こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
2023年新年が明けてまもなくのこと、NHKローカル番組で、「松尾神社で家康公ゆかりのお宝が見つかった!?それはなんと錆びた刀だった」という衝撃的な事実を知りました。
この番組のレポーターは、静岡駿府城周辺で毎年行われる『静岡まつり』の2020年、大御所役で家康公の扮装をして、市内を練り歩いたこともある静岡市出身の加藤諒君。(今年はココリコの田中直樹さんと別所哲也さん)
実際に加藤君が松尾神社を訪ねてみると、家康公ゆかりのお宝は、しっかりと神社の聖なる領域「神域」に祀られていたのです。なんとボロボロの錆びた姿で!
今回はこのお宝が見つかった『松尾神社』、さらに、最近見つかったという『家康公ゆかりのお宝』について記していきたいと思います。
松尾神社(まつのおじんじゃ)
徳川家の家紋『三つ葉葵』が迎えてくれる松尾神社。松尾神社と書いて『まつのお神社』と読みます。こちらの神社は、浜松市街地中央にある神社のなかでも歴史が古く、和銅年間(708~715年)の創建と伝わります。
※松尾神社という神社は浜松市内、お隣の磐田にもたくさんあります。今回登場する松尾神社は、中区元魚町で浜松駅から歩いてたったの4分の場所にある神社のことです。
場所:浜松市中区元魚町29
《アクセス》
JR:浜松駅から750m(徒歩約4分)
こちらの松尾神社、当初は浜松城の真南にあり、浜松城を南から守る守り神で、当初は浜松神社と呼ばれていました。
松尾神社となったのは、社伝では1391年(明徳2年)松尾信濃守が引馬城に入城するにあたり鎮守として、山城の松尾の諸神を勧請す。1577年(天正5年)徳川家康引馬城改築にあたり、鎮守松尾諸神を浜松神社と合祀し社名を松尾神社を改称する」とあります。ですから、戦国時代にまちがいはないようです。
徳川家康が引間城を拡張した折、城内にあった鎮守神の松尾神社を移転、合祀して社名も『松尾神社』と改めました。
その後は、浜松城の祈願所として歴代城主が帰依するようになります。祭神は、徳川家康をはじめ、白鬚神、厳島姫神で、特に白鬚神は浜松の産土神(うぶすのかみ)として人々の崇拝を集め、八方除けの守護神として災難除けにご加護があるといわれています。
例祭(6月15日前の土日)の神輿御幸は街中に繰り出され、賑わいをみせていたといいます。毎年6月30日に行われる茅の輪くぐりの神事が有名です。
松尾神社の裏に回り、ブロック塀から下を覗くと、そこには「水路」があります。実はこの「水路」は、かつての浜松城の外堀だったのです。浜松城の外堀は現在も「水路」として利用され、その形が残されていることがわかります。
「神域」で見つかった家康公ゆかりのお宝
松尾神社の鳥居をくぐり、門から太鼓やらだるまが置かれている場所に入っていくと、奥に「神域」と書かれた場所があります。
年に一度しか開けないという本殿の扉を開けると、そこにはメディア初披露の『家康公からもらったお宝の刀』が登場します。本殿に収められていたものは『錆びた刀』だったのです。
現在の宮司さんがおっしゃるには「先々代の宮司から、土の中に埋めてある」と聞いていたとのこと。
たまたま、本殿を新しくするときに土を掘ったところ、深さ40cmほどの地中からお宝が出てきたそうです。
現在本殿の床下には埋まっていた場所に目印があり、ここから掘り起こしたことがわかります。
さらに、昨年末には三つ葉葵の入った『太刀拵え(たちごしらえ)』も自宅から見つかったそうです。その大事な『太刀拵え』を、宮司さんは気軽に加藤君に渡したのですが、怖がってすぐに返してしまった加藤君。
加藤くんは、メディア初登場の大事な品を素手で触ってよいのか?と思ったみたいです。まあ、それだけ歴史ある大事な物と感じさせる『太刀拵え』だったのでしょう。
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では、なぜお宝の刀は土に中に埋まっていたのでしょう?
お宝の刀とはいえ、そもそもは鉄のため、戦時中、戦艦や大砲、鉄砲や弾丸の材料となる金属が不足し、官公庁や一般家庭の金属製品の提供運動が繰り広がれられ、これを『金属供出』といいました。
松尾神社の三つ葉葵の紋が入った金属製の門扉も、「武器生産に必要な金属」ということで、供出してしまったそうです。
家康公から直々に授かった刀はなんとしても守らなければならない!と、当時の宮司が地中に埋めて隠したとのこと。
神社の記録によると、「松尾神社はもともと浜松城の中にありました。およそ450年前に家康が浜松城主になった時、今の場所に移動させ、刀を授けた」と伝わっています。
この番組の放送時に、宮司さんは「まだ専門家の鑑定は受けていない」と話し、「家康と松尾神社の深いつながりを感じているとおっしゃっていました。
おとなりの天満宮の牛について
今回、私が松尾神社を訪ねた際には、松尾神社のおとなりには『天満宮』がありました。
そして、なぜか大きな牛が横たわっていたのです。これも「錆びたお宝の刀」同様に、かなりの謎に感じてしまった私です。
いつか、加藤君にこの牛の謎も解いてもらえたら!と願ってやみません。(笑)
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最後に
五社神社をお参りしてから、こちらの「松尾神社」に出かけたためでしょうか?五社神社の朱色を使った華やかな建物や、大きな狛犬と比べると、「松尾神社」は閑静な住宅地にあるオアシスのようで、気持ちを填めてくれそうな静寂さがありました。
そこで、今回見つかったという家康公から直々に授けられたお宝の刀が、かなり錆びていたのは残念です。
ですが、第二次世界大戦という重い歴史を乗り越え、戦国時代から朽ち果てることなく錆びてはいますが、「刀」として土の中で存在していたことはすごい出来事だと思います。
もし鑑定できるものでしたら、ぜひ鑑定してもらって、世の中(せめて浜松市内だけでも)に大きくアピールしてもらいたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。