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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回ご参拝したのは浜松市浜名区根堅の『龍宮山岩水寺』境内にある『田村将軍神社』です。縁結び・勝運の神様といわれる征夷大将軍将軍「坂上田村麻呂公」をお祀りしています。
こちらのブログには何度も登場している平安時代に蝦夷討伐で活躍した武将「坂上田村麻呂公」。
遠江にもいくつかの伝説が残されていますが、中でも坂上田村麻呂が玉袖姫という美しい女性と結ばれたという伝説から、『田村将軍神社』は昔から”縁結びの神様”と言われている一方、蝦夷討伐で勝利を収めた武将ということで”勝運に御利益がある”とされています。
境内を掃除する、ゴミを持ち帰ることにより、将軍様が感謝し、お地蔵様(玉袖姫)が良縁を恵んでくださると言われているようですし、神聖な場所ということを忘れずあまりカジュアルな服装になりすぎないように注意して参拝しました。
また、境内からは浜松市街を一望できるほど景色がよく(あいにく曇りでしたが)、浜北森林公園の中ということもあり自然があふれているせいか空気もおいしく感じました。帰り道では「クワガタ」と遭遇するというラッキーなできごともあり、大満足な『田村将軍神社』のお参りでした。
田村将軍神社(岩水寺境内社)
鎮座地:静岡県浜松市浜名区根堅2236-1
《アクセス》
電車・バス:遠鉄電車[岩水寺駅]から徒歩約32分(約9km)
天竜浜名湖線[岩水寺駅]から徒歩約50分(約12km)
※以前は岩水寺方面から行けたようですが、現在は少し遠回りですが浜北森林公園の「第八駐車場」(つり橋方面)から歩いたほうが安全です。
車:新東名高速道路[浜松浜北IC]より約11分
駐車場:無料の駐車場が神社横にあります。ただ、そこまで道路が広くないし雨で路肩が削れたりと注意が必要です。今回私たちは『浜北森林公園』の第8駐車場に車を停めて、約3分ほど歩いて『田村将軍神社』に参拝させていただきました。
御朱印:特に用意はないようです。
田村将軍神社とは?
『龍宮山岩水寺』境内にある(といってもかなり距離があります)『田村将軍神社』は、縁結び・勝運の神様といわれる征夷大将軍将軍「坂上田村麻呂公」をお祀りしています。
田村将軍神社の創建は平安時代初期と伝えられ、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に、戦勝を祈願して創建されたとされます。その後も地元の人々から深く信仰されていると聞きます。
鎌倉時代には源頼朝が参拝し、社殿を寄進され、室町時代には今川氏が社殿を再建、江戸時代には徳川家康が社領を寄進したといいます。
ご参拝していきましょう
では、浜北森林公園の第8駐車場に車を停めて、本来は車で神社の横の駐車場まで進めるのであろう狭く舗装されていない道を3分ほど歩きます。
すると、いきなり大きな軍服らしき衣類を身に着けた大きな石像が現れます。こちらが『谷口重治将校の石像』です。
谷口重治将校の石像
また、境内には立派な『谷口重治将校の石像』があります。裏の碑文によると、台湾で警察官をされていた方で、大正九年に「蕃界人跡稀ナル」ところで殉職された。とあります。
これほど大きな石像があるのだから、どのような立派な方だろうかと検索しまくりましたが、けっきょく碑文以外のことは不明のままです。どなたかご存じな方いらっしゃいますか?
車も通るはずの舗装されていない細い砂利道をさらに進めると、『田村将軍神社』の社殿が草に覆われた感じで現れます。
社殿
お天気さえよかったら、きっと青空に映える浜松市街が一望できたはずですが、残念!
『遠州山辺の道の会』の案内板には
神道〇〇の方達と地元の有志の方々が明治初期から大正初期頃に創建したと云われています。現在の社殿は平成18年に再建されたものおです。地域に伝わる「赤蛇由来記」「袖ヶ浦伝説」に登場する征夷大将軍坂上田村麻呂をお祀りしています。
との説明が書かれています。
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将軍塚古墳
『将軍塚古墳』の名前の由来は、古墳のある山頂に蝦夷討伐で知られる坂上田村麻呂を祀る『田村将軍社』があることからとのこと。別称を岩水寺古墳、泉A1号墳ともいうようです。
直径15m、高さ3mの円墳で、発掘調査は行われていないようですが、立地や横穴式石室の状態から古墳時代後期(7世紀代)の築造と考えられています。
石室は南東方向に開口し、全長6.2mを誇る。南山麓には泉B古墳群が存在したが、石灰岩の採石によって3基(平成16年時点)を残して消滅し、A古墳群も残存は10基のみとされる。( 将軍塚古墳 - 古墳マップ )
田村将軍社社殿南側の案内板がある階段を東側に50mほど下っていくと、南斜面に『将軍塚古墳』の墳丘が残っているようですが、今回は夏の終り頃で草ぼーぼーでマダニやマムシが怖かったので、冬場の草の少ない時期の楽しみに残してきました。
ある方の記事によると、こちらの古墳は珍しく山の中腹の急斜面に築造されているとのことで、ロープが張ってあるみたいです。
円墳・石室・巨石の天井などを確認できるようですので、石室に入ってみたい気もしますが、入口には土砂が堆積していて這わないと出入りできないとか、やはりビギナーにはキツイのでは?とのことで、この楽しみが達成できるかは不明とさせてください。
将軍塚古墳(泉A一号墳)
泉A一号墳は坂上田村麻呂を祀っている祠が山頂にあることから「将軍塚古墳」 と俗称されています。
直径一四m、高さ三mほどの円墳です。石室の入口には土砂が堆積していますが、 全長六・二mの無袖の横穴式石室が開口し ています。副葬品は明らかではありませ んが、七世紀代につくられたと思われます。
なお、泉山には一五基の古墳が確認された他、人形山、高根山など北綾の山々には二〇〇基もの古墳が点在していました。
将軍塚古墳は、参道石段を 降り突き当たりの道を左に折 れて約五〇m下った右手やや奥にあります。遠州山辺の道の会
(参道前の説明書きより)
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坂上田村麻呂の天竜川龍神伝説
1200年前、征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)公の東征時、天竜川の龍神様が薬師如来の功徳により、玉袖姫という美しい女性に変身され、将軍様と恋に落ちました。
その後、一子赤蛇丸(後の俊光将軍)は人々の救済と幸せを願い、母親の龍神様の魂が刻まれた、厄除子安地蔵様(国重要文化財/伝弘法大師作)を岩水寺に安置されました。というような伝説です。
延暦年間(約1200年前)、坂上田村麻呂が勅命により東征。天竜川が荒れていた為、渡河する事が出来ず浜松市の船岡山に陣を張る。
1. 船岡山の鬼門方向にある岩水寺に参拝し、総本尊の薬師如来に祈る。
2. 岩水寺東側の天竜川(別名磐田の海)、袖ヶ浦にて玉袖姫が田村麻呂のもとに現れる。
3. 後に玉袖姫は田村麻呂の妃となり、やがて妊娠。産屋を建ててもらうが、中を絶対に見てはいけないと言う。
4. 7日経ち嵐の夜。姫が産屋を出ないため、遂に田村麻呂将軍は産屋の中を覗いてしまう。そこにいたのは姫ではなく赤い大蛇で、驚きながらも将軍は産屋に入る。
5. 大蛇は玉袖姫の姿に変身し、赤子と干水珠、及び子安の宝珠を将軍に託して寺の赤池(閼伽池)へ。そして赤池から鍾乳洞、さらに諏訪湖に帰る。
6. 7年後、赤子は赤蛇丸と名を変え将軍と共に浜松へ再訪。天竜川は荒れていた。
7. 田村麻呂将軍は姫から授かった宝珠の内の一つ、干水珠を天竜川に投げ入れる。するとみるみる水が治まり、そこが陸地となった。(現在の浜松市中央区有玉地区)
8. 21歳となった赤蛇丸、名を坂上田村麻呂俊光と変える。嵯峨天皇に奏上し、母親の化身である地蔵菩薩を弘法大師に作って頂き、岩水寺に奉納。地蔵菩薩の胎内へ宝珠の内の一つ、子安の宝珠を納める。
9. 田村将軍の守り本尊、十一面観世音菩薩を祀る社として、白山妙理大権現宮が岩水寺鬼門に建立される。(本地垂迹説により白山妙理大権現と十一面観世音菩薩は 同体とされる。)
10. 田村将軍東征時の念持仏、阿弥陀如来を祀る社として、八幡宮が岩水寺裏鬼門に建立される。(本地垂迹説により八幡大菩薩と阿弥陀如来は 同体とされる。)
引用元:岩水寺 - Wikipedia
昔から”家を守るは岩水寺”と言われているのは、厄除子安地蔵様(龍神様)が母親であり、実際に子供を産んでいる女性が神仏になったという、非常に珍しい仏様だからだそうです。
岩水寺の安産祈願には特徴が有るようで、子安地蔵のお腹を借りて出産。安産の御神体の中にある布の色により性別が分かるといわれているとか。また、古ければ古い程ご利益があるともいわれます。ただ出産前に見てはいけないとのこと。
また、厄除け祈願に特徴があるようで、体の厄のみならず、心の病や自身の罪を消去するそうです。
厄除子安地蔵様(龍神様)初代は弘法大師作と伝わります。現在の地蔵様は2代目で運覚作。先ほども記したように、普通は地蔵菩薩は男性です。ところがこちらは母であり、実際に子供を産んでいる女性が神仏になったという、非常に珍しい仏様といえます。見たことはありませんが、裸形着装像で体が女性とのことです。
参照元: 岩水寺 - Wikipedia 岩水寺 - 岩水寺の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書
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最後に
今回ご参拝した『田村将軍神社』は、浜北森林公園内に鎮座すると言っても過言ではない場所に鎮座している『岩水寺』の境内社です。
境内社といっても岩水寺の本堂とはかなり離れているため、何度も岩水寺にはお参りできていたのに念願の『田村将軍神社』へのお参りは9月23日になってしまいました。
9月下旬とはいえ、今年の夏はいつまでも暑かったおかげで、帰り道では大きなクワガタに出会うことができ、少女のように喜んでしまいました。
こちらでお祀りしている蝦夷討伐に成功した坂上田村麻呂。「平安京守護神」「将軍家の祖神」称えられ武神・軍神として信仰の対象だったとか。現在は武芸の神や厄除けの神として親しまれ、後世にはあちこちに伝説や伝承が生まれ、現在も語り継がれていると聞きます。
遠江に残る伝説では美しい奥さんが大蛇だったとか、玉を投げたら荒れ狂う磐田の海が静まったとか。掲載されている関連記事の神社やお寺にはちょっとづつ内容のちがう伝説があり興味が沸きます。
そんな坂上田村麻呂には黒人説があったり、身長は5尺8寸(約176cm)、胸の厚さ1尺2寸(約36cm)というなんとも頑丈で強そうな体格の良い人物だったとされます。全国にもたくさんの伝説が語り継がれているとのことですから、できる限り知りたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。