sannigoのアラ還日記

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今川領の遠江へ侵攻を始める途中家康は「奥山方広寺」に立ち寄った!

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回の家康ゆかりの地は、東海地方を代表する禅寺としても有名な『奥山方広寺』です。

 

さて、徳川家康との関係は?といいますと、1568年(永禄11年)家康は、岡崎城から今川領であった遠江へ侵攻を始めます。その途中で、井伊の三人衆(菅沼忠久、近藤康用、鈴木成時)に道案内をさせ、こちらの方広寺に立ち寄ったと伝えられています。

 

方広寺の近くには、家康が陣を敷いたことに由来し『陣座峠(じんざとうげ)』と呼ばれる峠道があります。

 

また後に、浜松城主となった家康は1580年(天正8年)に方広寺の寺領安堵を約束します。その時の書面が現存し、方広寺に残っているといいます。もちろん、しっかりと家康の花押(かおう)も記されているそうです。

 

『奥山方広寺』は臨済宗方広寺派の大本山で、別名奥山半僧坊とも呼ばれ、地元民にはかなり大きな『大あんまき』で知られています。

 

愛知県の方ならよくご存知でしょうが、どら焼きのような生地で、意外とあっさりとしたアンコをたっぷりとはさんだスイーツです。方広寺の入り口手前にあるので、一度お試しあれ。ということで、ではさっそく『深奥山方広寺』をお参りしていきましょう。

 

深い緑の中にたたずむ奥山方広寺の三重塔は美し過ぎます

 

 

深奥山方広寺(じんのうざんほうこうじ)

 

深奥山方広寺は奥山半僧坊で知られ、全国的にも信仰を集める名刹です。直虎が女城主として守った幼い跡取りの虎松、後に徳川四天王として名を馳せた井伊直政の実母の出身である奥山家ゆかりのお寺でもあります。

 

直政の母にあたるのが、方広寺を開創した無文元選禅師を招いた奥山朝藤の曾孫の娘のようです。

 

 

場所:浜松市北区引佐町奥山1577-1

 

《アクセス》

バス・電車:JR浜松駅よりバスで約60分
車:新東名浜松いなさICより車で約10分
駐車場:あり
拝観料:大人(高校生以上)500円 
    中学生以下    200円


方広寺は今からおよそ650年前の南北朝時代の1371年(応安4年)、この地を治めていた豪族奥山朝藤の招いた後醍醐天皇の皇子で、禅僧となった無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)によって開創された禅寺です。

 

その寺名の由来は、厳選禅師がかつて訪れたことがある中国の天台山方広寺の風景が、この地に似ていることから「方広寺」と名付けたそうです。

 

明治維新後の1881年(明治14年)の大火によって境内の建造物の大部分を焼失、国重要文化財の『七尊菩薩堂』以外はほとんどそれ以降に再建されたものです。

 

60ヘクタールにも及ぶ敷地内には『大伽藍の本堂』をはじめ、静岡県下最古の建物『七尊菩薩堂』、『半僧坊真殿』、『開山堂』、『三重塔』などたくさんの建物があります。そのうち22の建物は国の登録有形文化財に登録されています。

 

それでは、方広寺参道入口にある赤い大鳥居からスタートしていきましょう。

 

◯総門(登録有形文化財)

 

通称『黒門』と呼ばれる方広寺境内の入口で、礼賛者を見返る堂々とした佇まいの門です。入ってすぐ右手に受付があります。

 

本堂に続く深い緑に包まれた参道の至るところに、表情豊かな500を超える羅漢様『五百羅漢(ごひゃくらかん)』が鎮座し訪れる人々を出迎えてくれます。

 

石橋(しゃっきょう)の上に鎮座する羅漢様の数が、見るときによって4体だったり、5体だったりと、見るときによって変わるという不思議な現象があり、方広寺の不思議の一つになっています。

 

◯五百羅漢

 

参道の至るところに表情豊かな500を超える羅漢様『五百羅漢(ごひゃくらかん)』

 

羅漢様とは、悟りを開いたお釈迦様のお弟子さん達のことで、お釈迦様が亡くなったときに500名の羅漢様達があつまったことに由来しているそうです。

 

深奥山方広寺の五百羅漢像の中には、必ず自分に似ている像が見つかるといわれていますので、せっかくですから探してみてはいかがでしょう。

 

◯半僧杉

 

右手にかつてそびえ立っていた立派な杉の木が『半僧杉』と呼ばれる杉でした。

 

1881年(明治14年)奥山大火の難を受けた後、幹の中が炭化したまま再生し130年以上の時を生き続けた多杉でしたが、現在は切り株を残すのみになってしまったようです。

 

方広寺の鎮守様である『奥山半僧坊』の化身と言い伝えられ、現在も延命厄難消除のパワースポットになっています。

 

◯本堂(登録有形文化財)

 

開創の無文元選禅師が皇室だったからでしょうか、本堂には菊の御紋が入った直視玄関があります。間口32m、奥行27mの東海屈指の広さで、格式の高さを感じることが出来ます。

 

本堂に掛かる大額『深奥山』は山岡鉄舟の書によるものだそうで、本堂内には釈迦三尊像が安置されています。

 

臨済宗方広寺派の大本山であり東海屈指の大きさを誇る本堂には、国重要文化財に指定されているご本尊釈迦三尊像(しゃかさんそんぞう)が祀られています。

 

釈迦三尊像

 

木造釈迦如来及び 両脇侍坐像のことで、釈迦如来像(104.2cm)を中心に、向かって右に文殊菩薩(56.8cm)、左に普賢菩薩(55.6cm)が並んでいます。金泥の彩色の豪華さとお釈迦様が宝冠を頂いている姿が特徴です。

 

釈迦三尊像は院派の典型的ともいえる作品で1352年(観応3年)に作られたものであることがはっきりしています。方広寺の開創よりも前に作られたもので、もとは現在の茨城県の清音寺にあったものを、徳川光圀(水戸光圀)の厚い信仰を受けて修復されたとのこと。

 

◯羅漢の庭

 

本堂の裏には山裾に自然石を積み上げ、多数の羅漢像が安置された『羅漢の庭』があります。その一角に与謝野晶子の歌碑や、紅葉の時期が楽しみなモミジも多く見られます。

 

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◯七尊菩薩堂(登録有形文化財)

 

本堂の南西、沢を隔てた山腹に建つ『七尊菩薩堂』は七尊菩薩を合祀した鎮守堂で、流造こけら葺。

 

簡素な覆屋の中にあるため気づきにくいのですが、今から590年前の室町時代の中期、1401年(応永8年)に建立された県内最古の優れた建物です。

 

鎌倉末期の様式を残す貴重な資料で、規模は間口90cm、奥行150cmと小さいのですが、流造こけら葺の屋根は美しいです。

 

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どうする家康 前編 NHK大河ドラマ・ガイド

 

◯半僧坊真殿(登録有形文化財)

 

無文元選禅師が中国各地を巡拝して帰国する海上で難破の危機に遭い、半僧坊の力で海難を免れたという故事にちなんで、半僧坊を祀る『半僧坊真殿』が境内に建てられました。

 

半僧坊真殿に祀られている方広寺の鎮守『半僧坊大権現』、そのご利益を求め多くの参拝者が訪れます。”天狗であり半分僧としての力量を持つ”という意味で半僧坊といわれます。

 

半僧坊大権現

 

『半僧坊大権』は現居難消除・海上安全・火災消除・祈願満足の権現様で、火防の神としてよく知られており、10月には半僧坊大祭、2月には火防祭(火まつり)が行われるそうです。

 

10月の半僧坊大祭には大祈祷や渡御、稚児行列なども行われ賑わうようです。

 

2月の火まつりで「火渡り」という裸足で神火を渡ると、一年間無病息災で過ごせるといわれています。地元のニュースで実際に渡った少年が「そんなに熱く感じない」とインタビューに答えていたので試してみる価値はアリかも!?

 

◯三重塔(登録有形文化財)

 

こちらは近代の実業家で多くの寺社仏閣に伽藍を寄進した山口玄洞の寄進によるものです。

 

建立者が倒産の難をまぬがれ、その後も社業が発展したという話から、倒業よけの塔として全国からたくさんの財界人がお参りに来るそうです。

 

◯山門(登録有形文化財)

 

1953年(昭和28年)に再建された山門、通称『赤門』

 

足利紫山館長によって1953年(昭和28年)に再建された山門、通称『赤門』と呼ばれ朱色が美しい門です。

 

◯開山堂

 

無文元選禅師を祀るお堂『開山堂』

 

開山堂とは、方広寺を開山したと伝わる後醍醐天皇の皇子、無文元選禅師を祀るお堂です。

 

堂内には無文元選禅師の像の他、歴代天皇の位牌も祀られているとのことで、堂の正面には天皇の使いを迎える勅使門があります。

 

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深奥山方広寺は山深い禅寺ということで自然あふれる場所で、春には桜、秋には紅葉といつでも自然を味わうことができます。

 

奥山方広寺では、精進料理や座禅、写経・写仏などの禅体験もできるようです。予約が必要なプランもあるようなので事前にチェックしてみてください。

 

最後に

 

今回ご紹介した「奥山方広寺」は地元ではあまりにも有名で、子供の頃の遠足やお参り、スイーツとしての「大あんまき」を買うためなどで度々でかけるお寺さんです。

 

最近出かけていなかったな!と思い、そろそろ出かけてみようかしら?と調べたら、なんと現座大ハマリ中の徳川家康が立ち寄っただの、寺領安堵を約束しただのと聞いて、出かける前にとりあえず記事にしてみました。

 

これまで一番印象に残っているのは、やはり五百羅漢です。毎度自分に似た羅漢様を探しながら参道を歩いていたことを思い出します。本当に奥深い場所というイメージで、ゆっくり穏やかな時間を過ごしたい方にはもってこいの場所だと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうござます。では、またです。