sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

『浜松家康の散歩道』を歩けば触れられる徳川家康の魅力

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に大いにはまり、毎週日曜BSプレミアム
[18:00]、NHK総合[20:00]毎週土曜NHK総合[13:05]と同じお話を3回も楽しんでいるアラ還世代の私。

 

今後の義時が、どのくらい残酷な人物に変わっていくのか、恐くもあり期待しているところでもあります。

 

ただ、『鎌倉殿の13人』の次に放送を予定されてる大河ドラマ『どうする家康』は、実際に家康と関係の深い浜松という地に住んでいる影響か、それとも、主役があの嵐の松潤という影響かはっきりしませんが、まさに興味津々な状態です。

 

じつは現在密かに、戦国時代を含む室町時代から、安土桃山時代、さらに江戸時代までの歴史を、小学生時代以降はじめて一生懸命勉強しているのです。

 

そこで、無謀にも熱中症アラートが出そうなほど急に暑くなった6月29日に、浜松城でいただいたパンフレットにある歩いて感じる『浜松家康の散歩道』の”城内・城下ルート”を歩いてみたら、歴史上の人物にちょっとだけ触れられたような気がして気分が良かったのです。

 

だから調子こいて、今度は梅雨の戻りかと思われるほど雨続きの日々の中で、唯一青空全開で晴れ渡った7月17日に流れ落ちる汗を拭きながらでしたが”合戦ルート”を実際に歩いてみました。

 

2日掛けての散歩コースになってしまいましたが、私なりに徳川家康という偉大な人物を垣間見れたような気がしています。

 

ということで、今回は実際に歩いた家康ゆかりの地、旧跡、名所のポイントや歴史などをパンフレットを参考にまわり、実際に見た感想なども加筆したいと思います。かなり楽チンコースに変更していますのであしからず。

 

もし、私のようなアラ還世代、さらにシニア世代の方の中で「家康ゆかりの地を回りたい」とお考えの皆さまの参考になれば幸いです。

 

よくご存知かと思われますが、ここ数年は夏が来るたびに最高気温が更新されるほど、ぐんぐん暑くなっています。水分補給や帽子に保冷剤など【熱中症対策】を万全に、できればそれほど気温が上がらない日を選んでお出かけください。

 

家康が17年間居城した野面積みが特徴の浜松城を見上げたようす

 

 

 

歩いて感じる『浜松家康の散歩道』

 

今回は【熱中症対策】しつつ、のんびりと家康ゆかりの地を回れるように、パンフレットとは順番やルート、訪問施設も少し変えての散歩道になっています。

 

まずは、車を浜松城公園の有料駐車場に入れて、あまり時間を気にせず”回れる《城内・城下コース》から始めましょう。

 

その後、浜松の家康と言えば負け戦で知られる『三方ヶ原の合戦』が有名ということで、《合戦ルート》を載せていきます。

 

家康の散歩道《城内・城下コース》

 

楽チンコースなため、まずは浜松城公園の有料パーキングに車を止めてスタート!です。遠州鉄道の赤電やバスを利用することもできますので、元気な方はそちらで回っても問題なしです。

 

①『浜松城』

 

☑場所は中区元城町100-2

徳川15代の礎を築いたお城で、野面積みの石垣が往時を物語る。

 

出世城と呼ばれた浜松城は、天下人となった徳川家康公が若き頃に戦国の世に名を上げた周辺諸国の名家、今川、武田、織田など巨大な戦国大名に囲まれ、戦い生き延びて天下取りの夢をつかんだ場所。

 

徳川家康は1570年に浜松城を築城し、青壮年期29歳から45歳までの17年間を過ごしました。

 

家康が浜松城で過ごした間には、生涯最大の敗戦といわれる『三方ヶ原の合戦』などの苦難を経て多くのことを学び、浜松の地で天下取りの第一歩を歩み始めます。

 

また、江戸時代歴代の浜松城主からは、幕府の要人である「老中」や「京都所司代」等に抜擢される人物が多く輩出されていることから、後に「出世城」と呼ばれるようになり、浜松城をはじめとするいくつかのゆかりの地は「パワースポット」としても注目されています。

 

ゆるキャラグランプリでトップに立ったことが何度もある「家康くん」なら、どなたでもご覧になったことがあるのではないでしょうか?あのおちゃめなお髭の殿様が徳川家康公なんです。

 

浜松城には、資料館を併設した市街地を一望できる天守閣まで上ることができます。

 

さらに、浜松市の中心部にありながら、豊かな緑に囲まれた浜松城公園は、浜松城を中心に、日本庭園、中央芝生広場など、市民に憩いの場として親しまれています。桜の名所としてもよく知られ、桜のシーズンにはたくさんのお花見客で賑わいます。

 

【天守門】


天守門は、天守台の東に位置する櫓門(やぐらもん)で、浜松城の特徴的な存在です。平成26年(2014年)3月に復元されました。

 

【中央芝生広場】


浜松城を背景に広がる芝生広場は、休日には散歩などを楽しんだり、ファミリーでまったりできる広場なため大勢の人で賑わいます。

 

【浜松市茶室 松韻亭】


浜松城公園の一角に開席された本格的な茶室もあり、グループや団体などによるお茶会にも気軽に利用できます。
営業時間:AM10:00~12:00、PM1:00~4:00
利用料金:400円(お菓子付き)
※休館日あり

 

【浜松市美術館】


園内には浜松市美術館があり、常設展の他に企画展も頻繁に行われています。

 

【スターバックスコーヒー浜松城公園店】


2020年5月28日に市内13店舗目の「スターバックスコーヒー浜松城公園店」がオープンして話題になりました。浜松城公園の自然を生かして作られているため、まるで森林浴をしているかのような気分でコーヒーを楽しむことができます。

関連記事>>

浜松は『どうする家康』にちなんだ家康公ゆかりの地をたくさんの人に訪ねて欲しい - sannigoのアラ還日記

 

  ↓ ②まで約50m(徒歩約1分)

 

②『家康公鎧掛松(よろいかけのまつ)』

 

浜松城すぐ近くの「家康公鎧掛松」こちらの松は3代目

 

☑場所は中区元城町103-2

負け戦から逃げ帰り、ひと安心して鎧を掛けたという伝説の松

 

浜松市役所の西側、お城の南側の道路沿いのバス停の前に何となく佇んでいる立派な松が『家康公鎧掛松』。看板があるのですぐにわかります。

 

この松は三方ヶ原の合戦より帰城した家康が、ほっと安心して鎧を脱いで松の枝に掛けたと伝えられていることからその名がつけられました。

 

現在の松は3代目にあたり、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったといわれています。また、当時鎧掛松近くの清水で、合戦で疲れた馬のからだを冷やしたことから、松城町に馬冷(うまびやし)という地名が今も残っています。

 

  ↓ ③まで約250m(徒歩約3分)

 

③『浜松城出丸跡』

 

☑場所は中区松城町214-20

浜松城の防御の要衝、鳥居元忠が守備した

 

現在の中央図書館があった辺りは、浜松城内で「出丸」と呼ばれていました。徳川家康が浜松城にいた頃は」、本丸や二の丸からは独立した施設であったとみられ、南の防御を固める役目を果たしていたと考えられます。

 

出丸を「鳥居曲輪(くるわ)」と記した絵図が知られています。鳥居とは、徳川家康の重臣鳥居元忠のことで、家康の在城時には出丸を守備していたと考えられます。

 

  ↓ ④まで約300m(徒歩約4分)

 

④『五社神社・諏訪神社』

 

現在では七五三の時期は家族連れで賑わう五社神社、年に2度の茅の輪くぐりがあるようす

 

☑場所は中区利町302-5 浜松駅尾西北西約1kmの市街地にある神社で大きな鳥居が目印。

徳川家の歴史と深く関わる子育て神社

 

五社神社はその名の通り、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神としています。

 

五社神社は、戦国時代初期の引馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したことに始まり、後に徳川家康公が浜松城主になり、天正7年(1579年)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生すると、当社を産土神(うぶすながみ:生まれた土地を守護する神)として、家康公の命で現在の地に遷座したと伝えられる徳川家の歴史と深く関わる神社です。

 

諏訪神社は、建御名方命、八坂刀売命、事代命を主祭神として、相殿に徳川家康を祀っています。延暦10年(791年)に坂上田村麻呂が東征の折に、敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まると伝えられます。

 

秀忠公誕生に当たり、五社神社と同じく産土神として崇拝されるようになり、寛永18年(1641年)3代目将軍家光公の命により、現在の五社神社殿の隣に社殿が造営され、遷座しました。

 

徳川家から崇敬されてきた両神社は、昭和35年(1960年)に1つの神社として合祀されました。

 

子守・子育ての神社としての進行も厚く、現在では七五三の時期になるときれいに着飾ったこどもたちやご家族で賑わいます。

 

茅の輪が用意されていた6月末も、初宮参りをされているご家族をお見かけしました。

 

  ↓ ⑤まで約800m(徒歩約7分)

 

⑤『本多忠勝屋敷推定地』

 

☑場所は中区田町231-1

家康公の重臣「徳川四天王」の一人本多忠勝の屋敷があったと伝えられる

 

遠江分器稲荷神社の西側にある本多忠勝屋敷推定地は、徳川家康公が岡崎から浜松城に本拠地を移して以降、その家臣・本多忠勝の屋敷があったと思われる場所です。

 

現在は1本の記念碑が建つのみですが、遠江分器稲荷神社に訪れる方はこちらも訪ねる方が多いようです。

 

本多忠勝は、家康公の重臣の1人であり、後に江戸幕府樹立に貢献した「徳川四天王」のひとり。

 

「徳川十六神将」「徳川三傑」の1人としても数えられ、家康の側近として屈指の剛勇の者としてもよく知られる武将です。通称は平八郎。

 

そんな忠勝が戦場で手にしたのが槍。長さ2丈(約606cm)、刃長1尺4寸4分5厘(約43.7cm)の「蜻蛉切(とんぼきり)」は家康の「守護槍」とも言うべき存在。その活躍ぶりは「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の頭に本多平八」という狂歌・落書が登場したとか。

 

幼い頃から徳川家康に仕え、13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦「大高城兵糧入れ」で初陣します。

 

今川義元が敗死し、家康が今川家から独立し、織田信長との清須同盟締結後、忠勝は上ノ郷城攻めや牛久保城攻めなどに参戦。

 

永禄6年(1563年)の三河一向一揆に徳川方として参戦。三河一向一揆では、多くの本多一族が敵となる中、一向宗(浄土真宗)から浄土宗に改宗して家康側に残り武功を挙げます。

 

元亀3年(1572年)の二俣城の戦いの前哨戦一言坂の戦いでは偵察隊として先行し、武田本軍と遭遇。報告するために撤退しますが、武田軍に追撃され殿軍をつとめ奮戦し、みごとに家康率いる本隊を逃すことができ、撤退戦を無事に完了させました。この時に忠勝が着ていたのが、有名な鹿角脇立の兜(かづのわきたてかぶと)に黒糸威胴丸具足(くろいどおどしどまるぐそく)です。

 

その後の三方ヶ原の合戦では左翼を担い、山形昌景隊と戦い撃退。天正元年(1573年)の長篠城攻めでは、武田軍を破り、長篠城に入り城を守ったり、もちろん長篠の戦い、高天神城奪還戦にも参戦しています。

 

これらの合戦における忠勝の活躍は称賛され、家康からは「まことに我が家の良将なり」「蜻蛉が出ると、蜘蛛の子散らすなり。手に蜻蛉、頭の角のすさまじき。鬼か人か、しかとわからぬ兜なり」と忠勝を詠んだ川柳もあるほど。

 

2023年放送の大河ドラマ「どうする家康」では、本多忠勝役を山田裕貴さんが演じるようで楽しみですね。

 

  ↓ ⑥まですぐ。おとなりですから。

 

⑥『遠江分器稲荷神社(とおとうみぶんきいなりじんじゃ)』

 

☑場所は中区田町232-5

家康公の命により本殿を修造、穀物の神である倉稲魂命を祀る

 

よく見かけるお稲荷さんらしく、金色の狛狐、ずらりと並んだ赤い旗が目を引くのが田町の氏神様とされる遠江分器稲荷神社です。こちらの遠江分器稲荷神社も家康ゆかりの神社になります。


徳川家康が三河から浜松に入った永禄11年(1568年)に創建され、その36年後の慶長9年(1604年)に徳川家康の命により本殿を収蔵したと伝えられます。

 

古くは征夷大将軍の坂上田村麻呂が東夷征伐の折に神馬を奉納し、源頼朝公が神馬と幣帛(へいはく)を奉納し、徳川家康公が松平忠頼に命じて修造したという由緒があります。

 

じつは家康ばかりでなく、征夷大将軍の坂上田村麻呂、同じく征夷大将軍源頼朝ともゆかりのある神社ですし、歴代の徳川家将軍、諸大名、浜松城主に崇敬されたそうですから、まさに武家のパワースポットと言えそうです。

 

残念ながら戦前の社殿は昭和20年(1945年)6月18日の空襲により焼失。現在の美しい社殿は、昭和31年(1956年)本殿、昭和34年(1959年)拝殿が再建されました。

 

こちらの神社が「家康の散歩道」のルートに加わったことを記念して氏子たちが参拝者らへの記念品として手ぬぐいを作ったそうです。

 

こちらの手ぬぐいは西側に屋敷を構えた武将の本多忠勝にちなんだデザインになっており、「一本槍のような気持ちで、道を切り開いて」という願いが込められています。

 

伝統技法のの浜松注染染めで染められ、やりの銘酒だった忠勝にちなんで、背の紋は忠勝が愛用していた「蜻蛉切(とんぼきり)」とう槍から、神社名にある「器」、2体の狛狐から豊かさを連想した「稲穂」を一つに表現しているとか。遠江分器稲荷神社にお越しの際にはぜひご覧になってみてください。

 

  ↓ ⑦まで約200m。(徒歩約3分)

 

⑦『二代将軍徳川秀忠公誕生の井戸』

 

二代将軍徳川秀忠公が産湯をつかったとされる井戸跡のようす

 

☑場所は元城町100-2 遠州鉄道遠州病院駅付近。新川交番前からすぐ。

二代将軍秀忠が産ぶ湯につかったとされる井戸跡。

 

遠江分器稲荷神社から浜松八幡宮へ向かう途中に2代将軍徳川秀忠誕生の時に産湯として使われた井戸水が、このあたりのものという伝承を元に作られた井戸です。

 

ちなみに誕生井戸は、ここの西方約50mくらいのところにあったそうです。昔、その一帯は旧城下であり、家康の在城当時には下屋敷が構えられていました。

 

2代将軍徳川秀忠の生母は家康の側室、西郷の局で秀忠の出産はこの下屋敷でおこなわれたとのこと。

 

その時使われた産湯の井戸を誕生井戸といい、下屋敷が誕生屋敷と呼ばれたことに因んでの命名のようです。

 

  ↓ ⑧まで約800m(徒歩約10分)

 

⑧『浜松八幡宮』

 

浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する浜松八幡宮の鳥居

 

☑場所は中区八幡町2

三方原合戦で敗走してきた家康公が逃げ込んだとされる大楠の洞。

 

浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する浜松八幡宮

 

家康公が三方ヶ原の合戦での敗走時に逃げ込み身を隠した「雲立楠(くもだてのくす)」が今も残る神社で浜松城の鬼門を護る神社でもあります。

 

浜松八幡宮は仁徳天皇の御代(在位:仁徳天皇元年1月3日〜同87年1月6日 機械的な西暦換算によると西暦313年〜399年)に創建されました。

 

天慶元年(938年)に遷座し、永承6年(1051年)に通称 八幡太郎で有名な源義家が八幡2柱を勧請したそうです。

 

その後、元亀元年(1570年)に家康公は浜松城に入城以来、武家の守護神、浜松城の鬼門鎮守・鬼門降伏の氏神として、当宮を信仰し開運招福、武運長久を祈って浜松八幡宮を度々参詣に訪れました。

 

【雲立楠(くもだてのくす)】

 

三方ヶ原の合戦で武田信玄に惨敗して敗走する家康公が洞穴に身を潜めていた「雲立楠(くもだてのくす)」は樹齢1000年を迎える

 

元亀3年(1573年)の三方ヶ原の合戦において、武田信玄に惨敗して敗走する家康公が浜松八幡宮の境内にある「雲立楠(くもだてのくす)」の洞穴に身を潜めていたところ、突然雲が立ち上がり神霊が白馬に跨って浜松城へ飛び立ったのを見て躍進したという伝説。

 

この雲立楠は現在も浜松八幡宮の境内に現存していますので、その樹齢1000年を迎えるびっくりするほど太くて大きな御神木の貫禄をその目でご覧になってみることをおすすめします。

 

びっくりするほど大きな「雲立楠(くもだてのくす)」

 

ここで、かつて家康公がこの御神木に武運を掛けて何度も祈願したと思うと、時の流れを忘れてしまいそうになりますよ。

 

※「遠江淡海(とおとうみあまうみ)」とは、浜名湖の古名で遠江の語源だそうです。

関連記事>>

今年の紅葉はもう堪能されましたか?徳川家康で有名な浜松城もおすすめ。 - sannigoのアラ還日記

 

  ↓ ⑨まで約400m(徒歩約5分)

 

⑨『椿姫(つばきひめ)観音』

 

築山御前の義理の姉妹で家康と戦い戦死した引馬城のおんな城主、椿姫(お田鶴)の伝説の残る「椿姫観音」

 

☑場所は中区元浜町133

「椿姫観音」は、築山御前の義理の姉妹で家康と戦い戦死した引馬城のおんな城主、椿姫の伝説の残る場所。

 

椿姫観音は、夫の引馬城(後の浜松城)主の飯尾連竜の死後、城を守るためにおんな城主として徳川家康と一戦を交え、討ち死にした飯尾連竜(飯尾豊前守)の妻のお田鶴の方を祀る御堂です。

 

家康公の正室、築山殿(瀬名様)はその死を哀れと思い、塚の周囲に百株あまりの椿を植えてお田鶴の方の霊を祀ったそうです。

 

毎年のように、この椿は美しく咲き誇り、いつしか椿塚と呼ばれ、それが「椿姫観音」の由来になったと伝えられています。

 

おんな城主として家康と戦い討ち死にした椿姫はこのように凛々しく華麗なお姿だったかも

 

夫のため、家康公との合戦で討ち死にを果たしたお田鶴の方と侍女18人は、きっとこの地で安らかに眠っていることでしょう。

 

御堂の中には案内音声が流れるようになっているので、聞きたい方はスイッチONして聞いてみてはいかがでしょう。

 

さらに、合掌礼拝のあと優しく触れながら心を込めてご祈祷することで「商売繁盛」「無病息災」「家内安全」「交通安全」「学業成就」などなどまだまだ願い事を叶えてくれるという『祈願石』が置かれています。

 

合掌礼拝のあと優しく触れながら心を込めてご祈祷すると願いが叶うという祈願石

 

ちなみにアラ還世代の代表としてコロナ終息をお願いしておきました。さあ「どうなるコロナ」という感じです。

 

ちなみに、2023年放送予定の大河ドラマ「どうする家康」では、有村架純さんが、ここで登場した心やさしき築山御前を演じるそうです。


  ↓ ⑩まで約600m(徒歩約8分)

 

⑩『元城町東照宮(引馬城跡)』

 

東照宮のお手水には竜の華麗な彫刻に目が釘付けです

 

こちらにも竜の彫刻が。神社のお手水ですからやっぱり龍神なのかも?

 

裏側からで見ずらいのですが屋根の下には眠り猫。

 

☑場所は中区元城町111-2

今川家武将の居城であった引馬城、現在では家康公を祀る東照宮、しかも人気のパワースポットです。

 

浜松城の前身引馬城跡に明治19年(1886年)に建立されました。日光、久能山と同じく家康(権現様)を守るお宮になります。

 

石の鳥居の横に「曳馬城跡」と刻まれた史跡碑があり、かつて浜松城を本拠地として活躍した徳川家康公を祀っています。

 

永禄11年(1568年)に三河から遠江に入った家康公は、今川方の拠点だった引馬城を攻め入城し、城地を拡大し浜松城を築城しました。その後、引馬城の跡地には米蔵十数棟が建てられました。

 

鳥居をくぐり手水舎を見ると、竜の彫刻に目を奪われます。忘れずに天井も見てください。日光東照宮にもある猫の彫刻がこちらにもあります。

 

手水舎で手を清めることも大事ですが、歴史ある建物の場合は建物全体をしっかりと眺めてみるのも楽しいですよ。

 

さあ、お参りです。社殿の扉や屋根を眺めると、そこには三つ葉葵の紋所(もんどころ)が目に入ります。あーあの「この紋所が目に入らぬか!」の紋所です。

※お若い「水戸黄門」を見たことがない方はスルー願います(笑)この紋所さえあれば、ここは家康公の祭神としているお社だと証明できたようなもの。

 

家康公と秀吉公の二大武将の銅像。間に立てば出世パワー全開では?

 

境内にはこの地にゆかりのある家康公と豊臣秀吉の銅像が並んで立っています。

 

お二人の像の間がちょうど人が立てるほど空いていますので、そちらに立って写真を撮ってSNSなどでアップすれば、二大天下人のパワーがもらえるということで一時期人気を博しました。

 

SNSにアップしなくても、出世城と呼ばれる浜松城の前身ということで、パワースポットであることに間違いはないように感じます。お出かけの際は、ぜひお二人の造像の間に立ってみてくだされ♪ by家康くん

 

  ↓ ①まで約700m(徒歩約9分)

 

①浜松城公園の駐車場へ

 


お疲れさまでした。これで、10ヶ所の家安公ゆかりの場所をのんびりまわり、時にお茶して水分補給しながら浜松城公園の駐車場にもどって来ることができました。

 

アラ還の運動不足気味な足でもトータル2時間くらいのウォーキングで9,551歩という結果でした。

関連記事>>

みんなで盛り上げる大河ドラマ館ってことで応援イラストをチョークで書いてきた - sannigoのアラ還日記

 

 

まとめ

 

居住地である静岡は、現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも修善寺などの伊豆方面が多く登場していますし、2023年放送予定の『どうする家康』では、家康の若い頃をドラマ化ということなので、きっと浜松や掛川も登場するのでは!とワクワクしています。

 

と同時に、「チョークでメッセージを書こう」とかの楽しいイベントに参加してみたり、自分で小学校程度の史料で歴史を勉強して想像をたくましくしたりと勝手に楽しんでいます。

 

『おんな城主直虎』放送時も、地元民として興味津々で縁の地を訪ねたりドラマ館にでかけたりで、多少歴史のお勉強になり認知症予防にもなっているのでは!?と喜んでいたのを思い出しました。

 

ってことで、今回は浜松城でいただいた「家康の散歩道」というパンフレットをもとに、熱中症にならない程度の時短コースで楽しんできたので、ぜひ、涼しくなったら皆さまにも散歩コースを回っていただければと、浜松城に車を置いてスタート、そしてぐるりと回って浜松城に戻ってくる《城内・城下コース》からご紹介しています。

 

そして、さらに犀ヶ崖資料館からスタートして駐車場がある施設を中心に回る楽チンなオリジナル《合戦ルート》の記事も今後アップする予定です。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。では、またです。