sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

みんなで盛り上げる大河ドラマ館ってことで応援イラストをチョークで書いてきた

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

2023年放送予定の「どうする家康」。主役はあの嵐のマツジュンこと松本潤氏ですでに撮影が始まっているそうです。

 

やはり徳川家康といえば、愛知県の岡崎城、静岡県の駿府城がよく知られているのですが、じつは家康がまだ若い29~45才の頃、激しい戦いを生き延びて、やがて江戸幕府を開き現在の平和な時代を築く足がかりを掴んだ浜松城も忘れてはいけません。

 

「どうする家康」ドラマ館建設予定地に描かれた文字

 

 

 

「期待と希望の応援メッセージプロジェクト」

 

住まいのある浜松では、6月25日(土)に令和5年にオープンする大河ドラマ館の建設敷地内で、「期待と希望の応援メッセージプロジェクト」と称して、通路のアスファルトに発光チョークを使って家康公、大河ドラマスタッフ、出演者、過去の大河ドラマまでなど、たくさんのメッセージを描くイベントが開催されました。

 

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参加していいよ!ってことで、まだドラマ館が鉄骨丸見えの建設途中の状態なのに、担当できる広めのアファルトに思い切りチョークで書きなぐり、他の参加者さんの見事なメッセージとは比べ物にはならないお粗末なレベルになってしまったけど、かなり楽しめて気分爽快でした。

 

鉄筋丸見えの「どうする家康」の建設現場のようす


気温高めのこの日、ヘルメットをかぶり水分補給をしながら同居人と共同で完成させたメッセージ。失敗した直虎ちゃんのイラストを見て大笑いしながら、スタッフさんに記念撮影していただいたこと。特別な「冥土のみやげ」になり感謝、感謝です。

 

じつは、6月29日、つまり本日ですが徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松特設サイト「かわら版」コーナーで、メッセージ完成版のドローン等で撮影した写真をアップしてくれる予定ということで、「今か今か」と心待ちにしているところです。

 

浜松城

 

「もちろん家康公が若いころ住んだ浜松城だって、天守閣まで上ってすばらしい市内の景色も眺め家康公の気分を味わってきました。」と言いたいところだけど、坂道がきつく、途中で断念(泣)

 

坂道の途中(富士見台)からでも、話題のドラマ館建設地に描かれた「どうする家康」の文字は確認でき満足!

 

天守閣まで上った同居人は、もうひとつ描かれた「葵の御紋」まで見れたと自慢タラタラ(笑)

 

石垣の上にどっしりとした佇まいの浜松城のようす

 

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浜松『家康の散歩道』

 

今日はこれから浜松城のパンフレットに書かれていた”歩いて感じる”約10キロの大人の足で約2時間の浜松『家康の散歩道』を歩いてみよう!としています。

 

以下はパンフレットから引用させてもらいます。

家康ゆかりの地、伝説を歩いてみませんか?

若き日の家康ゆかりの地、旧跡、名所をめぐるショートトリップ。戦国時代のかすかな息吹を感じられるのでは?

 

【遠州鉄道】の[遠州病院前]からスタートして、15地点の「ゆかりの場所」を約2時間で歩いて回れるそうです。

 

\ペットと一緒のお散歩なら/

 

【遠州鉄道】遠州病院前からスタート


①『二代将軍徳川秀忠公誕生の井戸』

☑場所は新川交番前
二代将軍秀忠が産ぶ湯につかったとされる井戸跡。

  ↓ ②まで約800m(徒歩約10分)

 

②『浜松八幡宮』

☑場所は中区八幡町2

三方原合戦で敗走してきた家康公が逃げ込んだとされる大楠の洞。

  ↓ ③まで約400m(徒歩約5分)

 

③『椿姫(つばきひめ)観音』

☑場所は中区元浜町133

築山御前の義理の従妹で家康と戦い戦死した曳馬城のおんな城主、椿姫の伝説の残る場所。

  ↓ ④まで約600m(徒歩約8分)

 

④『東照宮(曳馬古城址)』

☑場所は中区元城町111-2

浜松城の前身引馬城跡、日光、久能山と同じく家康(権現様)を守るお宮。

  ↓ ⑤まで約1km(徒歩約12分)

 

⑤『五社神社・諏訪神社』

☑場所は中区利町302-5

五社神社は曳馬城主・久野越中守が場内に創建したことに始まると伝えられる徳川家の歴史と深く関わる神社。

諏訪神社は延暦10年(西暦791年)、坂上田村麻呂が東征の砌、敷智郡上中島村奉斎と伝えられる。秀忠公誕生に当たり、五社神社と同じく産土神として崇拝される。

  ↓ ⑥まで約800m(徒歩約7分)

 

⑥『家康公鎧掛松(よろいかけのまつ)』

☑場所は中区元城町103-2

浜松市役所の西側、お城の南側の道路沿いのバス停の前に何となく佇んでいる立派な松。

三方ヶ原合戦より帰城した家康が鎧を脱いで松の枝に掛けたと伝えられている。

  ↓ ⑦まで約50m(徒歩約1分)

 

⑦『浜松城』

☑場所は中区元城町100-2

出世城と呼ばれた浜松城は、天下人となった徳川家康公が、若き頃に戦国の世に名を上げた周辺諸国の名家、今川、武田、織田など巨大な戦国大名に囲まれ、戦い生き延びて天下盗りの夢をつかんだ場所。

徳川15代の礎を築いたお城で、野面積みの石垣が往時を物語る。

資料館を併設した市街地を一望できる天守閣、さらに、浜松市の中心部にありながら、豊かな緑に囲まれた浜松城公園は、浜松城を中心に、日本庭園、中央芝生広場など、市民に憩いの場として親しまれている。

【松韻亭】
浜松城公園の一角に開席された本格的な茶室もあり、グループや団体などによるお茶会にも気軽に利用できる。

【スターバックスコーヒー浜松城公園店】
2020年5月28日に市内13店舗目の「スターバックスコーヒー浜松城公園店」がオープンして話題になった。浜松城公園の自然を生かして作られているため、まるで森林浴をしているかのような気分でコーヒーを楽しめる。

  ↓ ⑧まで約1.6km(徒歩約20分)

 

⑧『本多肥後守忠真(ほんだひごのかみただざね)の碑』

☑場所は中区鹿谷町25-10 犀ヶ崖資料館の南側

三方ヶ原の合戦で、殿(しんがり)をつとめ討死した本多忠勝のおじ忠実の碑。
碑文の題字は16代家達公によるもの。石碑には本多家が代々松平家・徳川家に仕えたことや本多忠真が数々の戦で功績を残したことが記されている。

★2023年放送予定の大河ドラマ「どうする家康」では、本多忠勝を山田裕貴が演じる★

  ↓ ⑨まですぐ

 

⑨『犀ヶ崖古戦場』

☑場所は中区鹿谷町25 浜松城の北側約1kmにある断がい

元亀元年の三方ヶ原の合戦の時、数に勝る武田軍に徳川軍は総崩れになり、家康はなんとか浜松城に逃げ帰る。

一方の武田軍は追撃をやめ、犀ヶ崖付近で陣を張ったため、徳川軍は反撃に出るため”迫る武田軍を、崖に白い布を張り橋がかかっているように見せかけ、夜になったころ、武田具陣営の背後から鉄砲を打ち込み、武田軍を人馬もろとも谷底に落とす”という一計を案じた。

この計画が見事に成功し、武田軍に大損害を与えたのがこの「犀ヶ崖」。

  ↓ ⑩まで約50m(徒歩約1分)

 

⑩『夏目次郎左衛門吉信の碑』

☑場所は中区布橋2丁目 犀ヶ崖古戦場の一角に石碑が建てられている

夏目次郎左衛門吉信は、1563年(永禄6年)の三河一向一揆のときに捕らえられ、処刑されるところを家康の寛大な処置によって助けられた。

これを恩に感じていた吉信は、三方ヶ原の合戦で敗走中の主君家康の身代わりとして武田軍の前に立ちふさがり討死した。

★2023年放送予定の大河ドラマ「どうする家康」で登場するかはまだ不明★

  ↓ ⑪まで約1.1km(徒歩約14分)

 

⑪『普済寺(ふさいじ)』

☑場所は中区広沢1丁目2-1 広沢山(こうたくさん)と号する曹洞宗の寺院でご本尊は釈迦如来。

普済寺は古くから由緒ある寺として徳川氏の保護をうけ、家康も客殿を寄進した。三方ヶ原の合戦当時、浜松城が炎上したかのように見せかけるため、戦略上家康の命令で、火が放たれた。

天正10年(1582)に七堂伽藍が再建されたが、明治30年(1897)火災にあい、その建物も昭和20年(1945)戦災を被った。しかし、その後昭和39年(1964)に再建された。日本3大稲荷の愛知県豊川市の「豊川稲荷」は、浜松市普済寺の末寺になる。

※ちなみに日本3大稲荷は、伏見稲荷大社(京都市)、祐徳稲荷神社(佐賀県)、そして豊川稲荷(愛知県)の3社。

  ↓ ⑫まで約300m(徒歩約4分)

 

⑫『西来院(せいらいいん)』

☑場所は中区広沢2丁目10-1 閑静な住宅地の一角、藤の名所として知られる。

戦国時代の悲劇の女性として知られる徳川家康の正室、築山御前の御所。

正長元年(1428)に開山し、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊とする西来院の墓苑には、築山殿を祀る月窟廟(げっくつびょう)の他、江戸時代の浜松女流歌人・杉浦真崎、森繁子などに墓がある。

三河の岡崎城主、松平氏の嫡男として生まれた家康は、子供の頃、父の松平広忠が庇護を受けていた今川氏に人質に出されていた。

駿府城の今川義元のもとで元服し、義元の姪の築山殿と結婚。長男「信康」と長女「亀姫」をもうけた。

永禄3年(1560)織田信長が義元を奇襲し討ち取った桶狭間の戦いの際、家康は軍の先鋒をつとめ、これを機に岡崎城に帰り城主となり武将として独立した。

永禄5年(1562)尾張の織田信長と同盟を結ぶと、永禄10年(1567)長男の信康は信長の娘、徳姫と結婚。信長の後ろ盾を得て家康は遠江に侵攻して今川氏を駆遂し、浜松城に戻る。このとき、岡崎城の城代となった跡取りの信康とともに、築山殿は岡崎城に残った。

そして、悲劇が起きたのが天正7年(1579)。織田信長が、家康に、築山殿と信康が竹田氏に内通しているとして、2人の処刑を要求。家康はこれに従った。

築山殿は井伊家の血筋を引いていた。今川方に嫁いだ井伊直平(直虎の曾祖父)の娘が、築山殿の母といわれている。

★2017年放送の柴咲コウさん主演の大河ドラマ「おんな城主直虎」では、夫をやり込める築山殿を菜々緒が演じた★

★2023年放送予定の大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家康の正妻築山殿を有村架純が演じる★

  ↓ ⑬まで約1.5km(徒歩約19分)

 

⑬『宗源院(そうげんいん)』

☑場所は中区蜆塚1丁目20-1

宗源院は普済寺十三派の在天派に属する。在城時家康が弓の稽古に励んだといわれる。

室町後期には今川義元の庇護を受け、義元自身が開基としての役割を果たし、再建を行っている。そうした関係を裏付ける資料として、この寺には浜松市の文化財に指定されている今川義元とその子である氏真の判物が残されている。

三方ヶ原の合戦の際、徳川家の武将成瀬藤蔵正義が分選位末に討死・その成瀬正義の五重塔が宗源院の墓苑にある。また、三方ヶ原の合戦で旗手として討死した外山小作正重や浜松城主松平伊豆守信祝が娘の多世姫のために建てたという墓がある。

  ↓ ⑭まで約600m(徒歩約8分)

 

⑭『浜松市博物館』

☑場所は中区蜆塚4丁目22-1

浜松の歴史を伝える博物館。家康に関する史料も多くある。

今年は三方ヶ原の戦いか年の年になるのを記念して10月には特別展「三方ヶ原の戦いと家康伝承」を開催予定

★講談で知る三方ヶ原の戦い~知らぜラル家康の家臣たち~★

令和4年(2022)7月23日(土)午後2時~午後3時30分まで「浜松市博物館展示ホール」で開催予定

申し込みなどくわしくはこちらから>>

スポット展示ー三方ヶ原の戦い450年ー/浜松市

  ↓ ⑮まで約600m(徒歩約8分)

 

⑮『太刀洗いの池』

☑中区佐鳴台5丁目6-1 野中重政が刀を洗ったといわれる池があったのは浜松医療センターが建つあたり。浜松医療センター前に史跡碑(太刀洗の池跡)と説明板あり。

徳川家康の正室・築山御前(つきやまごぜんー瀬名姫)が、長男松平信康の正室である徳姫(織田信長の娘)が信長に送った築山御前と信康の罪を訴える十二ヶ条の訴状によって岡崎城から浜松城に向かう途中、小籔村の佐鳴湖畔「富塚御前谷」で、徳川家康の命により、家康の家臣・野中重政に殺害されたのは天正7年(1579)8月29日。往時には史跡碑の南側に池があったのだとか。

築山御前38才の時のことで、家康との間に生まれた信康も9月15日に二俣城で切腹している。築山御前の遺骸は浜松の西来院に葬られたほか、愛知県岡崎市の八柱神社に築山御前首塚がある。

築山御前と松平信義が武田に内通していたとは考えづらいことから、冤罪であったことはほぼ確実。徳姫と築山御前の不仲、あるいは家康と信義の不仲、はたまた酒井忠次と信康の不仲など異論説があるけれども、真相は定かではないようだ。

 

  ↓ GOAL!!

 

ってことで、いってきまーす。

 

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ちょっと気温高めなのが気になりますが、『家康の散歩道』を歩く様子などもそのうちアップしたいと思います。では、またです。