こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
みなさんは浜松城天守閣や市観光インフォメーションセンター、各区役所などでいただける『家康公ゆかりの地 出世の街浜松 家康の散歩道』という冊子を御存知でしょうか?
全長6.34キロ、徒歩で約1時間30分(見学時間は除く)で家康公が居城とした浜松城とその城下町を巡るルート《城内・城下ルート》、さらに全長5.8キロ、徒歩で約1時間15分(見学時間は除く)で三方ヶ原の戦いや武田氏との内通を疑われた築山御前ゆかりの地を巡る《合戦ルート》を紹介されている冊子です。
ゆかりの地の名称や解説、周る順番や所要時間に料金、駐車場やトイレの有無まで、さらに家康公の年表から相関図まで網羅し、家康公のゆかりの地を巡ってみたいと考えている方には絶対に役に立つと思われます。
かくいう私も、こちらの冊子を手がかりに何日かかけて、20ヶ所をめぐり尽くすことができました。NHK大河ドラマ『どうする家康』を楽しみにご覧になっているみなさんも予習と健康づくりを兼ねてお出かけになってみてはいかがでしょう。
今回はこちらの『家康の散歩道』《城内・城下ルート》から『浜松元城町東照宮(引馬城跡)』を中心に解説していきたいと思います。
浜松元城町東照宮(引馬城跡)
浜松城の北東、元城町の丘陵地に位置するのが『元城町東照宮』です。徳川家康が遠江経営の拠点とした浜松城の前身引馬城があった場所です。
さらに、今川方の飯尾豊前守(いいおぶぜんのかみ)が城主だった頃、若かりし豊臣秀吉がここで奉公していたことがあり、2人の武将を天下人へと導いた場所として『出世神社』と呼ばれ、パワースポットとしてもよく知られます。
場所:浜松市中区元城町111-2
〈アクセス〉
JR浜松駅より徒歩約20分
遠鉄バスで約10分
浜松城公園より徒歩約9分
車:東名高速道路浜松ICより約30分
東名高速道路浜松西ICより約30分
駐車場:通常は浜松城公園の有料駐車場を利用できます。2023年1月22日~2024年1月14日の土日祝は大河ドラマ館開館時期のため、浜松城公園駐車場が使用できません(公園利用者含む)
2023年は浜松城に隣接した「大河ドラマ館」に立ち寄る方も多いでしょう。ドラマ館には駐車場がありません。車でお越しになる場合は「大河ドラマ館」連携の指定有料駐車場を利用することで、「大河ドラマ館」ご来館時に一律300円分の駐車料金のサービスが受けられます。詳しくはこちら>>
どうする家康 浜松 大河ドラマ館 提携駐車場サービスについて|大河ドラマ館|徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松
1886年(明治19年)、旧幕臣井上円了によって引馬城跡に家康公を祭神とする『元城町東照宮』が創建されました。日光、久能山と同じ家康(権現様)を守るお宮になります。
1945年(昭和20年)の空襲によって社殿や樹木は消失しましたが、1958年(昭和33年)には再建され緑に囲まれた静かな境内が広がっています。
戦国時代、引馬城は今川氏の家臣・飯尾氏の三代(約50年)にわたり在城、遠江支配の重要な拠点となっていました。
1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が破れると、遠江における今川氏の支配が急激に弱まります。1565年(永禄8年)には徳川との内通を疑われた引馬城主飯尾連龍が、今川氏真に殺害されてしまいました。
混乱し弱体化した今川氏に侵攻を進めたのが三河の徳川、甲斐の武田でした。1568年(永禄11年)家康は引馬城を攻め落とします。
そして、家康は浜松城を築城、引馬城は浜松城の一角に取り込まれていきました。その後、引馬城の跡地には米蔵十数棟が建てられました。
石の鳥居の横に「曳馬城跡」と刻まれた史跡碑が残されています。古地図にある東側の二重の堀は今川時代の引馬城の名残りです。
歴史ある『手水舎』
鳥居をくぐり手水舎を見ると、竜の彫刻に目を奪われます。忘れずに天井も見てください。日光東照宮にもある猫の彫刻がこちらにもあるのです。ぜひ!探してみてください。
どこの神社や寺社を訪ねたとしても、もちろん手水舎で手を清めることも大事ですが、歴史ある神社などではお手水場をしっかりと眺めてみるのも楽しいものです。
さあ、お参りしていきましょう。社殿の扉や屋根を眺めると、そこには三つ葉葵の紋所(もんどころ)が目に入ります。あー!あの「この紋所が目に入らぬか!」の紋所です。※お若い「水戸黄門」を見たことがない方はスルー願います(笑)
この紋所さえあれば、ここは家康公を祭神としているお社だと証明できたようなものです。
二大天下人のパワーがもらえる『二公像』
境内にはニ公像と呼ばれる銅像があります。この地を訪れた後に天下人になった徳川家康と豊臣秀吉です。
若き家康はこの地に住み、人生最大の負け戦ともいわれる「三方ヶ原の戦い」を経験し、後に遠江を平定、天下取りへの第一歩を踏み出しました。
秀吉は少年時代、今川氏の居城であった頃に針の行商でこの地を訪れ、土豪・松下氏に仕えるきっかけを得て武士としての一歩を踏み出しました。松下氏に連れてきてもらったのがこの『浜松元町東照宮』だそうです。
左の秀吉公の説明看板には以下のように書かれています。
1551年(天文20年)初めて武家奉公がかなったときの豊年秀吉公のお姿
武士になろうとして、尾張国より針の行商をしながら主君を探す旅に出た。
浜松の馬込川のほとりで、浜松の豪族松下嘉平衛に出会い、ここ引間城(元城町東照宮)まで連れてこられた。引間城主飯田家の宴会で猿そっくりの口元で猿の物真似をして栗を食べて気に入られ、松下家の初めての武家奉公の夢がかなった。「浜松素生記」
浜松市南区頭陀寺の松下屋敷で武者修行を積み、良く働き、良く学んだ秀吉公は16才~18才の3年間、この浜松で過ごして成長していった。その後、松下家から退職金をもらい尾張へ帰った。そして織田信長公と出会い織田家中で出世をはたし、ついに天下人となった。
史学博士 磯田道史
お二人の像の間がちょうど人が立てるほど空いていますので、そちらに立って写真を撮ると、出世運がうなぎのぼり。SNS等で拡散すると、運気を広く周囲に振りまくことができます。多くの著名人もこの聖地で出世運を授かっています。ぜひ皆さんも写真を撮って、SNS等で発信してください!などと書かれ、浜松人は大喜びで写真を撮って二大天下人のパワーをもらおうとしたものです。
おかげで、一時期SNSなどで『パワースポット』として有名になりました。ただ、以前の浜松元城町東照宮は、私を含む浜松の人々にあまり知られていない存在だったことをご存知でしょうか?
先日出かけた歴史学者の磯田道史先生の講演会で話題に上がりましたし、2020年3月の広報に連続掲載中の『市長コラム』でも発表されていたので大丈夫だと思われますので載せます。
当時、磯田道史先生は浜松市の文化顧問を務めていらっしゃっり、今川方の飯尾豊前守が引馬城の城主だった頃、この場所に若かりし豊臣秀吉が奉公していたという記録を発見したそうです。
先生は「この場所は秀吉公、家康公という二人も天下人を生んだ”史上最強のパワースポット”なのです」と興奮気味に市長に告げたあと、磯田先生は読売新聞のエッセーや、ベストセラーとなった『日本史の内膜』という著書の中で紹介してくれたそうです。
そこで、新たな観光スポットとして「真ん中に立って写真を撮影できるニ公像」を並べ、パワースポットとしての付加価値を付けて売り出したら大成功したというお話です。
現在も2人の武将を天下人へと導いた『元城町東照宮』は、出世願いを叶えるパワースポットとして多くの人が参拝に訪れるようになった理由として、しっかりと記憶しておきたいと思います。
そして、何より磯田先生に感謝しつつ、親しみを込めてNHKBSPで放送中の『英雄たちの選択』を見続けていきたいと思います(笑)
最後に
『元城町東照宮』は「出世城」と呼ばれる浜松城の前身ということもあり、二公造が作られた所以からも”パワースポット”であることに間違いはないように感じます。
「お出かけの際は、ぜひお二人の造像の間に立ってみてくだされ♪」と家康くんもおっしゃっています。浜松城やドラマ館にお出かけの際に立ち寄ってみてはいかがでしょう。
今回の大河ドラマ『どうする家康』の放送に合わせてでしょうか?数年前に訪ねたときは鬱蒼とした森の中というイメージでしたが、今回訪ねたら随分と余分な木々が伐採され、浜松城公園前の大きな通りからも北東を見上げると社殿が見えるようになっていました。逆に元城町東照宮から浜松城を眺めることもでき感動しました。
浜松が大河ドラマの舞台になったのは、今回の『どうする家康』が初めてではありません。すでに5年前に『おんな城主直虎』で経験済みです。
大河ドラマをきっかけに歴史に興味を持ち、いろいろ調べたり勉強したりする方も多いと聞きます。前回の直虎でも、ドラマ館などに出かけたりドラマは見ていた私です。ところが歴史には全く興味が沸かず、今回いろいろ歴史やゆかりの地を訪ねたり、調べてみて、30年近く住んでいる浜松を全く知らなかったことに気付きました。
大河ドラマの放送を機会に、市のあちこちでのぼり旗がはためき、史跡や名勝がきれいになっていくのを見るのもうれしく感じます。本当に大河ドラマありがとう!家康くんありがとう!って感じです。
もし、あなたが浜松の『家康公ゆかりの地』を巡るのであれば、『家康公ゆかりの地 出世の街浜松 家康の散歩道』という冊子は本当に役立つと思います。ぜひ!入手してあっちこっちとおでかけくださいませ。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。