🕖2023/05/13 🔄2023/06/14
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回の家康ゆかりの地は、JJR磐田駅から南へ100mほど離れた、コンビニの裏にある小さな公園『磐田御殿(ごてん)遺跡公園』と、中泉御殿の門が移築された西光寺、西願寺です。
『磐田御殿遺跡公園』家康公の石像としては珍しい、ちょこんと座った姿がかわいらしい石像が目印になっています。園内は大きくは歩道と石張り舗装がされたスペースと、遺跡の柱跡を表現した芝生のスペースとに分かれており、コンクリートの位置と大きさは柱跡を示しているそうです。
また、こちらにも徳川家康お手植えの蜜柑が植えられています。これはもう静岡県の史跡や名所の定番なので、覚えておいてください(笑)
現在は市街地に没している、徳川家康が鷹狩りのおりに休憩・宿泊施設として築いた「中泉御殿」の表門は西光寺に、裏門は西願寺にと、付近のお寺に移築され現存しており、市指定文化財に指定されています。
御殿遺跡公園(ごてんいせきこうえん)
御殿・二之宮遺跡は弥生時代〜平安時代・中世に営まれ、特に奈良時代には遠江国府の中心施設が配置された重要な遺跡です。古代の大規模な建物跡が見つかり、その配置や規模から役所の建物の一部と推定されます。
国分尼寺や国分僧寺の中心線を真南に延長した場所にあたることから、古代の都市計画に基づいて建物が造られたと考えられます。大規模な建物跡は御殿遺跡公園に保存され、その地がわかるようになっています。
場所:磐田市中泉2270-17
《アクセス》
電車・バス:JR磐田駅南口から南へ100m 徒歩約3分
車:東名高速道路磐田ICより車で約23分
駐車場:ありません ※有料駐車場をご利用ください
近所の有料駐車場[リベーラ磐田](市営駐車場)
『遠州中泉古城記』によると、徳川家康が家臣の伊奈忠次に命じ1584年〜1588年(天正12年〜15年)に地内に「御殿(ごてん)」を築きました。
この「御殿」とは、将軍の旅行や外出の際の宿泊・休憩施設として全国に90ヶ所ほど設けられた施設だそうです。家康の鷹狩り御殿は、静岡県内には約30ヶ所に造営されたといわれます。
牧之原市の相良にも鷹狩り御殿があったと先日の中日新聞に載ってましたね。なんと、そちらでは「御殿印」なるものを販売しているとか。(牧之原市資料館にて)
『御殿遺跡公園』の「御殿」も、徳川家康が鷹狩りのおりに休憩・宿泊施設として磐田に築いた「中泉御殿」のことです。
「中泉御殿」は、徳川家康が浜松城主だった1584年(天正12年)に現在の磐田駅前のあたりに(初代代官を努めた秋鹿家(あいかけ/久保村に移転)のお屋敷があったところ)に、別荘として建築を始め、1587年(天正15年)には完成したといわれます。
以後約30年間使用され1670年(寛文10年)に廃止されました。当時この辺りは1軒も民家はなく、閑静なところでしたが、「中泉御殿」の敷地は約1万坪と伝えられ、絵図等によると、敷地の北側に土塁と水堀を築き、南側は湿地に臨む要害の地でした。
関ヶ原の戦いや大坂の陣への往来の前後にもこの御殿に立ち寄ったといわれます。が、御殿遺跡公園は付近の開発事業の際に堀と土塁が発掘され、発掘調査が行なわれた区域の1/6ほどを公園として整備・公開しているもので、「中泉御殿」は現在市街地に没しています。
古絵図を見ても、大池を背後にした広大な敷地はまさしく城郭構えになっており、軍事的に利用されたことがわかります。
また、中泉御殿の表門は西光寺に、裏門は西願寺にと、付近のお寺に移築され現存し、市指定文化時に指定されています。
遺跡そのものは、御殿・二之宮(ごてん・にのみや)遺跡といって弥生時代から江戸時代までいろいろと使われてきた場所で、特に奈良時代には遠江国の国府が置かれていたと推定されている遺跡です。
御殿遺跡公園に設置された案内板には、「後には天領を管理する中泉陣屋が、中泉御殿の一画に設けられた」と書かれています。遠江国が幕府直轄領となった家康の死後、中泉御殿の北東に隣接する地域は、「御陣屋」と呼ばれる中泉代官所があったとのこと。
中泉陣屋は通称「中泉代官所」と呼ばれ、幕府の直轄領(幕府領)を支配し、その範囲は遠江を中心に、西は三河から北は信濃まで及んでいたといいます。中泉代官は伊藤忠次や、大草左衛門、羽倉簡堂、林鶴梁など有能な官僚が務めました。
1862年(文久2年)に書かれた陣屋絵図の中に「稲荷宮」と「稲荷門」という名称が見られます。この道標は、稲荷宮の参道に立てられました。
中泉陣屋の大きさは、絵図によると西は東城道に面し、周囲は土塁や水路によって仕切られ、総延長約571mあります。敷地の大半には書院や長屋などの建物が並び、南側には畑や池とともに稲荷宮が置かれていました。
また、中泉陣屋の表門は、現在市内新島の伊藤家に移築され、御殿遺跡公園には陣屋内にあった稲荷へ通じる道「軍兵稲荷道」の石碑があります。
もちろん、こちらにも徳川家康お手植えの蜜柑が植えられています。浜松市役所のお手植えのみかんは、実ると市民に配られるのですが、こちらのみかんはどうしているのでしょう?少し興味が湧きます。
関連記事>>
西光寺(さいこうじ)
場所:磐田市見付3353-1
《アクセス》
電車・バス:JR磐田駅から徒歩で約26分
JR磐田駅からバスで10分
車:東名磐田ICより車で約9分
駐車場:あります(10台)
東海道の宿場町として栄えた見付宿の西に位置する『東福山西光寺』
今からおよそ750年前、鎌倉時代に真言宗の僧侶がこの地にお堂を建立したのがお寺の始まりです。開創から十数年後に時宗の一遍上人が御本尊を開眼したことで、時宗に改め今に至ります。
西光寺には徳川家康が別荘として築いた築いた『中泉御殿』の遺構が残されています。御殿廃止後に建物は近隣の寺院に払い下げられ、表門(磐田市指定文化財)はここ西光寺に移築したものといわれています。現存する御殿の遺構は数が少なく、貴重なものです。
阿弥陀如来をご本尊とする西光寺は、見付宿西側に位置する時宗の名刹で、徳川家ともゆかりの深いお寺としても知られ、山号を東福山の由来も徳川家との関わりにあります。
二代将軍徳川秀忠と正室江の娘、源和子(みなもとのまさこ)、後水尾天皇の中宮として入内、東福門院(とうふくもんいん)と称されました。
源和子様が上洛の途中、こちらの西光寺でご休息されたおり、ご自身の守り本尊として幼少期からおそばに置かれた木造地蔵菩薩像、および木造阿弥陀三尊立像、自らのお名前を冠した東福山の山号、そして七堂伽藍を賜ったそうです。
ですから、この寺の山号が東福山になったのは、東福門院が上洛の途中に西光寺でご休息されてから後のことだそうです。
また、寄進された観音像の他、西光寺には市天然記念物の「大クス」と、その根本から生えた「ナギの木」があります。「ナギ」の葉は切れにくく、男女の縁が切れないといわれ、縁結びのパワースポットとしても知られています。
縁結びでブームになっているパワースポットなためか、参拝者が途切れなく訪れているといいます。テレビやラジオで紹介された境内を覆う「大クス」と「ナギの木」は、恋愛成就と縁結びのパワーを持つと、良縁に恵まれた人の喜びの声が続いているそうです。
西光寺のおすすめは
・境内を覆う大クスとナギの木(恋愛成就と縁結びのパワーを持つ)
・日限地蔵尊(願掛けに訪れる参拝者が途絶えない尊像)
・薬師如来坐像(平安時代作、磐田市指定文化財)
・庭園もあり男石と女石という御石様
などです。
西願寺(さいがんじ)
場所:磐田市中泉254-1
《アクセス》
電車・バス:JR磐田駅から徒歩で約5分
車:東名磐田ICより車で約14分
駐車場:ありません
西願寺は磐田市にある真言宗大谷派の寺院です。山門は徳川家康が別荘として使用していたといわれる「中泉御殿」の裏門と伝えられ、御殿の廃止後にこちらに移築されました。裏門は安土桃山時代の縄文建築の遺構として貴重なことから、2005年(平成17年)に磐田市指定有形文化財に指定されました。
西願寺山門は切妻、本瓦葺き、一間一戸、薬医門(屋根を支える4本の柱のうち前2本を屋根の中央線に近づけることで、軒先が外に張り出し勇壮に見える工夫が施されている)で、彫り物も施され、梁の形状などから17世紀のものと考えられています。
ご本尊は阿弥陀如来で、境内に残るマキの老木が、このお寺の歴史を物語っているようです。入母屋造りの新しい本殿も重厚な感じがするものとなっています。
関連記事>>
最後に
今回は、将軍の旅行や外出の際の宿泊・休憩施設として全国に90ヶ所ほど造営された『御殿』。家康の鷹狩り御殿は、静岡県内に約30ヶ所に造営されたといわれます。
牧之原市の相良にも鷹狩り御殿があったとされ、今回ご紹介した『御殿遺跡公園』の「御殿」も、徳川家康が鷹狩りのおりに休憩・宿泊施設として磐田に築いた「中泉御殿」のこと。
その中泉御殿の門が近くのお寺に移築され、今も見ることができるなんてロマンスを感じませんか?
磐田といえば、家康が浜松城を築く前に遠江進出の拠点として城之崎城を築こうとした、いやそろそろ出来上がろうとしていた、古代から遠江の中心地で交通の要所でもありました。まあ、信長に反対されて泣く泣く浜松の引間城を拡げて「浜松城」としたらしのですが。
ですから、磐田にも浜松に負けないくらい、いやそれ以上の「徳川家康のゆかりの地」が残っているのかもしれないのです。三方ヶ原の戦いの前哨戦ともいう「一言坂の戦い」もありましたし、伝承も「池田の渡し」以外にもたくさんあります。
まだまだ、家康公関連で訪ねてみたい場所が無限大に残されています。大地震が来る前に!大飢饉が起こる前に!一つでも多く訪ねてみたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。