sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

1200年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』は家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地

🕖2023/03/31    🔄2023/11/27

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の家康ゆかりの地は、三ヶ日みかんでよく知られる三ヶ日にある1100年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』です。

 

さすがに11月末に三ヶ日の町中を車を走らせると、あたり一面に広がるみかん畑はすっかりオレンジ一色で覆われ、10個も入った甘いみかんが無人販売で100円で買えたりもします。

 

『瑠璃山大福寺』は家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地としてもよく話題にのぼりますし、庫裏(くり)は国登録有形文化財で、御本尊の薬師如来像なども県指定文化財に指定されており、寺内に多数の文化財があることもご参拝の楽しみです。

 

最初に現れる朱色に彩られた大福寺『仁王門』

 

 

瑠璃山大福寺


北区三ヶ日町の大福寺は、今からおよそ1100年前(平安時代)に幡教寺(ばんきょうじ)として開創された真言宗のお寺で、浜名湖北岸地域を代表する古刹として全国的にも知られています。

 

家康が愛した”大福寺納豆”は現在も、室町時代から代々受け継がれてきた秘伝の製法でこちらの大福寺で作られ、丁寧に放送され1箱800円程度で購入できます。

 

 

場所:浜松市北区三ヶ日町福長220-8

 

《アクセス》


電車・バス:天浜線[三ヶ日駅]より徒歩40分

車:東名高速道路[三ヶ日IC]より約15分
駐車場:無料駐車場があります

拝観時間:9:00~16:00 無休(臨時休あり)

拝観料:500円(宝物館も楽しめます)

御朱印:いただけます(300円)

 

大福寺の御朱印

 

創建は875年(貞観17年/約1100年前)とされ、愛知県新城市との境界にある富幕山(とんまくやま)山中に設けられた播教寺(ばんきょうじ)がその前身寺院と伝えられています。

 

鎌倉時代の承元3年(1209年)に現在の場所へ移転し、当時の天皇 土御門天皇(つちみかどてんのう)の勅願を受け、”大福寺”と寺号を改めたとされています。

 

仁王門

 

大福寺へ向かうと、最初に朱色に彩られた仁王門が目に飛び込んできます。

 

門内には鎌倉時代の作とされる二体の金剛力士像(仁王像)が置かれ、どちらも静岡県指定文化財となっているそうです。

 

まず間に飛び込んでくる朱色の『大福寺仁王門』

 

『仁王門』内には鎌倉時代の作とされる二体の金剛力士像(仁王像)

 

『仁王門』の扁額と案内板

 

仁王門から伽藍の中心までは300mほどの距離があります。現在その間には、民家やみかん畑、新東名高速道路などがありますが、かつては全てが大福寺の境内だったそうで、往時の広大さがしのばれます。

 

そろそろ、歴史を感じる階段の向こうに朱色の『本堂』が見えてきます。階段手前にある寺務所内で拝観料を支払い『御朱印』をいただいてからお参りしていきましょう。

 

『本堂』が見えてきたら、『宝物殿』入り口の『山門』の左側の寺務所で拝観料を!

 

階段の手前には服部正信・友清の墓の案内板があります。服部正信・友清は、室町期から元禄期の頃までこちらの『大福寺』でも行われていたという『神事能』の役者だったとのことで、父子家族の墓と寄贈の能面が保存されています。

 

服部正信・友清の墓の案内板

 

服部正信・友清の墓と案内板

案内板によると

 内山真竜(うちやままたつ)の『遠江風土記伝』には「町内の摩訶耶寺、大福寺、宇志八幡宮では、室町期から元禄期の頃まで神事能(しんじのう)が行われていた。」と記されている。

 服部正信(享保3年・1718年没)は、神事能の役者であり、喜多流2世名人の喜多左京直能に学び、大福寺の庇護をうけ、西遠東三にその名を知られた能役者であった。

 服部友清は正信の娘婿となり優れた能役者として近隣に知られた。宝暦5年(1755年)新城富永神社祭礼能に88歳の高齢でシテ(能の主役)をつとめた話は有名である。

 ここ大福寺には、父子家族の墓と寄贈の能面が保存されている。

とのことです。

 

『弘法大師八十八ヶ所仏像』がきれいに並んでいる『本堂』までの階段を登っていきます。お手水にはやはり凛々しい龍が施されています。

 

左右に『弘法大師八十八ヶ所仏像』が並ぶ階段を登りお手水でお清めしましょう

 

本堂

 

9月から4月までの間咲くという半歳桜と10月桜が華やかに咲く本堂前

 

境内正面の『本堂』には御本尊の薬師如来像(静岡県指定文化財)を安置しているそうです。秘仏の御本尊は45年に1度開帳されます。

 

こちらの『大福寺』を訪ねたのは紅葉が始まる時期の11月26日ですが、驚いたことに数本の桜が華麗な花を咲かせていました。「あら~なんと季節外れの桜が儚げに咲いている!」と、一緒にでかけた同居人と大喜びしました。

 

実は、『大福』寺の境内では約8ヶ月は桜が楽しめるそうなんです。というのも、境内には9月から4月までの間咲くという『半歳桜』と『10月桜』がけっこうあるようです。

本堂や六角堂、鐘楼などの写真を撮るベストショットには必ずと言っていいほど配置されていることのビックリ&感動でした。

 

それに、境内は海抜40mのところにあるため、猪鼻湖や瀬戸の景勝地が眺められます。お参りのために訪れたのに、素敵な景観や季節外れの桜まで楽しめるなんてかなりラッキーでした。

 

熊野鎮守

 

かなりの重厚感と歴史を感じる本堂の右側にある『熊野鎮守』

 

本堂の右側にある『熊野鎮守』を撮影しても、やはり桜が写り込んでかなり素敵!です。続いて『秋葉神社金毘羅』と立派な『護摩堂』が並び、さらに『鐘楼』と続きます。

 

『秋葉神社金毘羅』からの立派な『護摩堂』、さらに『鐘楼』もちろん桜咲く❀

 

今度は『本堂』の左側に回ってみましょう。『弘法大師堂』からの『六角堂』です。

 

本堂左側の『弘法大師堂』からの『六角堂』

 

お参りが済んだら階段を降りて、右側の『山門』をくぐり、『庫裏』をながめつつ、900坪もある自然が楽しめる『庭園』を散策していきます。

 

大福寺庭園

 

室町時代の築庭といわれる大福寺『庭園』

 

『大福寺』客殿の西側にある庭園(県指定名勝)は、パンフレットによると、室町時代の築庭といわれとても歴史深く、900坪もある広大な『鑑賞式兼廻遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)』で滝も備えたお庭です。極楽浄土を模した浄土庭園で、どこから眺めても美しい景色を眺めることができます。

 

自然味あふれる山が取り入れられ、「福助池」と呼ばれる池の周りを狭いながらぐるりと廻ることもできました。また、元禄時代茶祖山田宗偏(やまだそうへん)が愛好した名園とも伝わるようです。

 

ちょうどこちらを訪ねた11月下旬は、『大銀杏』が黄色に色づき存在感たっぷりの状態の『庭園』でした。

 

大福寺「大銀杏」

 

「湖北五山古木・御神木巡り」の大福寺「大銀杏」

 

浜松市制百周年記念事業「湖北五山古木・御神木巡り」大福寺「大銀杏」という案内板が、見上げるだけでクラクラしそうな「大銀杏」の下にひっそりとありました。

 

案内板によると

樹齢300年以上・樹高25m・幹周4mとのこと。江戸中期に植えられたといわれます。1768年(明治5年)本堂を除く行動が焼失しましたが、この銀杏の木は残ったそうです。

諸堂が炎上しても、残った生命力の強さで、しっかり根を張って巨木となり、昔は遠州灘を通る船や地元の漁船が位置を知る灯台の役目をしていたといわれます。

大火のあとも強い生命力(パワー)で寺を守っています。

とのことで、黄色の輝く大きな銀杏の木は、かつて灯台の役目も果たしたすごい銀杏の木だったことがわかりました。

 

宝物館

 

『聚古館』と銘名された『宝物館』

 

宝物館は昭和40年建設の鉄筋コンクリートで、当時奈良国立博物館長石田博士が『聚古館』と銘名されたものだそうです。

 

宝物館には普賢十羅刹女像(ふげんじゅうらせつにょぞう)、瑠璃山年録残編(るりさんねんろくざんぺん)、金剛装笈(こんどうそうおい)の三点の国指定重要文化財が保管されています。

 

いずれも明治時代に指定(旧国宝)されたもので、このうち瑠璃山年録残編は、南北朝時代における遠江の南朝方と北朝方の攻防戦の状況が記された重要な史料だそうです。

ちなみに、こちらの『宝物館』では残念ながら撮影はNGでした。

 

 

これで『瑠璃山大福寺』境内から『お庭』、さらに『宝物館』までをぐるりと回ることができました。お天気もよく、歴史ある建物を青空の下で眺められる幸せを感じました。

 

『大福寺』駐車場から見える本堂などがある境内

 

最後に、すぐ横にはみかんがたくさん実る畑がある「駐車場」から本堂を眺めることをおすすめします。なぜって?ここからのい風景がかなり素敵だったから。

 

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大福寺納豆づくり

 

先日ドラマ館で購入した『浜納豆』はかなりしょっぱい!

 

大福寺では徳川家康公にも献上されたという『大福寺納豆』づくりが行われています。現在ドラマ館でも販売され人気の『浜名納豆』の発祥の地としても大福寺は有名です。

 

この浜名納豆は中国(明時代)の僧から伝来し「唐納豆」と呼ばれ、足利七代将軍義勝、今川義元、豊臣秀吉、徳川家康以下歴代将軍にも献上されていました。

 

中でも家康はこの納豆を好んで食したといわれ、ある年献上納期が遅れた際には「浜名の納豆はまだ来ぬか」と納豆を待ちわびていたと伝わり、徳川中期から『浜名納豆』と称されるようになったとのことです。

 

お寺では現在も、室町時代から代々受け継がれてきた秘伝の製法を守り続けており、家康が愛した味が受け継がれています。

 

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最後に

 

三ケ日みかんで有名な三ヶ日にある古刹『瑠璃山大福寺』ですが、じつはまだ訪れることができていません。ですが、写真ACで見つけた写真を見るだけでここはちょっと他と違うぞ!と感じます。

 

調べてみると、まず最初に目に飛び込んでくる朱色が美しい『仁王門』の門内にある二体の『金剛力士像(仁王像)』は静岡県指定文化財。さらに御本尊の薬師如来像も静岡県指定文化財、聚古館の普賢十羅刹女像、瑠璃山年録残編、金剛装笈の三点も国指定重要文化財。

 

美しい大福寺庭園は県指定名勝、庫裏にいたっては国登録有形文化財と、あまりの文化財の多さに驚いてしまいます。

 

いつも眺めている丘陵のみかん畑のどこかにこのすごい古刹があるということがわかったので、GWには訪ねてみる予定です。【11月27日追記】GWのチャンスを逃し、紅葉が始まった昨日ようやく訪れることが出来ました。

 

ちなみに、先日ドラマ館で購入した家康公の好物とされる『浜納豆』(大福寺産ではありませんでした笑)ですが、おつまみに!と開けて食してみました。

 

これはかなりしょっぱいですぞ。高血圧注意報が発令されましたので、今度はカレーや卵焼きの隠し味として挑戦してみます。

 

ということで、最後までお読みいただきありがとうございます。では、また!