🕖2022/12/06 🔄2023/06/14
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
先週末は、歴史番組で何度もお見かけしていた教授や歴史学者、さらに徳川家19代当主に、敵対する武田家36代当主が参加された『三方ヶ原の戦いから450年を記念したシンポジウム』を拝見させていただきました。
何とも夢心地な時間で、これまで考えられていた「三方ヶ原の戦い」での家康が信玄に戦いを挑んだ理由についてのお話しなどもありで、現在、頭の中がパンパンな状態のアラ還です。
実は、このシンポジウムが午後1:30からということもあり、午前中に家康公ゆかりの『五社神社』から『金山神社』そして、『松尾神社』を回っていたのです。
家康気分満載の状態で臨めたのが良かったのか、先生たちのお話が白熱していたからか、疲れていたのに1秒たりとも居眠りしませんでした。ちなみに、内容は著作権上の問題でSNS投稿はしないで!とのこと。
そこで、今回は午前中に訪ねた家康公ゆかりの、『五社神社・諏訪神社』を解説していきたいと思います。
◯五社神社・諏訪神社
場所:浜松市中区利町302-5
《アクセス》
JR:浜松駅より西へ1km(駅より徒歩で約10分)
車:東名浜松ICより約20分
東名浜松西ICより約20分
駐車場:あり
浜松市中区利町(とぎまち)にある『五社神社』は、浜松駅から徒歩およそ10分の場所にあり、市民からは「五社さま」と親しまれ、徳川家康公とゆかりの深い神社です。
江戸幕府2代将軍 秀忠誕生の際、産土神(うぶすながみ)として家康公により天正8年に浜松城内から現在の地に遷座されました。※産土神とは、生まれた土地を守護する神。
五社神社は約1500年頃、明応年間のころに浜松城の前身である曳馬城(浜松城)のなかにお祀りされたことが始まりです。そのうちに家康公が入城され、天正7年4月7日に秀忠公がお生まれになり、翌年家康公の命により、常寒山(とこさむやま)に遷されました。
大坂の陣の時、秀忠は将軍として江戸に住んでいましたが、戦勝祈願と成就の報告に二度参拝した記録が残っています。
5ヶ年の歳月をかけ、昭和57年に竣工した社殿は、京都の平安神宮を思わせる壮大な建物と、日本でも最大級を誇る青銅製の大きな狛犬には驚く方も多いと聞きます。
また、家康公の側室西郷局が秀忠を生んだとされる『徳川秀忠誕生の井戸』も遠州鉄道の「遠州病院駅」のすぐそばにあります。天下人の中で唯一浜松生まれの秀忠公を偲んでみてはいかがでしょう。
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江戸の建造物に勝る神社
家康公の崇敬が厚く、戦勝祈願・安産祈願・お宮参りなどが当時から行われていました。家康公41歳の厄年のご祈祷をされた神社です。
厄除けのご祈祷だけでなく、子守り・子育ての神様として知られ、七五三や安産祈願などのご祈祷を受けることができます。また、赤ちゃんの選名もしているため、姓に合ったお名前を選んでくれます。
確か七五三は11月だったと記憶していますが、今回訪ねた12月4日もまだ『七五三』できれいに着飾った子どもや、蝶ネクタイにスーツ姿の子ども、『初宮参り』などの家族で賑わっていました。
もちろん、初詣の時期もたくさんの方が訪れます。元日の午前零時になると太鼓の合図で「歳旦祭」が行われ、三が日には例年10万人以上の参拝者が訪れ賑わいます。このように五社神社は、浜松全体の守り神として浜松市民に親しまれている神社です。
江戸時代の切石の石垣
江戸時代の切石を積み上げた石垣や手水鉢は家光時代のもので、今も家康のゆかりのあるものが残っています。電気のない時代につくられた切石の石垣は、真っ直ぐに切られた石が整然と並び、当時の石工の技術の高さがうかがえます。
石になりたや浜松石に
五社のお前の切石に
実際に見る切石は、当時の詩にうたわれるほど、見事だったことがわかります。トントンと手作業だったことを思うと、この表面まで平らにきれいにする技術はすごいと感じます。
必見の手水鉢は?
案内板により、徳川三代将軍家光公が(寛永11年)7月にこちらの五社神社に参詣に来られ、時の浜松城主高力忠房が普請奉行として社殿を修造され、完成の後にこの手水鉢を寄進さしたものであることがわかります。
手水鉢は花崗岩を素材として、四方に枠取りのない素朴な形式と、水穴深く角を正確に掘られた古式のもので、重要な文化財であることもわかります。
この必見の手水鉢は、階段下にあり、『寛永15年、浜松城主、高力摂津守寄進』と彫られた文字が見られます。
手水鉢を寄進した高力忠房は、2代将軍秀忠の信任厚く、元服の際「忠」の一字を賜り、忠房と名付けたと言います。温厚篤実なる人格は、領民から敬慕された伝えられます。
神社を守る大狛犬
神社を守る大狛犬は、全長2mといわれるほど大きな狛犬で日本最大級。青銅製のこの狛犬を目当てに神社を訪れる方も多いとのこと。しかも、”悪いものは吹き飛ばす”ともいわれ人気だそうです。
御神岩の「獅子頭石」
御神岩の「獅子頭石」は、昔から五社神社に伝わるまるで獅子の頭のように見える自然石です。上の写真が「獅子頭石」ですが、いかがでしょう?獅子の頭に見えますでしょうか?私にはしっかりと獅子の頭に見えます。
光海霊の御霊の碑(うなてりのみたまのひ)
光海霊の御霊の碑(うなてりのみたまのひ)は、賀茂真淵大人が幼少の頃、師と仰いだ五社神社神主森暉昌大人の功績を記した昭和4年建立の顕彰碑です。
隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年に法人格を一つとしてあわせておまつりする合祀となりました。現在の豪華な社殿は5カ年の歳月を費やし昭和57年竣工し、2つの神紋が重なって入るのも特徴です。
諏訪神社は3代将軍家光公の命により、現在の場所に遷座されたといわれています。
五社神社の主祭神は
・太玉尊(ふとたまのみこと)
・武雷命(たけみかずちのみこと)
・斎主命(いわいぬしのみこと)
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
・姫大神(ひめおおかみ)
諏訪神社の御祭神は
・建御名方命(たけみなかたのみこと)
・八坂刀売命(やさかとめのみこと)
・事代主命(ことしろぬしのみこと)
徳川武将みくじ
五社神社には黄金の徳川武将みくじ(300円)が用意されています。徳川家の家臣や家康公の解説も入っています。うれしいことにスマホやペンケースに貼って楽しめる家紋のシールが入っています。
が、なんせおみくじですから、希望の武将の家紋ではないこともありますのでご了承ください。ちなみに、今回私が引いたおみくじは、やはり”家臣”でした。その名は”安藤彦四郎直次”というようですが、徳川初心者ではちょっとわからないお方です。ただ、ちゃんと解説がついていますから大丈夫!
もし、この武将みくじを引かれたら、ああこういう武将もいたんだなと思っていただき、中のおみくじの大吉・中吉・小吉から、これからのご自分を占ってみるのも楽しいのでは?
『合同特別朱印』も発売中
また、1月放送をスタートする大河ドラマ『どうする家康』を記念して作られた御朱印も発売中です。
中日新聞でも記事になっていましたが、こちらの五社神社、そして北区の井伊谷宮、さらに中区で緑あふれる森に鎮座する八幡宮の3社で、合同制作された豪華な『合同特別朱印』も12月1日から配布中です。
金箔の紙に「徳川家康公」などと書かれた御朱印の紙を三社それぞれで用意したとのことで、台紙は各神社で色分けされて無料だそうです。初穂料は500円。
それぞれが徳川家となんらかの関係がある3社ということで、ドラマの放送が始まってからは多くの人が訪ねて賑わうことになるでしょう。ちなみに、御朱印帳を持ち歩くタイプの同居人が、五社神社でもちゃっかりGETしていました。
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余談ですが、”安藤彦四郎直次”という武将とは?
”安藤彦四郎直次”は紀伊国田辺藩初代藩主。官位は従五位下・帯刀先生。1600年(慶長5年)から1616年(元和2年)までは幕府老中を務めています。
幼少時代から家康に仕え、姉川、長篠の合戦に参戦。1584年(天正12年)からの小牧・長久手の戦いでは池田恒典の嫡男元助を討ち取り、家康より雪荷の弓を賜っています。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは使番を務め、戦後は年寄に名を連ね家康側近として幕政に参画しました。
のち家康の10男頼宣付きの家老に任じられます。その後も大御所家康の側近として駿河政権に参画し、遠江国横須賀藩主・大須賀忠次の後見人にもなっています。
1614年(慶長9年)大坂夏の陣では、幼少の頼宣に代わり軍を率いて参戦。この時嫡男重能が討ち死にした際、遺骸を収容せず「犬に喰わせよ」と命じ、軍の立て直しを優先したが、合戦後その死を深く悲しんだといわれています。
1617年(元和元年)には遠江掛川城主となりました。1619年(元和5年)頼宣が紀伊和歌山城に移ると、紀州藩家老として移り、同国田辺城に3万8千石の所領を与えられました。
頼宣からは深く信任され、後に頼宣は「自分が大名としていることができるのは、直次がいてくれたからだ」とまで述べているそうです。
今回引いた『武将みくじ』は、残念ながら徳川家康公のおみくじではなかったけれど、生まれ育った掛川の城主にもなっていて、しかも家康からの信頼も厚く、さらに、家康の10男頼宣からも、絶大なる信任を得ている武将ということで、しばらく仏壇にあげておこうと思います。
参照元:ウイキペディア
\三方ヶ原の戦いの新説がわかる/
まとめ
今回は、家康公ゆかりの地 出世の街浜松『家康の散歩道』というパンフレットに掲載されている《浜松城下ルート》から、初詣や七五三で賑わう「五社神社」を訪ねてみました。
「五社神社」は、平安神宮を思わせるほど絢爛豪華な感じで、今回で2回目のお参りでしたが、特にイベントがなくてもいつでも賑わっている印象を受けました。
来年放送のNHK大河ドラマ『どうする家康』のキャストや紛争も次々と公開され、地元でも、ドラマ館のイベントや今回のようなシンポジウムや講演会もたくさん開かれています。
あとは、1月8日の放送を待つばかり!その前にクリスマスや大晦日、お正月と大きな行事も続きますから、しばらく、この興奮状態が続きそうで怖いです。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。