こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回の遠江の天白神社巡り⑩では、磐田市小島に鎮座する『天白神社』をお参りさせていただきました。御祭神は宇加之御魂神です。
こちらの神社の鎮座地磐田市小島は天竜川の東側、天竜川や太田川に挟まれた磐田原台地の南側に位置しています。
江戸時代前まで河川からの土砂の堆積が進まず、排水不良の沼や池が広がっていたといいます。こうした人々が暮らしにくい土地に流れる川の流れを変え、堤防を築き、荒れた土地を開墾し、田畑を広げやっと人が住める土地になってきた地域でした。せっかくの田畑が流されてしまうことも何度もあったことでしょう。
やはり治水と農耕の神である天白さまの信仰が広がる土地柄であったと思われます。三重県志摩地方を南限とし、名古屋には天白区、豊橋には天伯町、掛川には天白公園と天白の地名が残り、天竜川筋の遠州地方から長野県にかけて多く分布しているのが天白神社です。
多分この辺りも「天白」と呼ばれているのだろうと想像します。というのも、こちらの天白神社から北方向へ5分ほど歩いた場所に「ビレッジハウス天白」が存在していますから。
また、鎮座地小島は江戸時代から明治時代にかけて発展した福田(ふくで)湊に近いことも影響しているのいかなと思います。海上の安全や大漁を願うことはもちろんですが、漁業、製塩、織物の歴史は古く、帆船の帆布も製織していたそうですから物資の流通と共にいろいろな思想や文化も流れてきたのではないでしょうか?
最後に素人が天白信仰の考察もしています。笑ってやってください。

天白神社(磐田市小島)
鎮座地:静岡県磐田市小島1738
《アクセス》
電車・バス:JR[豊田町駅]下車、徒歩約60分
車:東名高速道路[浜松IC]より約22分
東名高速道路[磐田IC]より約28分
駐車場:ありませんが、近くの「小島広場」に停めさせていただきました
御朱印:不明
由緒


こんもりとした森の中に小島地区の屋台小屋と、何やら建物がありますが、近づかないと神社とはわからない感じの神社ですので、由緒など詳細は不明です。


屋台小屋の横から森の中に入っていくと、屋根を赤く塗った新しい感じの三角屋根の小さな社があります。ただこちらが何の社なのかは不明です。


小さな社の横に社務所的な大き目な建物があります。この建物に掛かっていた掃除道具に「天白神社」とあり、やはりここが「天白神社」なのだと確認できた感じです。とりあえずこちらの大きな建物にお賽銭を入れるような隙間があったのでお参りさせていただきました。




こちらのお社の近くにグーグルマップでは「小島広場」(静岡県磐田市小島1045)と表示される広場があります。こちらにも小さな祠と煉瓦の壁で囲まれ赤い鳥居が目立つ『お稲荷さん』らしい神社もあります。(マップには存在しませんが・・)
最初はこちらが「天白神社」かと勘違いしてしまったのですが、しっかりとお参りさせていただいて、ちゃっかり車も停めさせていただいて、1分くらい歩いてこんもりとした森まで歩き、『天白神社』を確認することができました。
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御祭神
宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇加之御魂神は日本神話に登場する穀物の女神です。『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されます。
現在は伏見稲荷大社の主祭神としてよく知られ、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されていますが、稲荷主神として宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)の名前が文献に登場するのは室町時代以降のことです。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られていたそうです。
記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれますが、宇加之御魂(うかのみたま)には「三狐神」の字が当てられています。
「お稲荷さん」と言うとなぜかキツネをイメージしませんか。キツネはあくまで稲荷大神のお使いであって、神さまそのものではないそうです。
稲荷大神にとってキツネは、熊野神社のカラスや八幡神社のハト、氏神さまの狛犬などと同じように「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれ、神さまのお使いをする霊獣なんだそうです。
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小島という地域は?
『天白神社』が鎮座する小島という地域は磐田市の「長野地区」に含まれます。長野地区は太田川や天竜川によって造られた沖積平野と海岸部の砂丘地帯にあります。
江戸時代以前には平野部を流れる大小の河川は複雑な流路を持ち、時として流れを変え、田畑を流すこともありましたが、長い時間をかけこの地域を肥沃な水田地帯に変えていきました。
網目のような河川の流れは、南部の地域に島の付く地名を多く残しました。ここ小島もその一つです。
また、太田川と天竜川に挟まれた磐田原台地の南側は、河川からの土砂の堆積が進まず、排水不良の沼や地が広がっていました。こうした台地に人々は排水路を掘り、川の流れを変え、堤防を築き、荒れた土地を開き、新たな生活の場を広げていきました。この地域の歴史は、治水と田畑の開発の繰り返しと言いかえることができます。
『天白神社』のすぐ東側には坊僧川が流れており、南東に当たる場所が祝川との分岐点です。もともと仿僧川は天竜川に流入していましたが、排水の悪さと天竜川からの逆流によって、一帯は毎年のように水害に悩まされていました。
地域の村々は仿僧川の河道の付け替えを幕府の普請役犬塚祐一郎に願い出ました。犬塚祐一郎氏は新水路(鮫島水道)を掘削し、今之浦川と合流させ、太田川に流すことを計画し、工事は1832年(天保3年)に無事に完成しました。そして、仿僧川の治水事業は1945年(昭和20年)の新川掘削によって完了したそうです。
蝦(えび)島水道碑
1864年(元治元年)には仿僧川の河道の付け替えを成功させた犬塚祐一郎氏への感謝を込めて『紀功碑(蝦島水道碑)』が建立されました。小島の『天白神社』の少し北側にあります。
この蝦島水道碑には「始めて水患を免れる」と刻まれており、周辺に暮らす人々の長い水との戦いを終わらせてくれたことへの感謝の大きさを感じさせてくれます。
参照元:ふるさと散歩(パンフレット)
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小島広場


大きなイチョウの木が目立っていた広場で、今回車を停めさせていただいた場所です。


天白神社の鎮座地かと間違ってしまうほど、石碑やお地蔵さん、小さなお社、赤い鳥居が並びレンガの壁に覆われたお稲荷さんがありました。








かなり広い公園といった感じでお子様用の遊具も設置されていたので、きっとこちらにお住いの皆さまの憩いの場所なのだろうと想像しました。
天白信仰の考察
今回は磐田市小島に鎮座する『天白神社』をお参りさせていただきました。天白信仰の特徴でしょうか?同じ天白信仰なのに御祭神はバラバラ。小島の天白神社は宇加之御魂神を祀っています。
やはり天白さまは治水と農耕の神ということで、こちらの小島が含まれる「長野地区」は江戸時代まで天竜川はもちろん、すぐ東側に流れる坊僧川は排水の悪さと天竜川からの逆流によって毎年のように水害に悩まされていた地域だったようですから、天白信仰が広がる条件にあてはまっています。
さらに近くには福田湊があります。塩や織物などの流通は長野や伊勢へも通じていたことでしょうから、そこで文化や信仰も流れていったり、来たりとしたのだと思います。
実は福田(ふくで)に少しだけ住んでいたこともありますが、調べてみて初めて神社やお寺が非常に多い地域だと知りました。海の神を祀る六所神社に白山神社、三嶋神社に浅間神社、八王子神社に神明宮。お寺も多い、観音寺に慶昌寺、妙福寺に長泉寺、龍法院に寿正寺、宗次寺。今度しっかりと参拝して歩きたいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。