります。また、南北朝時代、南朝方の高井主膳正が築城したという『石巻山城』がありました。
標高358mの石巻山山頂は石灰岩の巨岩、周辺には「石巻山石灰岩地植物群落」があり、国の天然記念物の指定を受けています。私には種類はよくわからないけど、マルバシモツケやクモノスシダなどの石灰岩土壌に生える植物や、ここでしか見られないカタツムリも見られるそうです。
『石巻神社里宮社(下宮)』が鎮座する麓から登ると往復3km程度、中腹の駐車場まで車で行けば、そこから歩くと1.5km程度で頂上へ到着するため気軽な山登りには最適です。
石巻自然科学資料館
利用可能時間:9:00~16:30
休館日:月曜日
利用料金:入場無料
お詣りしていきましょう
さっそく石巻山の中腹の駐車場に車を停めて、石巻山を登りつつ『石巻神社 山上社』をお詣りしていきましょう。親切に登山道には何本かの杖を用意してくれてありました。アラカンですものしっかりとお借りしてスタートです。
石巻山中腹の駐車場
この杖を置いてくださっている2手に別れた別れ道。
右に進めば石巻山温泉の旅館前を経由して『石巻神社』鳥居をくぐり、階段で登っていきます。春は山桜が咲くみたい。
左に進めば、そのまま山道に入り階段を少しワープできるのでその分楽です。
(初めてなので近くにいた女性にどちらへ進むか聞いてしまいました。その節はありがとうございました)もちろんアラカンはこちらを選択しました。
関連記事≫
石巻山温泉
石巻山駐車場付近には、かつて多くの人々で賑わったであろう旅館や商店がいくつか残されていて『石巻山温泉』の存在を教えてくれます。
石巻温泉は石巻山山頂に湧く単純泉で、石巻荘、石山荘、見晴らし荘などの旅館が立ち、豊橋市内を見下ろす夜景が自慢な温泉です。
現在営業している旅館もあり、出かけたのが平日にもかかわらず、駐車場は満車状態でしたし、旅館内からは笑い声が聞こえていました。
まずは左の道を選択してスタートすると、『石巻神社』奥宮と石巻山山頂への別れ道に出ます。とりあえずお詣りを先にしますので、左の階段を進みます。
どうやら歌碑にはお酒のことが刻まれているみたいです。お酒を飲みつつ楽しもうってこと?
手水舎
こちらで手と口を清めてからお詣りです。
鳥居をくぐり、また階段を登るとそこはもう境内です。苔むした灯篭や参道が古な気分に私たちを導きます。
苔むした灯篭に小石がたくさんあるのは、石巻山に残る「背比べ伝説」により今も、石巻山に疲れることなく登れますように!願い事が叶いますように!と、石巻山に登る人が小石を持ってきて、この山に置いていき山を高くしている証拠ですね。
狛犬
拝殿・本殿
お詣りも終わりましたので、石巻山山頂を目指しましょう。少し下ると石巻山山頂の道標があります。そこが『石巻山城址』でした。
石巻山城址
高井主膳正の居城であったといわれる。
主膳正は、南北朝時代の吉野朝方の人物といわれ、石巻山城や高井城(石巻本町字城の内)で北朝方の足利氏と戦い、敗れて山腹で自害したと伝えられる。その遺構は、標高356mの尾根に4段の連郭と帯状腰曲輪をみることができる。近年、曲輪の一部は、遊歩道で削平されたが、市内の城址では、最も古い創建である。
(案内板より)
ここまで大きな木の根っこなどが絡む自然歩道も、中程まで来ると石灰岩のむき出た道に変わってきます。このゴロゴロした石が石灰岩ということで、石巻山の頂上に少し近づいてきたってことでしょうか?(ちがいます)
不動堂(奥の院)?天狗社?
お詣りして振り返ると、そこには透明感半端ない池?が見えます。つい手を入れてしまいたくなる性分、「めっちゃ冷たい!」そうなりますよね。
このしろ池
石巻神社の神の使いの白蛇から授かったという伝説が残る、いまだかつて枯れたことのないという「このしろ池」です。
このしろ池の水は飲料水になるほどキレイってことのようです。横の石碑に刻まれた文字は残念ですが読めません。
壊れてしまっているお堂
壊れているのでわかりませんが、こちらが天狗社?もしくは不動堂(奥の院)の可能性もありそうですが、わかる方いらっしゃいますか?
石巻の天狗
石巻は天狗にゆかりがある場所でもあり、その昔、神郷地区には本覚坊という天狗がいたという伝説も残ります。石巻山を登れば、このしろ池近くで天狗を祀る「天狗社」が鎮座、石巻山頂上近くには「大天狗、小天狗」と彫られた岩も見ることができるようです。
なんか木材があちこちにまとめて置いてありますが、よく見るとそこには巨大な岩壁が立ちはだかっています。お堂で隠れていたかもですが、これぞ磐座!というお姿です。遥か昔には、この前で祭祀をおこなっていたのでは?と思わせます。
岩壁のすぐ前には真っ赤な龍が祀られています。祭壇のような場所の前にはもしかしたら大黒様もいらっしゃる?
ここから先へ進めそうになかったので、一旦「石巻山城址」のある石巻山の登り口まで戻りました。そして頂上を目指します。
「もしかしたらこれって「石巻山城址」の石垣?なんて話をしながら進みます。おーこれが蛇の穴か。
石巻山蛇穴
この蛇穴は石灰岩の風化水蝕によってできたもので、径約60cm.奥行13m程あり、その形から昔、神様のお使いの大蛇が住んでいたと伝えられている。
(案内板より)
『石巻の蛇穴』と呼ばれる大きな穴が石灰岩に開いています。石灰岩の風化水蝕でできた穴で、奥行き13mほどある(幼稚園のプールくらい?)と案内板には書かれています。その昔、神さまの使いである大蛇が住んでいたという民話が残されています。
昔この地の村人が、雨乞いのために石巻山に登ったところ、大きな白蛇が現れて社を造るように告げました。村人がお告げの通りに祠を造ると、岩の間からこんこんと霊水が湧き出し、村の人々は日照りから救われました。
という民話です。この大蛇すごく太くて白い蛇なのだそうですが、人畜には危害を加えないやさしい蛇だったといいます。蛇が神様ということは・・・(笑)
関連記事≫
石巻山の伝承
山にまつわる伝説は国内に数多く残っていますが、やはり石巻山も例に漏れず、さまざまな民話や伝説の舞台になってきました。
というのも石巻山の山頂付近は石灰岩でできています。石灰岩は長い年月をかけて、雨水で浸食、風化したことで特殊で不思議な地形をつくり出し、そこから多くの民話や伝説が生まれたのではないかと思われます。
背比べ伝説
『石巻神社 山上社』が鎮座する石巻山と三河本宮山(標高789m)の間には、背比べ伝説が言い伝えられています。
石巻山と本宮山がお互いに、自分の方が山が高いと言い張り喧嘩になった。
決着をつけるために山と山の間に樋を横渡しし、水を流して流れ落ちた方が山が低いので負けということになった。
結果、石巻山の方に水が流れてきたので石巻山が負けた。
石巻山は悔しがり、もし石巻山に登る人が小石を持ってきたら、疲れることなく登れるようにするばかりか、小石を山に置いていき山を高くしてくれたら願いごとを叶えると述べた。
逆に、石巻山から石を持って帰ると頭痛など祟りに遭うようにもなった。
引用元:( 石巻山の岩石信仰(愛知県豊橋市) | 石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究)
それぞれの山の神が高さを競うという民話ですが、少しでも高くなりたいという誰もが持つ理想をモチーフに、山から石や植物、何物も持って帰ってはいけない。逆にゴミなどは持ち帰るようにという山のしきたりを伝えているのだろうと推測します。
その山のしきたりが今もしっかりと受け継がれ、実際に石巻山はきれいだし、植物や石を持ちだす人もいないでしょう。その証明が『石巻神社 山上社』の灯篭や狛犬に積みあがった小石だと思って眺めるとふわっと微笑んでしまうわけです。
ダイダラボッチの足跡
石巻山の山頂へ向かう途中に「ダイダラボッチの足跡」と呼ばれるまん中がへこんだ大きな岩があるそうです。それは、ダイダラボッチが石巻山上で片足を踏ん張った時の足跡が残ったものと伝える民話が残されています。
その昔、ダイダラボッチが急に小便をしたくなり、石巻山と本宮山に足をかけて小便をした。その時の小便が、勢いよく流れ落ち、大海原へと注がれ、その流れがやがて豊川(とよがわ)になった。
( 石巻山の伝承 | おいでん!石巻 - Oiden! ISHMAKI - )
というお話です。全国各地にある伝説の巨人「ダイダラボッチ」、住まいのある遠州地方にも「浜名湖の手形」という昔話が残っています。
山奥に住むダイダラボッチはとんでもない大男。でも気が優しくて力持ち。ある日、村の子どもたちを自分の手のひらに乗せて遊んでいたら、山の頂に足を引っ掛けて転んでしまいました。投げ出された子どもたちが大泣き。ダイダラボッチも申し訳なさに大泣き。長いこと泣いて気がついたら ダイダラボッチが転んでついた手の跡に涙がたまって浜名湖になっていたとさ。
最後に
愛知県豊橋市石巻町に鎮座する神社『石巻神社』をお詣りしました。今回は標高358mの石巻山の中腹に鎮座する山上社(上社)編でした。
『石巻神社』が式内社で三河国四宮であること、さらに石巻山自体が信仰の対象であったことを、上社・下社の両神社をお詣りし本殿・境内のようすを拝見したり、石巻山に伝わる伝説を知ることで確信することができました。
石巻山周辺には蛇にまつわる伝説が多く残っているし、石巻山自体が信仰の対象だったことなどから、もしかしたら磐座信仰(岩石信仰)だったのではとの推測が、下宮のみの参拝ではわからなかったかもしれません。
やはり石巻山を登ったこと(蛇穴までしか行ってませんが 笑 )で実際にあそこにそびえる大きな岩(多分壊れたお堂の奥に隠れていたであろう壁のような岩)を見て、自分の方に倒れて来るのでは?とすごく圧倒されたし何か事が起きそうな恐怖を感じたからこそ磐座信仰という言葉が頭に浮かびました。
『石巻神社』の参拝以降、大和政権以前、弥生時代よりも前に巨石を御神体として石を神聖視する信仰を想像したり、遠江に現在も天白信仰と思われる神社が多く残っていることなどに思いを馳せたたりしている今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。