sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

金色の狛狐が出迎えてくれる家康公ゆかりのお稲荷さん『遠江分器稲荷神社』

🕖2023/01/20  🔄202302/07

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回は浜松市中区田町の住宅地にあるお稲荷さん『遠江分器稲荷神社』を訪ねてみました。もちろんこちらの神社も徳川家康公とのゆかりのある神社です。

 

そして、何よりも興味深かったのは、あの『蜻蛉切』で有名な徳川四天王の一人本多忠勝の屋敷があったと推定される場所が神社のすぐ西側にあることです。

 

現在放送中の大河ドラマ『どうする家康』では、本多忠勝を山田裕貴さんが演じていらっしゃいます。

 

初回放送では、12歳の忠勝が、戦から逃げようとする家康公を大声で諌め、海に流される家康の肩をグイと掴んで救っていました(笑)。次回予告では『本多平八郎忠勝、討ち死に」と埋葬される忠勝の姿も映ったりして大注目されています。

 

では、さっそく徳川家康の命により修繕されたと伝わる『遠江分器稲荷神社(とおとうみぶんきいなりじんじゃ)』の場所から解説していきます。

 

赤い旗が目立つ遠江分器稲荷神社の本殿

 

 

遠江分器稲荷神社

 

入口から見た遠江分器稲荷神社のようす

 

金色の狛狐は初めて見たので感動しました。

 

田町の住宅街にある金色の狛狐と、ずらりと並んだ赤い旗が迎えてくれる遠江分器稲荷神社は、歴代徳川家将軍、諸大名、浜松城主をはじめ、多くの人々から崇敬されていたといいます。

 

神社の西側には家康の重臣・徳川四天王の一人として大活躍した本多忠勝の屋敷があったと伝わっており、現在も近くに屋敷の推定地の標識が立っています。

 

 

 

場所:中区田町232-5 周囲には飲食店が多い印象を受けました。

 

《アクセス》

JR東海道:浜松駅から徒歩約10分

遠州鉄道:第一通り駅から徒歩約5分
     遠州病院駅から徒歩3分

車で東名高速道路浜松ICより約20分

  東名高速道路浜松西ICより約25分

駐車場:なし

浜松城公園から徒歩約13分:

通常は浜松城公園の有料駐車場を利用できます。2023年1月22日~2024年1月14日の土日祝は大河ドラマ館開館時期のため、浜松城公園駐車場が使用できません(公園利用者含む)

2023年は浜松城に隣接した「大河ドラマ館」に立ち寄る方も多いでしょう。ドラマ館には駐車場がありません。車でお越しになる場合は「大河ドラマ館」連携の指定有料駐車場を利用することで、「大河ドラマ館」ご来館時に一律300円分の駐車料金のサービスが受けられます。詳しくはこちら>>

どうする家康 浜松 大河ドラマ館 提携駐車場サービスについて|大河ドラマ館|徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松

御朱印:300円を賽銭箱に入れ、上にあるBOXから御朱印をいただくという仕組みになっていました。

 

こちらの神社は社伝によると徳川家康が三河から浜松に入った1568(永禄11)年に創建され、その36年後1604年(慶長9年)に徳川家康の命により本殿を修造したと伝えられています。

 

残念ながら戦前の社殿は昭和20年6月18日の空襲により焼失しており、現在の美しい姿は昭和31年(本殿)、34年(拝殿)に再建されたものとなります。

 

祭神は古事記に登場する宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。「稲に宿る神秘的な精霊」という意味で、五穀・食物を司る神様。分器とは古い地名で、昔の度量衡を意味し、あたりには尺貫法の元締めとなる役人の住居があったそうです

 

また、社伝によれば古くは許免社(こめしゃ)と呼ばれ、許免とは「コメ」と読み米のことを意味し、22代清寧天皇の御代に天竜河原開墾のため勧請されたともされています。一度は三組町の『浜松秋葉神社』に合祀された経緯もありますが、明治11年6月20碑にその再興が許されたそうです。

浜松秋葉神社もここから近いです>>

『井伊の赤備え』発祥の地として知られる『浜松秋葉神社』の御朱印はお菓子つき!? - sannigoのアラ還日記

 

神社が創建された頃、こちらの場所は中世東海道沿いに栄えていた引間宿の南限にあたり、経済の中心としてたいへん賑わっていました。名残として、道路と参道が斜めに配置されています。

 

家康が在城17年のうちに引間城(浜松城)を拡大し、堀尾吉晴や江戸初期の譜代大名が城下を大改造した後、引間宿は解体されて跡地は武家屋敷になりました。

 

本多忠勝の屋敷推定地

 

遠江分器稲荷神社前の『稲荷通り』

 

神社西側の本多忠勝屋敷推定地の標識

 

神社の西側には家康の重臣・徳川四天王の一人として大活躍した本多忠勝の屋敷があったと伝わっており、現在、近くには屋敷の推定地の標識も立っています。

 

このような場所に位置していた稲荷神社は、歴代徳川家将軍、諸大名、浜松城主をはじめ、多くの人々から崇敬されていたそうです。

 

古くは征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐の折に神馬を奉納。源頼朝公が神馬と幣帛(みてぐら)を奉納し、家康公が松平忠賴に命じて修造したという由緒があります。

※幣帛とは神に奉納する物の総称

 

大河ドラマ『どうする家康』の放送を控え、2021年5月には氏子たちでオリジナルの手ぬぐいを作り話題になりました。

 

開運願う『蜻蛉切』手ぬぐい

 

ちょっとブレていますが話題の『蜻蛉切』手ぬぐい

 

手ぬぐいは、縦36cm、横90cmで、地元特産の浜松注染そめで染めています。やりの名手だった忠勝にちなんだデザインとして、背の紋は忠勝が活用した「蜻蛉切(とんぼきり)」というやりから「とんぼ」、神社名にもある「器」、二体の狛狐(こまぎつね)から豊かさを連想した「稲穂」を一つに表現しています。

 

手ぬぐいは当面毎月12日に道神社で開く「月次祭」で正午から午後5時に1枚1000円で販売しているそうです。

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まとめ

 

今回私が訪ねた家康公ゆかりのお稲荷さんは『遠江分器稲荷神社』です。街中の住宅街の中にありますので、車でのお出かけはちょっと難しいと思われます。

 

街中の駐車場に車を停めても歩いていける『浜松城』にも近く、先日記事にアップした『浜松秋葉神社』も一緒にウォーキング気分で訪ねることができるのでおすすめです。

 

ちなみに、こちらの『遠江分器稲荷神社』は社伝によると、徳川家康が三河から浜松に入った1568(永禄11)年に創建され、その36年後1604年(慶長9年)に徳川家康の命により本殿を修造したと伝えられていることから、やはり家康公ゆかりのお稲荷さんと言えそうです。

 

注目していただきたいのは、生涯をかけて徳川家康に奉公し徳川幕府の基盤を築いた武将『本多忠勝』の屋敷があったちと推定される地が、このお稲荷さんの西側にあることです。

 

徳川四天王の一人で、蜻蛉切を振り回し生涯57回もの戦闘に参加しながらも、傷一つ負わなかったという逸話を残す武将がここに住んでいたかも!?と考えるだけでワクワクしてしまいました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。