sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

万葉の森公園で見頃のミツマタ、紙の原料として現れる最初の文献は家康の黒印状!

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

甘い香りの『ミツマタ』をご存知でしょうか?紙漉きの原料になるとどこかで聞いたことがあるような、ないような。

 

2月12日のJRの「さわやかウォーキング”どこ行く家康コース”」で立ち寄った、『中村家住宅』のお庭で見かけた”枯れ木に花を咲かせましょう”くらいの勢いで、枯れたように見える枝に目一杯の内側が黄色の白い花、近づくと甘い香りが鼻をくすぐります。

 

この見たことのない花はなんぞや?とグーグルレンズで調べてみると、これが『ミツマタ』の花だったのです。

 

何よりもミツマタが紙の原料として現れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の1598年(慶長3年)に、伊豆修善寺にいた製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状なんですぞ!

 

家康公ゆかりの『ミツマタ』と知った時から、ミツマタへの興味が湧き上がり、あっちこっちで『ミツマタ』を見つけてはマスクをチョロっと外し、甘い香りを楽しんでいます。

 

万葉の森公園で甘い香りで春を感じるミツマタ

 

 

万葉の森公園の『ミツマタ』


先週末『浜北植木まつり』というローカルではありますが、造園業といえば浜北といわれるだけあって県内随一の広さの展示場に植木はもちろん、果樹苗、盆栽、観葉植物などが揃っているため大人気のこちらに出かけた帰り、ふと立ち寄った『万葉の森公園』では『ミツマタまつり』といってもいいほどにミツマタが咲き乱れておりました。

 

ちょうど見頃を迎えた『ツバキ』と共に、春の訪れを感じさせてくれました。ミツマタもツバキも華やかな桜や桃と比べるとちょっと地味なイメージがありますが、アラ還世代の私にはちょうど良い感じがしたりして。

 

万葉の森公園は落ち着いた雰囲気で、のんびりお弁当を広げてくつろぎながら自然を感じることができる公園です。ソメイヨシノの時期にはお花見にもいいですね。

 

ミツマタの見頃は3月末くらいまで楽しめるそうですが、ツバキは今週いっぱいくらいで散ってしまいそうな感じでした

 

関連記事>>

『家康ゆかりの街浜松』で巡りたいスポット国の重要文化財『中村家住宅』 - sannigoのアラ還日記

 

せっかくご縁のできた『ミツマタ』ですから、詳しく調べてみましょう。

 

ミツマタって何?

 

『中村家住宅』で甘い香りを漂わせていたミツマタ

 

ミツマタの花言葉は「肉親の絆」「意外な思い」。

 

ミツマタはジンチョウゲ科の落葉低木で、枝が3つに分かれながら伸びることにちなんで名付けられたんだって。必ず三又に分かれるってすごくない?

 

落葉樹ですから、やはり冬になれば葉を落とします。ですから、桜同様枯れ木に花が咲いているように感じたのですね。しかも低木ですから背が低くて「草なの?木なの?」って感じになってしまったというわけです。

 

花が咲くのは3月〜4月。葉が出る前に、花が球状に集まった黄色の頭花を枝先につけて、下向きに咲かせ、甘い芳香を放ちます。

 

枝は横に広がり、樹皮は灰褐色でなめらか、一年枝は紫褐色で7月ごろに新芽が3つに分かれて枝が伸び始めます。この一年枝の樹皮が和紙や紙幣の原料として用いられるそうです。

 

ミツマタ同様和紙の原料として知られるコウゾも同じように、切り株から約1年で生育する枝の繊維を原料としているとのこと。

 

ミツマタで漉いた和紙はこすれや折り曲げに強く、現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料になっています。

 

徳島県では、通常は廃棄されるミツマタの幹を使った木炭とそれを成分とした石鹸が製造されているそうです。

 

中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされ、中国語では「結香(ジエシアン)」と呼ばれています。赤花三椏(あかはなみつまた)という種類で、オレンジ色から朱色の花をつける園芸種もあるみたい。

 

和紙への利用の歴史

 

万葉集に歌われる三枝(さきくさ)の候補の1つということで、ここ『万葉の森公園』内に30株ほど植えられていました。

 

ミツマタが中国から和紙の原料として日本へ渡ってきたのは、1596〜1615年(慶長年間)とされ、和紙の原料として登場するのは、16世紀(戦国時代)になってからというのが一般的。なるほど、小さくまとめて髪に隠して忍者に運ばせた密書もこの和紙ってことかも!?

 

このミツマタが紙の原料として現れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の1598年(慶長3年)に、伊豆修善寺にいた製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状です。

 

当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じられていました。

 

また、1836年(天保7年)稿の大蔵永常『紙漉必要』には、ミツマタについて「常陸、駿河、甲斐の辺りにて専ら作り漉き出せり」とあり、武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料だったようです。

 

ですが、『万葉の森公園』でも案内されていたように、7世紀前半から759年までの約130年間の歌が収蔵されている『万葉集』に度々登場するよく知られたミツマタが、和紙の原料に使われなかったはずがない!という説もあるそうですよ。

 

参照元:ミツマタ - Wikipedia

 

万葉の森公園の『ツバキ園』

 

まるでバラのような「ツバキ」は今週末くらいまでが見頃

 

万葉の森の『ツバキ園』は、傾斜のある場所に約200品種が400本ほどが植えられています。ツバキには地味だというイメージはありますが、まるでバラのように見えるツバキがちょうど見頃で楽しめました。

 

他にも白や赤、ピンク、ブルーと、本当にさまざまなツバキがあるものです。『たきび』という童謡があります。きっと誰もがご存知ですよね。

 

♪さざんか、さざんか、咲いた道、
たきびだ、たきびだ、おちばたき♪

 

2番にこのような歌詞があるため、ツバキとサザンカの違いがよくわからない私は、ツバキはてっきり冬の花かと思っていましたが、なんと春の訪れを知らせる早春の花だったとは。

 

ツバキとは?

 

ツバキ全体の花言葉は「控えめな優しさ」「誇り」です。ツバキには香りがないことが由来ともいわれています。

 

ツバキはツバキ科ツバキ属の常緑高木で、光沢のある濃い緑の葉が印象的です。名前の由来には諸説ありますが、厚みのある葉の意味で「あつば木」、つややかな葉の「光沢木(つやき)」ほかにもいろいろあり、花よりも葉の美しさが名前の由来とされる説が多いようです。

 

ツバキの歴史

 

ツバキの花は古来から日本人に愛され、『万葉集』のころからよく知られ、京都市の龍安寺には室町時代のツバキが残っています。

 

ツバキは『日本書紀』にも記録が残されていますが、『万葉集』にはツバキが使用された歌が9首あり、サクラ、ウメといった材料的な題材と比べると数が多くないと感じます。

 

『源氏物語』にも「つばいもち」として残されている程度ですから、室町時代まではそれほど芸樹の題材として注目されていなかったのかもしれません。

 

ですが、風雅を好む足利義政の代になると、明からツバキ関連の工芸品も数多く取り寄せられ、彫漆の題材としてのツバキが見られるようになってきます。

 

さらに、ツバキといえば豊臣秀吉が茶の湯にツバキを好んで用いたこともよく知られ、茶道においてツバキは重要な地位を占めるようになってきます。

 

江戸時代に入り、さまざまな花が鑑賞の対象になりましたが、ツバキも例外ではありません。二代将軍徳川秀忠はツバキを好み、そのため芸術の題材としてツバキが広く知られるようになりました。

 

西洋のヨーロッパでは17世紀末に園芸植物として大流行、19世紀の小説『椿姫』にも主人公が好きな花として登場します。

 

ただ、日本各地に残る言い伝えに『年を経たツバキは化ける』というものがあります。新潟の伝説では、荒れ寺に現れる化け物の正体がツバキの木槌だったり、島根の伝説では、牛鬼の正体がツバキの古根だったなどの話が残されています。

 

参照元:ツバキ - Wikipedia

 

万葉の森公園

 

ミツマタの見頃には見事に咲いた河津桜も楽しめました

 

諸説に基づく万葉植物約300種類を中心として創出した万葉の森を中心に、万葉歌等に関する資料を展示した万葉資料館、曲水庭園、草木染めなどを体験できる伎倍の工房、万葉時代の貴族の食事が体験できる万葉亭などがあります。

※万葉食は4名から受付

 

万葉文学・万葉文化を体験できる施設で、毎年秋には曲水の宴を催す「浜北万葉まつり」が開催されています。

 

 

 

場所:浜松市浜北区平口5051-1

 

《アクセス》
バス・電車:遠鉄[小松駅]から徒歩約30分
車:新東名[浜松浜北IC]から車で約20分
駐車所:あり(40台)
万葉資料館:9:00~17:00
入館・入場:無料
休み:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
   年末年始(12/29~1/3)

 

万葉集って?

 

万葉集は今から約1200年前に大友家持によって編集されたと伝わる日本最古の家集です。長唄や短歌など4500首余りが20巻の中に収められ、偉大な文化遺産として古くから親しまれています。

 

万葉集には浜北ゆかりの歌が4首あり、当時東国と呼ばれていた地域では珍しいことだそうです。

 

万葉の歌には花木や野草が数多く登場します。植物を詠んだ歌は1550余首、全体の1/3を超えています。登場する植物の種類は160種もあります。

 

「あかねさす 紫野行き・・・」宝塚家劇団の雪組や花組で演じられたシーンが頭に浮かびます。

 

関連記事>>

家康の側室 阿茶局 が預けられ、家康もたびたび訪れた浜松の『鈴木家』って? - sannigoのアラ還日記

 

最後に

 

徳川家康ゆかりの地 浜松と簡単にいいますが、これって戦国時代のやれ〇〇の戦いとか、最強武将、幻の剣とかのレベルではないんですね。

 

ふと訪ねてみたお寺さんで見かけた、甘い香りを放つ植物。これはなんぞえ?と調べていったら、結局現在必死で勉強中の徳川家康にたどりついてしまうという不思議さ。

 

本当に「歴史」とは古代や中世、現代関係なく、とにかく今があるのはこれまでの幾多の歴史があるからということを思い知らされています。家から一歩踏み出せばそこにはいろんな興味深い歴史が残されているのですから。

 

ますます、徳川家康を始めとする武将たちやゆかりの地・寺・神社などに興味が湧いてきます。ついでにドラマ『大奥』もね(笑)

 

もし学校でこういったアプローチで歴史を教えてくれる先生がいたら、時間がたっぷりあった学生時代にも興味を持って歴史を学習できたであろうと思う今日このごろです。

 

今回ミツマタと出会った『中村家住宅』(国の重要文化財)と、奈良時代の万葉集を見ながら気持ちよく過ごせる落ち着いた場所『万葉の森公園』。機会があったらぜひ行ってみてくださいませ。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。