sannigoのアラ還日記

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『七五三』で賑わう五社神社・諏訪神社は家康公とゆかりの深い神社です

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

先週末は、歴史番組で何度もお見かけしていた教授や歴史学者、さらに徳川家19代当主に、敵対する武田家36代当主が参加された『三方ヶ原の戦いから450年を記念したシンポジウム』を拝見させていただきました。

 

何とも夢心地な時間で、これまで考えられていた「三方ヶ原の戦い」での家康が信玄に戦いを挑んだ理由についてのお話しなどもありで、現在、頭の中がパンパンな状態のアラ還です。

 

実は、このシンポジウムが午後1:30からということもあり、午前中に家康公ゆかりの『五社神社』から『金山神社』そして、『松尾神社』を回っていたのです。

 

家康気分満載の状態で臨めたのが良かったのか、先生たちのお話が白熱していたからか、疲れていたのに1秒たりとも居眠りしませんでした。ちなみに、内容は著作権上の問題でSNS投稿はしないで!とのこと。

 

そこで、今回は午前中に訪ねた家康公ゆかりの、『五社神社・諏訪神社』から『金山神社』そして、『松尾神社』を解説していきたいと思います。

 

七五三やお宮参りで賑わう『五社神社』

 

 

 

◯五社神社・諏訪神社

 

 

 

 

場所:浜松市中区利町302-5

 

《アクセス》

JR:浜松駅より西へ1km(駅より徒歩で約10分)

車:東名浜松ICより約20分

  東名浜松西ICより約20分

駐車場:あり


浜松市中区利町(とぎまち)にある『五社神社』は、浜松駅から徒歩およそ10分の場所にあり、市民からは「五社さま」と親しまれ、徳川家康公とゆかりの深い神社です。

 

江戸幕府2代将軍 秀忠誕生の際、産土神(うぶすながみ)として家康公により天正8年に浜松城内から現在の地に遷座されました。※産土神とは、生まれた土地を守護する神。

 

五社神社は約1500年頃、明応年間のころに浜松城の前身である曳馬城(浜松城)のなかにお祀りされたことが始まりです。そのうちに家康公が入城され、天正7年4月7日に秀忠公がお生まれになり、翌年家康公の命により、常寒山(とこさむやま)に遷されました。

 

大坂の陣の時、秀忠は将軍として江戸に住んでいましたが、戦勝祈願と成就の報告に二度参拝した記録が残っています。

 

5ヶ年の歳月をかけ、昭和57年に竣工した社殿は、京都の平安神宮を思わせる壮大な建物と、日本でも最大級を誇る青銅製の大きな狛犬には驚く方も多いと聞きます。

 

また、家康公の側室西郷局が秀忠を生んだとされる『徳川秀忠誕生の井戸』も遠州鉄道の「遠州病院駅」のすぐそばにあります。天下人の中で唯一浜松生まれの秀忠公を偲んでみてはいかがでしょう。

 

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江戸の建造物に勝る神社

 

家康公の崇敬が厚く、戦勝祈願・安産祈願・お宮参りなどが当時から行われていました。家康公41歳の厄年のご祈祷をされた神社です。

 

厄除けのご祈祷だけでなく、子守り・子育ての神様として知られ、七五三や安産祈願などのご祈祷を受けることができます。また、赤ちゃんの選名もしているため、姓に合ったお名前を選んでくれます。

 

確か七五三は11月だったと記憶していますが、今回訪ねた12月4日もまだ『七五三』できれいに着飾った子どもや、蝶ネクタイにスーツ姿の子ども、『初宮参り』などの家族で賑わっていました。

 

もちろん、初詣の時期もたくさんの方が訪れます。元日の午前零時になると太鼓の合図で「歳旦祭」が行われ、三が日には例年10万人以上の参拝者が訪れ賑わいます。このように五社神社は、浜松全体の守り神として浜松市民に親しまれている神社です。

 

江戸時代の切石の石垣

 

五社神社の切石

 

江戸時代の切石を積み上げた石垣や手水鉢は家光時代のもので、今も家康のゆかりのあるものが残っています。電気のない時代につくられた切石の石垣は、真っ直ぐに切られた石が整然と並び、当時の石工の技術の高さがうかがえます。

 

石になりたや浜松石に

五社のお前の切石に

 

実際に見る切石は、当時の詩にうたわれるほど、見事だったことがわかります。トントンと手作業だったことを思うと、この表面まで平らにきれいにする技術はすごいと感じます。

 

必見の手水鉢は?

 

五社神社の手水鉢

手水鉢の案内板

 

案内板により、徳川三代将軍家光公が(寛永11年)7月にこちらの五社神社に参詣に来られ、時の浜松城主高力忠房が普請奉行として社殿を修造され、完成の後にこの手水鉢を寄進さしたものであることがわかります。

 

手水鉢は花崗岩を素材として、四方に枠取りのない素朴な形式と、水穴深く角を正確に掘られた古式のもので、重要な文化財であることもわかります。

 

この必見の手水鉢は、階段下にあり、『寛永15年、浜松城主、高力摂津守寄進』と彫られた文字が見られます。

 

手水鉢を寄進した高力忠房は、2代将軍秀忠の信任厚く、元服の際「忠」の一字を賜り、忠房と名付けたと言います。温厚篤実なる人格は、領民から敬慕された伝えられます。

 

神社を守る大狛犬

 

まるでシン・ウルトラマンのように撮れた大狛犬

 

神社を守る大狛犬は、全長2mといわれるほど大きな狛犬で日本最大級。青銅製のこの狛犬を目当てに神社を訪れる方も多いとのこと。しかも、”悪いものは吹き飛ばす”ともいわれ人気だそうです。

 

御神岩の「獅子頭石」

 

御神岩の「獅子頭石」

 

 

 

御神岩の「獅子頭石」は、昔から五社神社に伝わるまるで獅子の頭のように見える自然石です。上の写真が「獅子頭石」ですが、いかがでしょう?獅子の頭に見えますでしょうか?私にはしっかりと獅子の頭に見えます。

 

光海霊の御霊の碑(うなてりのみたまのひ)

 

想像したよりも小さめの『光海霊の御霊の碑(うなてりのみたまのひ)』

 

光海霊の御霊の碑(うなてりのみたまのひ)は、賀茂真淵大人が幼少の頃、師と仰いだ五社神社神主森暉昌大人の功績を記した昭和4年建立の顕彰碑です。

 

隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年に法人格を一つとしてあわせておまつりする合祀となりました。現在の豪華な社殿は5カ年の歳月を費やし昭和57年竣工し、2つの神紋が重なって入るのも特徴です。

 

諏訪神社は3代将軍家光公の命により、現在の場所に遷座されたといわれています。

 

五社神社の主祭神は


・太玉尊(ふとたまのみこと)
・武雷命(たけみかずちのみこと)
・斎主命(いわいぬしのみこと)
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
・姫大神(ひめおおかみ)

 

諏訪神社の御祭神は


・建御名方命(たけみなかたのみこと)
・八坂刀売命(やさかとめのみこと)
・事代主命(ことしろぬしのみこと)

 

徳川武将みくじ

 

五社神社で人気の『徳川武者みくじ』はさすがの金色ボックス

 

私の引いた武将みくじは「大吉」でした。

 

五社神社には黄金の徳川武将みくじ(300円)が用意されています。徳川家の家臣や家康公の解説も入っています。うれしいことにスマホやペンケースに貼って楽しめる家紋のシールが入っています。

 

が、なんせおみくじですから、希望の武将の家紋ではないこともありますのでご了承ください。ちなみに、今回私が引いたおみくじは、やはり”家臣”でした。その名は”安藤彦四郎直次”というようですが、徳川初心者ではちょっとわからないお方です。ただ、ちゃんと解説がついていますから大丈夫!

 

もし、この武将みくじを引かれたら、ああこういう武将もいたんだなと思っていただき、中のおみくじの大吉・中吉・小吉から、これからのご自分を占ってみるのも楽しいのでは?

 

『合同特別朱印』も発売中

 

五社神社の御朱印は金ピカの葵の御紋が印象的です

 

また、1月放送をスタートする大河ドラマ『どうする家康』を記念して作られた御朱印も発売中です。

 

中日新聞でも記事になっていましたが、こちらの五社神社、そして北区の井伊谷宮、さらに中区で緑あふれる森に鎮座する八幡宮の3社で、合同制作された豪華な『合同特別朱印』も12月1日から配布中です。

 

金箔の紙に「徳川家康公」などと書かれた御朱印の紙を三社それぞれで用意したとのことで、台紙は各神社で色分けされて無料だそうです。初穂料は500円。

 

それぞれが徳川家となんらかの関係がある3社ということで、ドラマの放送が始まってからは多くの人が訪ねて賑わうことになるでしょう。ちなみに、御朱印帳を持ち歩くタイプの同居人が、五社神社でもちゃっかりGETしていました。

 

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余談ですが、”安藤彦四郎直次”という武将とは?

 

”安藤彦四郎直次”は紀伊国田辺藩初代藩主。官位は従五位下・帯刀先生。1600年(慶長5年)から1616年(元和2年)までは幕府老中を務めています。

 

幼少時代から家康に仕え、姉川、長篠の合戦に参戦。1584年(天正12年)からの小牧・長久手の戦いでは池田恒典の嫡男元助を討ち取り、家康より雪荷の弓を賜っています。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは使番を務め、戦後は年寄に名を連ね家康側近として幕政に参画しました。

 

のち家康の10男頼宣付きの家老に任じられます。その後も大御所家康の側近として駿河政権に参画し、遠江国横須賀藩主・大須賀忠次の後見人にもなっています。

 

1614年(慶長9年)大坂夏の陣では、幼少の頼宣に代わり軍を率いて参戦。この時嫡男重能が討ち死にした際、遺骸を収容せず「犬に喰わせよ」と命じ、軍の立て直しを優先したが、合戦後その死を深く悲しんだといわれています。

 

1617年(元和元年)には遠江掛川城主となりました。1619年(元和5年)頼宣が紀伊和歌山城に移ると、紀州藩家老として移り、同国田辺城に3万8千石の所領を与えられました。

 

頼宣からは深く信任され、後に頼宣は「自分が大名としていることができるのは、直次がいてくれたからだ」とまで述べているそうです。

 

今回引いた『武将みくじ』は、残念ながら徳川家康公のおみくじではなかったけれど、生まれ育った掛川の城主にもなっていて、しかも家康からの信頼も厚く、さらに、家康の10男頼宣からも、絶大なる信任を得ている武将ということで、しばらく仏壇にあげておこうと思います。

 

参照元:ウイキペディア

 

\三方ヶ原の戦いの新説がわかる/

徳川家康と武田信玄 (角川選書 664)

 

◯金山神社

 

場所:浜松市中区栄町9

 

《アクセス》

JR:浜松駅から1.3km (徒歩で約12分)木下恵介記念館の向かい側に位置します。

 

金山神社は、家康とゆかりの深く金運招福、必勝祈願、金属関係業繁栄、恋愛成就、良縁祈願、夫婦和合にご利益があるとされる神社です。

 

浜松の鍛冶集団は、1582年(天正10年)、織田信長と徳川家康が武田氏を滅亡させたことを契機に甲斐国から技術者を移住させたのが起源とされています。

 

金山神社は天正年間(1573~1593年)徳川家康公が浜松城を築城する際、釘鎹(くぎかすがい)・蝶番(ちょうつがい)・飾り金具等を金銅鋼鉄で鋳鍛造するために、城内三の丸に鍛冶集を常駐させ、同時に美濃国(岐阜県)南宮大社より御分霊を勧請し祀ったことが始まりとされます。

 

1615年(元和元年)には、浜松城拡張工事のため、秀忠公の産土神である五社神社を城外に、現在地の常寒山に遷座させ、それに伴い、金山神社も寛永年間(1624年~1644年)、浜松城下の鍛冶町の形成と同時に現在の場所に移ったといわれています。

 

歴代城主の信仰厚く、金銅鋼鉄に関わる商工業者に信仰されましたが、1945年(昭和20年)に戦禍により焼失し、鍛冶町氏子有志により1960年(昭和35年)に再建されたといいます。

 

神社は栄町にありますが、現在も鍛冶町の氏神として信仰を集めています。社務所は通常不在のようですが、15日には氏子さんが詰めてくださるとのことです。

 

御祭神は金山彦神(かなやまひこ)/金山比女神(かなやまひめ)で、鍛冶屋の神、金工職人職神、金物商の神になります。

 

金山神社の鳥居

 

舟形のおおきな物には、案内板も、蛇口も、柄杓も、水もありませんが、きっと舟形の大きな手水鉢だったのだろうと考えます。

 

金山神社の手水鉢でしょうか?変わった形です

 

金山神社の沿革

 

金山神社のお堂

 

下に張ってある飾瓦ですがちょっと変わっていたので、写真に納めてしまいました。よく見ると下の方は狛犬っぽかな?と。グーグルレンズによると「飾瓦狛犬」というものがあるらしいので、「飾瓦狛犬」としておきましょうか?

 

金山神社の瓦にはの御紋と飾瓦狛犬かしら?

 

◯松尾神社(まつのをじんじゃ)

 

場所:浜松市中区元魚町29

 

《アクセス》

JR:浜松駅から750m(徒歩約4分)

 

 

松尾神社の鳥居

 

『三つ葉葵』がそこかしこに見られる由緒正しい神社

 

浜松神社と松尾社を合祀、災難除けと子授けにご利益のある産土神

 

『まつのを神社』と読み、浜松市街地中央にある神社のなかでも歴史が古く、和銅年間(708~715年)の創建と伝わります。

 

当初は浜松城の真南にあり、浜松城を南から守る守り神だった浜松神社を、徳川家康が引間城を拡張した折、松尾社と合祀して社名も『松尾神社』と改め、現在の地に城下を作り移したといわれています。

 

その後は、浜松城の祈願所として歴代城主からは飾松の寄進を受けるとともに、目付役以下の役人が神輿の警護にあたるなど、浜松藩と深い関係がありました。

 

松尾神社の裏に回り、ブロック塀から下を覗くと、そこには「水路」があります。実はこの「水路」は、かつての浜松城の外堀だったのです。浜松城の外堀は現在も「水路」としえ利用され、その形が残されていることがわかります。

 

祭神は、徳川家康をはじめ、白鬚神、厳島姫神で、特に白鬚神は浜松の産土神として人々の崇拝を集め、八方除けの守護神として災難除けにご加護があるといわれています。毎年6月30日に行われる茅の輪くぐりの神事が有名です。

 

おとなりの天満宮

 

天満宮にはなぜか牛?

 

まとめ

 

今回は、家康公ゆかりの地 出世の街浜松『家康の散歩道』というパンフレットに掲載されている《浜松城下ルート》から、初詣や七五三で賑わう「五社神社」、そして、家康公の鍛冶集団が勧請し、鍛冶屋や金工職人、鋳物屋の篤信を集める「金山神社」、さらに、『まつのを神社』と読み、浜松市街地中央にある神社のなかでも歴史が古く、和銅年間(708~715年)の創建と伝わる「松尾神社」を訪ねてみました。

 

「五社神社」は、平安神宮を思わせるほど絢爛豪華な感じで、今回で2回目のお参りでしたが、いつでも賑わっている印象を受けました。が、「金山神社」と「松尾神社」に関しては、閑静な住宅地にあるオアシスのようで、気持ちを填めてくれそうな静寂さがありました。

 

来年放送のNHK大河ドラマ『どうする家康』のキャストや紛争も次々と公開され、地元でも、ドラマ館のイベントや今回のようなシンポジウムや講演会もたくさん開かれています。

 

あとは、1月8日の放送を待つばかり!その前にクリスマスや大晦日、お正月と大きな行事も続きますから、しばらく、この興奮状態が続きそうで怖いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。