sannigoのアラ還日記

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目の霊山『油山寺』はまるで公園のような広さで自然にあふれています

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の地元の神社・仏閣は、目の霊山として知られる『油山寺』です。ちょうどでかけたのが昨年の12月15日、今が盛りともいうべき紅葉の最盛期の中、まるで自然公園のような広い境内を思い切り楽しむことができました。次の日は筋肉痛でしたが・・・。

 

ところで、歴史好きな方ならきっとご覧になっていたであろう、昨年放送の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。話題になることも多く、『鎌倉幕府』のことを知るいい機会になりましたよね。

 

その大河で源頼朝公を演じていたのが大泉洋さん。「全部大泉のせい」なんて言われたりしていましたが、頼朝公が眼病にかかっていたとは知りませんでした。

 

というのも、源頼朝公は1190年(建久元年)眼病平癒のお礼として、この油山寺に『薬師本堂』と『三重塔』を寄進されていたんです。さらに、その後、1738年(元文3年)に病気平癒のお礼にと『薬師本堂』の再建を行ったのは、八代将軍の徳川吉宗公と伝えられているというではありませんか。

 

今年の大河ドラマは『どうする家康』ですから、まんざら、再建を行った徳川吉宗公も関係なくもないと言えるのでは?

 

初詣とは年神様のいらっしゃる「松の内」の間に行くのが一般的で関東では元旦から7日まで、京都や滋賀では15日の小正月までを指すことが多いようです。

 

ただ、ちょっと人混みは遠慮したい気持ちもあった2023年、まだ初詣にお出かけでないようでしたら、こちらの遠州三山のひとつでもある『油山寺』がおすすめです。

 

目や足腰にご利益があるのはもちろんですが、広くて高低差もあり谷川のせせらぎを聞きながら『油山寺』を散策すれば、身も心も健康的になること間違いなしです。

 

すべての人の穏やかな暮らしと無病息災を祈り『薬師如来』をお祀りする油山寺

 

 

目の霊山『薬王院油山寺(ゆさんじ)』

 

行基菩薩による開山から1300年余。

目や足腰にご利益があると、親しまれてきた遠州三山のひとつ『医王山薬王院油山寺』は、701年(大宝元年)に行基菩薩によって開山され薬師瑠璃光如来をご本尊としてお祀りする真言密教の古刹です。

 

すべての人の穏やかな暮らしと無病息災を祈り、行基菩薩が本尊の薬師如来を奉安されたそうです。

 

油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来しているとのことです。

 

 

 

場所:静岡県袋井市村松一番地

 

《アクセス》

東名袋井ICから車で約15分

JR袋井駅から車で15分

駐車場:200台あり

トイレ:あり

公開:6:00~18:00

営業:7:00~17:00

休業:無休

場内参拝は無料
 ※拝観300円(書院や宝生殿などの堂内、奉納された薬師三千仏を拝観できます)
 ※写経や写仏は1000円
 ※御朱印300円

 

目の仏として信仰される油山寺

 

このるりの滝の霊水で眼を洗ったところ、孝徳天皇の病気が全快した

 

るりの滝の説明板にはおよそ1200年前の孝徳天皇が眼の病気の話が書かれています

 

天平勝宝元年(749)、孝徳天皇が眼の病気を患った際、油山寺の本尊である薬師如来に眼病平癒を祈願されました。

 

境内を流れる「るりの滝」に加持祈願を行い、この霊水で眼を洗ったところ、病気が全快したといいます。このことから、油山寺は孝謙天皇より勅許を受け、勅願寺となったとのことです。

 

その後、歴代の天皇をはじめ諸大名からも尊信を厚く受け、境内には眼病平癒の御札として寄進された建築物が数々残っています。

 

現在も眼を守護する仏様、または心の病を癒し心眼を開く「心身安楽」の仏様をおまつりするお寺として、人々から深い信仰を集めています。

 

また、一山の守護神『軍善防大権現』は、足腰の神として古来より東海道を往来する旅人の信仰を集めていたそうです。

 

県指定天然記念物『御霊杉(みたますぎ)』

 

県指定天然記念物『御霊杉』は、幹が松、枝葉が杉という珍しい木

 

駐車場からも見える県指定天然記念物『御霊杉』、まずはこちらを見上げてみましょう。

 

山門手前の東側にある『御霊杉』は、幹が松、枝葉が杉という珍しい木で、弘法大師ゆかりの伝説が残されています。

 

《弘法大師ゆかりの伝説》

 

お大師様が油山寺に滞在されていた際、貧しい村民の子どもが病に苦しんでいました。

お大師様が法力によって子どもを助けたところ、両親はお礼に夫が松の木、妻が杉の木で作った一膳の箸を捧げたそうです。

お大師様が油山寺を旅立つ際、その箸を地に挿したところ、不思議と箸から芽が出て、幹が松の木、枝葉が杉の木という珍しい木になったと伝えられています。

 

引用元:重要文化財のご案内 | 目の霊山 油山寺

 

国の重要文化財指定 山門の屋根の最上部を飾る『鯱鉾』

 

元は掛川城の大手門だった山門、屋根の最上部を飾る『鯱鉾』は国の重要文化財

 

山門の説明板には城門の姿を残しているとあります

 

油山寺の駐車場から歩いていくとまず目に飛び込んで来るのが、入り口に構える『山門』です。こちらの山門は、元は掛川城の大手門だったとのこと。

 

掛川城といえば、駿河国の戦国大名今川氏親が遠江国への進出の足がかりとして1513年(天正10年)に築かせたお城です。しかも、桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれたあと、勢いを失った今川家の氏真が籠った城としてもよく知られています。

 

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1659年(万治2年)に井伊直好(いいなおよし)によって建てられ、1873年(明治6年)廃城令の際に城主であった太田備中守が眼病平癒のお礼として、油山寺に寄進し移築されたそうです。


一層の屋根が表裏にある二層片潜付城門は、全国的にも珍しい造りといわれています。

屋根の最上部を飾る『鯱鉾(しゃちほこ)』は江戸時代初期の名作といわれ、国の重要文化財に指定されています。

 

鯱鉾は現在、油山寺方丈(油山寺の御朱印やお守り、祈祷の受付をしています)で見ることができます。1971年(昭和46年)山門の復元修理が行われたそうです。

 

1300年の歴史を持つ油山寺ですから、このように大切に守り続けてこられた重要な文化財や天然記念物がいくつかあります。

 

県重要文化財指定『薬師本堂』

 

油山寺薬師本堂を下から見上げたようす



油山寺薬師本堂にはご本尊の薬師如来が祀られています

 

本堂には、ご本尊の薬師如来と、油山寺の守護神である『軍善坊大権現(ぐんぜんぼうだいごんげん)』がお祀りされています。

 

1190年(建久元年)源頼朝公から眼病平癒のお礼として三重塔と共に寄進され、寵臣の工藤祐経(すけつね)が普請奉行に当たったといわれています。その後、1738年(元文3年)に八代将軍の徳川吉宗公が、病気平癒のお礼に本堂の再建を行ったと伝えられています。

 

江戸時代中期の貴重な建築物として県の重要文化財に指定された後、1971年(昭和46年)に文化庁の指導の下、修理が行われたそうです。

 

国指定重要文化財『本堂内薬師如来厨子』

 

菊の御紋が輝く金色の『宮殿厨子』は、山頂の薬師本堂内で見ることができます。

 

今川義元公より寄進され、中には秘仏である本尊の『薬師如来』が安置されています。薬師如来像は秘仏のため100年に一度の御開帳でしか拝むことができないようです。

 

『宮殿厨子』は室町時代の名作ともいわれ、梁の上を飾る山形の優美な蟇股(かえるまた)が特徴的です。

 

蟇股とは横木(梁・桁)に設置し、荷重を分散して支えるために、下側が広くなっている部材です。そのシルエットが蛙の股のように見えることから「蟇股」と呼ばれるようになったそうです。

 

天正年間(1572年~1592年)に扉の修理を行った記録が残されているため、それ以前に建立されたことがわかります。

 

1967年(昭和42年)に文化庁の指導の下、全解体と復元を行い建立当初の美しい姿を取り戻しています。

 

 

国指定重要文化財『三重塔』

 

紅葉に映える三重塔

 

三重塔の説明板には桃山時代の三名塔のひとつとあります

 

1190年(建久元年)に源頼朝公から源病平癒のお礼として『薬師本堂』と共に建立されたのがこの『三重塔』です。

 

その後、頼朝の重臣であった工藤祐経(くどうすけつね)が薬師如来堂と同じく、普請奉行に当たったと伝えられています。一説によると、戦国時代の兵火にさらされ、安土桃山時代から江戸時代後期味かけて再建したといわれています。

 

豪壮な木割や強大な相輪、屋根の美しい反り、屋根を支える複雑な枡組(ますぐみ)など、桃山時代の特徴をよく表しており、滋賀県の長命寺と京都府の宝積寺(ほうしゃじ)の三重塔と共に「安土桃山期の三名塔」の一つに数えられています。

 

塔の高さはおよそ23メートル、上層は禅宗様式と大仏様式を用い、中下層は和洋式で作られています。上層にいくほど塔身が細くなるよう設計されており、安定感のある美しい塔です。中には弘法大師の作である金剛界大日如来を安置しています。

 

全解体修理を1967年(昭和42年)に行い、1969年(昭和44年)に復元が完了したそうです。

 

県指定重要文化財『方丈』

 

『方丈』の軒に飾ってある世界一の大念珠

 

世界一の大念珠の説明板

宝生殿の東側にある『方丈』は、現在油山寺の御朱印やお守り、祈祷の受付もしていますが、実は遠州浅羽の代官であった仁科宇兵衛(にしなうへい)によって1764年(宝暦14年)に建立されたものです。鯱鉾や、長さ120m、重さ250kgの世界一の大念珠を見ることができます。

 

県指定重要文化財『書院』

 

宝生殿の西側にある書院は、元は遠州の横須賀城内に立っていたものです。1699年(元禄12年)に建立され、1859年(安政6年)に藩主の西尾隠岐守より油山寺に寄進されました。

 

現在の書院は1979年(昭和54年)に文化庁の指導の下、創建当初の姿に復元修理したものです。天井や床の間横の脇床、違棚の筆返しなど、随所に優美な技巧が見られます。

 

栄西禅師像

 

茶祖栄西禅師尊像

 

中国から日本にお茶を伝えたという栄西禅師。平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で臨済宗の開祖です。禅師の功績をたたえると共に静岡県の名産である茶業の繁栄を祈り、1950年(昭和25年)に立像が建立されました。

 

台座からの高さは約10メートル、国内の禅師像の中でも最大級の大きさで、漆喰細工で有名な伊豆の長八の愛弟子から指南を受けた下村聲峰氏が築造したそうです。

 

右手にお茶の製法と効能などを記した「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を持ち、左手にお茶の種を持っているそうです。

 

毎年5月5日には、栄西禅師の功績を広く伝える『栄西禅師祭法要献茶式』が開催されています。

 

《栄西禅師とお茶栽培の始まり》


栄西禅師は宋に渡って禅を学び、1191年(建久2年)に帰国して臨済禅と抹茶法を日本に伝えました。

 

中国から持ち帰ったお茶の種を、九州の博多と脊振山(せふりさん)、京の栂尾山(とがおさん)にいた明恵上人に送り、各地で植えられたことが日本のお茶栽培の始まりと伝えられています。

 

健足の神様が守る山

 

油山寺は眼の仏様だけでなく、足の神様が祀られているお寺としても全国から多くの方がご祈祷、ご参拝に訪れるといいます。

 

油山寺の守護神である軍善坊大権現(ぐんぜんぼうだいごんげん)は、天狗の姿をした健足の神様です。古くから足腰の病に霊験あらたかであると伝えられています。

 

御朱印(初穂料300円)

 

遠州三山の御朱印、真ん中が油山寺でいただいたかわいいうさぎの御朱印です

 

こちらの油山寺でも同居人が御朱印をお願いしたため、かわいいうさぎの御朱印をいただきました。御朱印帳には、下記引用の『目の霊山 油山寺 ご本尊参拝之証』を挟んでくださいました。

 

昔、お醫(医)者さまのことを薬師(くすし)とお呼びし、お薬師さまは、身の病、心の病を癒して下さる醫者の仏さまです。

 

また、宝生殿(祈祷所)には、身代わり不動明王「伝、智証大師昨」が祀られ、一山の守護神、軍善坊大権現は、足、腰、にご利益あらたかな健足の神として信仰されています。


御朱印は御本尊さまの分身です。日々ご精進され、心身安楽 心豊かにお過ごしください。またのご来山をお待ち申し上げます。

 

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まとめ

 

今回の地元の神社は、昨年末に訪れた遠州三山の一つ『油山寺』です。

 

行基菩薩による開山から1300年余。目や足腰にご利益があると、親しまれてきた遠州三山のひとつ『医王山薬王院油山寺』は、山全体が油山寺の霊域ということで、境内全部を回るにはハイキングかトレッキングの支度をしたほうが良さそうなほど広く、坂道も多いお寺です。

 

もちろん、運動不足の私などは参拝した次の日は筋肉痛まっしぐらです。参拝してわかった油山寺は、木々が豊かに茂り、谷川の水がせせらいでいるためどこかの自然公園に来てしまったかと錯覚するほどです。

 

これは、油山寺があえて訪れる人の心が安らぐ場所であるようにと、奈良時代の昔から姿を変えることなく今に残そうと努めていらっしゃるからだそうです。

 

油山寺が、眼病にご利益があると知ったのは数十年も前になります。持病で眼の調子が悪いため何度も訪ねようと思ったし、近くまでは出かけていたのです。

 

ところが、なにせ遠州三山には『厄除けだんご』という名のおいしい名物だんごがある『法多山』があり、ついついそちらへ足が向いてしまい、訪ねるのが今頃になってしまいました。

 

でも、1回訪ねただけで虜になってしまうほど、自然にあふれた慈悲深いお寺さんでした。ということで、今回はこのへんでおしまい!

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。