sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

変わった注連縄と御祭神のなが~い名前に驚いてしまう『松之浦神社』

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回お参りした神社は、かつて池があり、この池の周りに松が生い茂っていたことから命名されたという浜松市中央区松小池町に鎮座する『松之浦神社』です。

 

聞いたことがありそうな、なさそうな名前だな思って『松之浦神社』と検索してみると、松小池町に鎮座するこちらの神社しか表示されませんでした。もしかしたら全国でも珍しい名前の神社かもしれません。

 

御祭神が正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)と、とてもなが〜いネーミングなのも興味深いですが、何よりも珍しいのが大きな石鳥居に飾られた「注連縄」です。かつて見たことのない形態で説明も難しいので、まずは載せてる写真を見てびっくりしてください。

 

神社の目の前には小さな公園のような『子供の広場』があり、ブランコ、滑り台、鉄棒などもあるようです。出かけたのが日曜だったこともあり、たくさんのお子様連れの家族が楽しんでいました。

 

ちょうど近くのコスモス畑(中野町2275-1)が満開だと新聞で知り、何が起きるかわからないこの頃ですから、今年最後のコスモスを目に焼きつけておきました(笑)。

 

変わった注連縄と御祭神のなが~い名前に驚いてしまう『松之浦神社』

 

 

松之浦神社

 

 

鎮座地:浜松市中央区松小池町304-1

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[天竜川駅]から徒歩約29分
      遠鉄バス[松小池]バス停から徒歩2分
車:東名高速道路[浜松IC]より約3分
駐車場:ありません。道路を挟んだ「子供の広場」前のわずかなスペースに駐車できるかも?

御朱印:不明

 

松之浦神社とは?

 

松之浦神社『拝殿』と、薄くて読みにくい『由緒書き』

 

由緒

伝承によれば源平時代、戦勝祈願の為、九州英彦山より天忍穂耳命を勧請。宝暦13年焼失。明和元年9月再建。安政5年9月3社合併する。

元は八面神社と称し明治11年に現在の名称に改める。明治12年9月、村社となる。

昭和6年竣工の本殿・雨覆・渡殿・拝殿・鳥居・狛犬、燈篭二対は昭和19年の東海沖地震及び戦災に遭い、平成4年に大修理。氏子増加により境内地の拡張をする。

(境内由緒書きより)

 

創建年代は不明とされますが、伝承では、源氏と平氏が武士の二大勢力として覇を争った時代( 11世紀末から源頼朝が武家政権を確立する12世紀末までの約100年間)に、九州英彦山(ひこさん)より、戦勝祈願のため太陽神である天照大神の御子、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を勧請したのがはじまりと由緒書きにはあります。

 

1763年(宝暦13年)に焼失しましたが、翌年の1764年(明和元年)9月には再建することができ、1858年(安政5年)9月に3社を合祀しました。

 

元々は八面神社と称していましたが、1878年(明治11年)に現在の『松之浦神社』に社名を改め、翌年1879年(明治12年)9月には村社となっています。

 

昭和6年竣工の本殿・雨覆・渡殿・拝殿・鳥居・狛犬、燈篭二対は昭和19年の東海沖地震及び戦災に遭い、平成4年に大修理。氏子増加により境内地の拡張をしたとあります。

 

御祭神

 

変わった注連縄が飾られた『石鳥居』と、御祭神が書かれた『扁額』

 

主神

正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)

 

天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五皇子の長男。弟に天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野櫲樟日命がいる。

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘である栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)との間に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をもうけた。

『古事記』ではアマテラスが最初に天降らせようとしたのはこの天忍穂耳命だったのだが断り、その準備中に生まれた瓊瓊杵尊を天降らせたとされている。

瓊瓊杵尊はアマテラスの孫にあたる神で、宮崎の高千穂に降臨した天孫降臨伝承は有名。名は「天地が豊かに賑わう神」を意味し、降臨の際、稲作をこの地上にもたらし、産業における農業の神としての性格面が強い。このため御神徳には、五穀豊穣や商売繁盛の他、国家安寧、殖産振興などが挙げられる。( https://discoverjapan-web.com/ )

 
合祀

須佐之男命(すさのおのみこと)

倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

猿田彦命(さるたひこのみこと)

 

石鳥居に飾られている変わった注連縄

 

『松之浦神社』の大きな石鳥居に飾られている『注連縄』は、平成28年度 浜松地域遺産に認定されているそうです。(無形民俗文化財)


この注連縄は、鳥居の両方の柱と真ん中にできる結び目が表から見ても裏から見ても同じ形になっているため、裏表のない正直な心を表すものだと言われているそうです。


また、この注連縄は毎年10月の祭典前に氏子さん達の手により綯われ、祭典の朝に飾り付け奉納されています。

参照元:https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/documents/117049/shiryo-hen-1.pdf

 

関連記事≫

www.sannigo.work

 

拝殿・本殿

 

古の時代を想像させる『拝殿』と、『本殿』

 

狛犬

 

阿吽の狛犬、右の阿は玉を抑えた「玉取り」

 

獅子に似た想像上の生き物といわれる狛犬。こちらの狛犬は立派な注連縄をかけた凛々しい狛犬です。狛犬は邪気を祓い神前を守護する意味を持ち、阿吽で宇宙の最初と最後を表しているともいわれています。

 

手水舎

 

『手水舎』と、拝殿右手奥に置かれた『瓦』

 

境内社?

 

境内社?と、「宮北通り」と読める木碑


立派な石垣の上に鎮座していますが、境内社でしょうか?秋葉灯籠のような気もしますが、いろいろ調べてみましたが不明です。

 

御神木?

 

本殿右手に大きな木があり、根っこにはきのこも生えています

 

コスモス畑

 

ちょうど終わりかけの頃のコスモス

 

浜松市中央区中野町2275-1

 

コスモス畑のある中野町は「東海道」の江戸日本橋~京都三条大橋のちょうど真ん中に位置することから、『なかのまち』と名づけられたそうです。

 

江戸時代には街道筋の川渡しの間の宿(あいのしゅく)として賑わい、明治から大正時代には川を使って運ばれる天竜木材の集積地としてにぎわった歴史ある町です。

 

私にとっての中野町は8月のお盆にスターマインなど約4千発が夜空を彩る中野町煙火大会。 主催は地元住民、地元愛に支えられている花火大会というのも興味深いです。

 

関連記事≫

www.sannigo.work

 

最後に

 

今回お参りした『松之浦神社』は、まず他に同じ名前の神社がない!と聞いてびっくり。さらに、浜松市の無形民俗文化財に指定されている『注連縄』が大きな石鳥居に飾られていると知り、どうしてもお参りしたくなって出かけました。

 

事前情報として駐車場がないのは知っていたけど、公園が近いならどうにかなるのでは?と甘い考えで出かけてしまい、結局境内に乗り入れてしまったこと。とても反省しています。申し訳ございません。

 

ただ、本当に見たことのない変わった注連縄で、何か重大な意味があるのでは?と疑ってしまうほど(笑)。そして、境内社らしいのに、何の情報もなかった灯篭のような形の建物も気になります。

 

御祭神の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、まさかのなが~い名前でびっくり!

 

さらにあの天孫降臨したニニギの御父上ということですし、アマテラスに地上を治めてこい!と命を受けたにもかかわらず、なんと断ってしまい、代わりに息子のニニギに行かせたというなんとも遠慮がちなのか?やる気がないのかと不思議に思っていた神様を祀る神社としても興味津々でした。

 

実際にお参りして感じたのは、地元の皆さんに愛されているということ。すぐ前の子供の広場はとても賑やかでしたし、携帯をいじる男子も境内でのんびりしていたし境内もきれいに掃除が行き届いていることから感じました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。