sannigoのアラ還日記

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蕃塀(ばんぺい)と吹き抜けの拝殿が珍しい『石巻(いしまき)神社』里宮社(下社)

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回お詣りしてきた古の神社は、今が柿の全盛期の愛知県豊橋市石巻町にある『石巻神社(いしまきじんじゃ)』です。

 

鬼祭りで知られる『石巻神社』は、社伝によれば第6代孝安天皇の頃とも、第33代推古天皇の時代に聖徳太子によって建立されたとも伝わりますが詳細は不明です。

 

ただ、文献として石巻神社が記載されている最古のものは、平安時代に日本で編纂された「日本文徳天皇実録で、851年(仁寿元年)に「三河國石纏神社」に「従五位下」の位を授けたとあるそうですので、その年には既にあったという古社です。

 

古くから東三河の大社として、人々の崇敬を集める豊橋市内唯一の式内社で、旧社格は郷社で三河国四宮とされます。

 

『石巻神社』は標高358mの石巻山の北麓の神郷地区に里宮社(下宮)が、中腹に山上社(上宮)があり、最近人気のハイキングで自然歩道を歩いて自然を満喫される方も多いと聞きますし、実際に私が出かけた日は平日なのに中腹の駐車場は満車状態でした。

 

アラカン2人がゆっくりと植物をながめながら石巻山を登っていると、元気な親子連れや、スピードが半端ないトレーニング中の青年などとすれ違ったりと賑やかでしたし、途中でばててしまった時に頂上までの距離を尋ねたら快く答えてくれたイケメンさんには心から感謝です。結局、石巻の蛇穴でギブして戻ってしまいましたが・・・。

 

『石巻神社』の御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。一説では大神神社(おおみわじんじゃ/奈良県桜井市)から分祀されたものと言われております。

 

昔石巻町が「美和村」と呼ばれていたこと、石巻山の周囲には蛇にまつわる伝説が多くあり、大神神社の御祭神が『因幡の白うさぎ』を助けた色男の大物主大神で、大物主大神が姿を現わす一つの形が蛇体であったり、大神神社では蛇神信仰も伝わり、蛇を「巳さん」と親しみを込めて呼んでいることなどから、これは大神神社との関わりがあるのでは?と思ってしまいます。

 

ただし、こちらの説は豊橋市民のごく一部が唱えているともいわれているそうなので、今後の検証が楽しみです。

 

また「豊橋市雲谷町にある普門寺の化嘖上人が石巻山で源頼朝の病気平癒を祈願した」など源頼朝にまつわる伝承もあり、社伝によれば「源頼朝の社参があり、神領100貫文を寄進された」ともいわれています。

 

今回は『石巻神社』里宮社(下宮)お参り編です。次の記事は『石巻神社』山上社(上宮)で石巻山登山編になる予定です。お楽しみに♪

 

蕃塀(ばんぺい)と吹き抜けの拝殿が珍しい『石巻(いしまき)神社』里宮社(下社)

 

 

石巻神社

 

 

鎮座地:山上社(上宮):愛知県豊橋市石巻町南山93-2
    里宮社(下宮):愛知県豊橋市石巻町金割1
    奥の院:愛知県豊橋市石巻町南山93-14

 

《アクセス》

 

電車・バス:豊橋鉄道渥美線[柳生橋駅]から 徒歩約17分
      JR[豊橋駅]から豊鉄バス豊橋和田辻線「石巻登山口」バス停下車徒歩10分で里宮社、さらに徒歩約50分で山上社。さらに徒歩20分ほどで石巻山頂上です。(山道はスピードに個人差がありますので、ご注意ください)

車:《里宮社》東名高速道路[豊川IC]より約25分で駐車場に着きます。
  《山上社》里宮社からさらに”石巻山”か”ナツメ別館”の看板を目印に山道を約5分登っていくと駐車場があります。

駐車場:《里宮社》R362沿いの2~3台駐車可の駐車場(R362沿い)が利用できます
    《山上社》石巻山中腹の駐車場(15台~20台)が利用できます。

御朱印:《里宮社》はどなたもいらっしゃらなかったようでいただけませんでした。
    《山上社》は住職さんがちょうどこちらにいらっしゃっていたため、ありがたいことに直書きでいただけました。

 

『石巻神社』山上社の御朱印

 

石巻神社とは?

 

古くから文献に登場してきた石巻神社は、室町時代の1393年(明徳4年)1399年(応永6年)に書写された豊橋市有形文化財の「大般若経」を所有しており、(豊橋市美術博物館に寄託)これは豊橋市有形文化財にも指定されています。

 

また、吉田城築城以来、鬼門にあたる石巻神社は歴代城主の信仰を受け、吉田藩主により社殿の造営や修復がなされてきました。

 

愛知県東部の東三河地方の中心都市、豊橋市は江戸時代まで「吉田」と呼ばれ、現在、豊橋市役所東側にある豊橋公園内に『吉田城』があります。吉田城には、9家22代の譜代大名が在城。

 

『石巻神社』は、東海道の要衝だった吉田城の鬼門にあたるため、吉田城築城以来、歴代城主の信仰を受け、吉田藩主による社殿の造営や修復がなされてきたようです。

 

吉田城とは?

 

吉田城の前身は牧野古白によって1496年頃に築かれた今橋城です。その後、今橋の地名は吉田に改められました。家康ファンの間では、武将たちによる激しい争奪戦が繰り広げられたのち、松平(徳川)家康が酒井忠次を城代に置いたことで知られます。

 

1590年家康は豊臣秀吉に関東移封を命じられ関東に移ります。そのため池田照政(輝政)が吉田城主となり、城域の拡張や城下町の整備を行いました。最盛期の吉田城は全国屈指の規模を誇り、歴代藩主には幕府の要職を務めるものが多くいたことから『出世城』とも呼ばれています。

 

以前訪ねた際は石垣や土塁など多くの遺構を見ることができました。中でも1954年に模擬復興された鉄櫓(くろがねやぐら)が印象的です。また城址の主要部分は2021年に豊橋市指定史跡になっています。

 

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御由緒

 

『石巻神社』本宮社の鳥居と由緒書き

 

延喜式内社 石巻神社

 

御由緒
 
 当社の創建は第六代孝安天皇の時代とも、第三十三代推古天皇の時代に聖徳太子の建立とも伝えているが、それを証するものはない。 ただ、屹立する石巻山の山容は古来より特別な崇敬の対象であったことは推測できる。奥の院の屏風岩とその下のコノシロ池の湧水は雨乞いと豊作祈願の伝承があり、農耕社会の信仰を伺わせる。

 神階は『日本文徳天皇実録』によれば仁壽元年(851) 十月乙巳の日に従五位下を授けられている。延喜五年(905)、第六十代醍醐天皇の命により編纂が始まった『延喜式』巻九の「ハ名郡一座小」として当社が列せられ、三河国四大社(猿投、砥鹿、知立、石巻)の一つとされる。

当社神主大木家に伝存した「石巻宮織女帳」に応仁二年(1468)より永禄五年(1562)までの祭礼の記録があり、室町時代には神ヶ谷、多米、長良、和田、下条、高井、嵩山、月ケ谷、浪の上の九ケ村が石巻神社の二月の祭に「祝」と して参加している。信仰圏が現在の神郷、金田、長彦より広範囲だったことがわかる。

江戸時代には御朱印領が五石になったが、吉田城の艮(うしとら)に位置することもあり、城主の松平家から崇敬された。明治維新により郷社になったが、現在は社格制が廃止になったので、 氏子だけでなく東三河の主要な神社(市内で唯一の式内社)として崇敬されている。

御祭神 :大己貴命(おおなむちのみこと)

神紋:

例大祭 :鬼祭り (里宮社 四月第一土曜日、日曜日)

神事:管粥祭り(山上社 旧暦一月十四、十五日)

(境内案内板より)

 

御祭神

大己貴命(おおなむちのみこと)

記紀神話で少名毘古那神と連携して国土経営を行ってすばらしい功績を残した神で、こちらの2神は多くの伝承に登場します。

 

祭り

里宮社では4月中旬に『鬼祭り』が、山上社では旧暦1月14日深夜から15日明け方にかけて幻想的な『管粥祭り(くだがゆまつり)』が賑やかに開催されます。

 

鬼祭(おにまつり)

毎年4月第1日曜日に、石巻神社里宮で行われる例祭。「粽(ちまき)祭り」「どぶろく祭り」ともいいます。源頼朝の病気回復祈願のお礼参りに鬼面が奉納された事からはじまったといわれています。参拝者にはちまきとどぶろくが振舞われるとのこと。

 

この祭りの鬼は黒鬼と赤鬼で、神の化身とされています。この黒鬼と赤鬼が境内を大暴れし、参詣者にタンキリ飴の入った白い粉をまき散らすのですが、この粉を浴びると風邪をひかないといわれ粉を求める人々も・・・・ただし、鬼から上手く逃げないと、一斗缶に入った大量の粉を頭から浴びせられることもあるそうです。

 

管粥祭(くだがゆまつり)

旧暦1月15日(新暦では2月上旬)に、石巻神社山上社で行われる、農作物の豊凶を占う神事。

 

神主が祝詞を奉読して、釜戸の護摩木に火打石で火をつけ、粥を鍋で炊きます。沸騰した粥に作物の名を記した18本の葦の管を鍋に入れ、榊の枝でかき混ぜ、約1時間経過してから管を取り出し、管の中の粥の状態で農作物の豊凶を占うというもの。

 

参照元:石巻神社 - Wikipedia

 

石巻神社は磐座信仰?

 

石巻神社の創建時期の詳細は不明ですが、孝安天皇または推古天皇の時代の創建といわれています。石巻山周辺には蛇にまつわる伝説が多く残っていると聞き、元々は石巻山自体が信仰の対象とした磐座信仰(岩石信仰)だったのではと推測されます。

 

なぜなら石巻山山頂付近は石灰岩でできていますし、途中の『天狗社』の前にある「このしろ池」横には今は壊れてしまったお社(木材があちこちに残されていたので)があった跡と思われます。

 

ここにそびえる大きな岩を見れば、大和政権以前、弥生時代よりも前に巨石を御神体として石を神聖視する信仰を想像し、縄文時代に思いを馳せてしまうのは私だけではないと思うからです。

 

これまでお参りしてきた千年以上の歴史を持つ『渭伊神社』の裏手にある「天白磐座遺跡」(浜松市北区引佐町井伊谷)や『堀谷荒鎺(あらはばき)神社』(浜松市浜名区堀谷)と同じようなイメージを持ってしまいます。

 

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『石巻神社』里宮社(下宮)編

 

『石巻神社』の少しだけ東方のR362沿い南側にある参拝用の駐車場に車を停めさせていただいて、壁のない吹き抜けの拝殿が特徴である『里宮社(下宮)』をさっそくお参りしていきましょう。

 

R362の『石巻山』の案内板と、里宮社の駐車場

 

駐車場横の祠?と、R362から見た『石巻神社』

 

里宮社の鳥居と、豊橋市有形文化財の「大般若経」の説明板

 

手水舎

 

『手水舎』と、『蕃塀』という衝立みたいなもの

手水舎で手と口を清めましょう。

 

①手水舎では右手で 柄杓を持ち水を汲み左手を清め、次に柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。

②再び柄杓を右手で持ち、左手で水を受け口をすすぎます。柄杓は直接口につけないように!

③改めて左手を清め、残った水で柄杓の柄を洗い清め、元に戻します。

 

なぜ左手から清めるかというと、古来日本では「左上右下」という、右に対して左を優位とする思想があるためです。

 

手水舎の横には井戸

 

手水鉢の横に井戸

 

手水鉢の横に井戸がありました。古の頃はこの井戸から手水を汲んでいたのでしょうか?

 

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蕃塀(ばんぺい)

 

蕃塀マニアとおっしゃる方のブログの記事 豊橋市石巻神社(下社)の蕃塀 : 蕃塀マニア によると、この木材の衝立のようなものは蕃塀というそうです。『石巻神社』の蕃塀は三河では珍しいとのことで、蕃塀は神社の格を表すとそうなんです。

 

3間巾の木造銅板葺きである。大きさは概略で、本体長約4.6m、全高約2.5m、屋根長約6.0m、屋根巾約1.8mで、両側に控え柱を持つ。木造蕃塀としては長大なものといえる。

石巻神社は、正面から石柱、灯籠、鳥居、蕃塀、百度石、狛犬、壁の無い吹き抜けの拝殿があり、本殿施設群に至る構成となる。いわゆる「尾張造」と呼ばれる型式の社殿であろうか。

 

この『蕃塀』と同様、三河では珍しい壁の無い吹き抜けの『拝殿』を持つ点が、石巻神社里宮社(下宮)の特徴だろうと蕃塀マニアさんはおっしゃっています。

 

狛犬

 

なんとなく歴史を感じる狛犬

 

三河では珍しい壁の無い吹き抜けの『拝殿』

 

三河では珍しい壁のない『拝殿』

 

『拝殿』と、拝殿の『社額』

 

最初は相撲の土俵でもあるのかな?と思った『拝殿』ですが、こちらの拝殿は柱のみで壁のない作りが特徴的でした。

 

本殿

 

『拝殿』の奥に『本殿』が見えます

 

境内社

 

名前のわからないお社がありました

 

一つの社の5つの祠

左から、作神社、山神社、天神社、伊雑皇社、稲荷神社 が並んでいます。

 

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石碑など

 

大きな石碑と井戸の横にも小さな石碑

 

社務所でしょうか?道路を挟むとそこは森というか林です。



最後に

 

今回お詣りしてきた古の神社は、三河では珍しいという蕃塀(ばんぺい)と吹き抜けの拝殿がある愛知県豊橋市石巻町の『石巻神社(いしまきじんじゃ)』です。

 

出かけたのがちょうど柿の収穫時期で、石巻神社周辺の柿畑はオレンジ色一色でした。静岡県浜松市から本坂峠(姫街道)を超えて愛知県に入ったのですが、浜松側はみかんの最盛期ということで、山はオレンジ一色で感動的!

 

本坂峠を越えて愛知県に入ると、今度は柿のオレンジ一色!これってどんな歴史が影響しているのでしょうか?ちょっと調べたくなりましたが、とりあえず後回しにして、石巻神社を調べると面白いことがいっぱい!

 

ここまでいくつの神社をお参りさせていただいたか不明ですが、初登場の『蕃塀(ばんぺい)』が登場しました。さらに現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』で見るような柱だけで壁のない平安時代の建物のようなな感じの『拝殿』も。

 

蕃塀は三河でも珍しいという記事を拝見しましたが、じゃあどこにあって、発祥は?どんな目的?などなど興味津々ですが、まずは次回の石巻山の中腹に鎮座する『石巻神社』山上社(上宮)の記事を完成させてから調べてみたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。