sannigoのアラ還日記

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鍛冶屋や金工職人、鋳物屋の篤信を集める『金山神社』はまるでオアシス

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の徳川家康ゆかりの神社は『金山神社』です。徳川家康をはじめ、歴代の浜松城主からも崇敬されていたといいます。

 

家康公の鍛冶集団が勧請し、鍛冶屋や金工職人、鋳物屋の篤信を集める「金山神社」は、 家康とゆかりの深く金運招福、必勝祈願、金属関係業繁栄、恋愛成就、良縁祈願、夫婦和合にご利益があるとされる神社です。

 

閑静な住宅地にあるオアシスのようで、気持ちを填めてくれそうな神社で、歩いて5分の『五社神社・諏訪神社』をお参りしたあとに訪れると、余計に静寂さを感じられます。

 

ちょっと寂しい感じの『金山神社』のお堂

 

 

金山神社

 

金山神社は天正年間(1573~1593年)徳川家康公が浜松城を築城する際、釘鎹(くぎかすがい)・蝶番(ちょうつがい)・飾り金具等を金銅鋼鉄で鋳鍛造するために、城内三の丸に鍛冶集を常駐させ、同時に美濃国(岐阜県)南宮大社より御分霊を勧請し祀ったことが始まりとされます。

 

 

場所:浜松市中区栄町9

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[浜松駅]から徒歩で約12分、木下恵介記念館の向かい側に位置します。五社神社・諏訪神社からは歩いて約5分の場所にあります。

車:東名高速道路[浜松IC]から約25分

駐車場:なし。有料駐車場が浜松駅周辺にたくさんあります。

 

浜松の鍛冶集団の起源は、1582年(天正10年)、織田信長と徳川家康が武田氏を滅亡させたことを契機に、甲斐国から技術者を移住させたこととされています。

 

1615年(元和元年)には、浜松城拡張工事のため、秀忠公の産土神である五社神社を城外に、現在地の常寒山に遷座させ、それに伴い、金山神社も寛永年間(1624年~1644年)、浜松城下の鍛冶町の形成と同時に現在の場所に移ったといわれています。

 

歴代城主の信仰厚く、金銅鋼鉄に関わる商工業者に信仰されましたが、1945年(昭和20年)に戦禍により焼失し、鍛冶町氏子有志により1960年(昭和35年)に再建されたといいます。

 

神社は栄町にありますが、現在も鍛冶町の氏神として信仰を集めています。社務所は通常不在のようですが、15日には氏子さんが詰めてくださるとのことです。

 

御祭神は金山彦神(かなやまひこ)/金山比女神(かなやまひめ)で、鉱山をつかさどり、鍛冶など金属に関する産業に従事する人の守護神とされており、鍛冶屋の神、金工職人職神、金物商の神になります。江戸時代には、鍛冶町の職人から信仰されていたかもしれません。

 

金山神社の鳥居

 

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舟形のおおきな物には、案内板も、蛇口も、柄杓も、水もありませんが、きっと舟形の大きな手水鉢だったのだろうと考えます。

 

金山神社の手水鉢でしょうか?変わった形です

 

金山神社の沿革

 

下に張ってある飾瓦ですがちょっと変わっていたので、写真に納めてしまいました。よく見ると下の方は狛犬っぽかな?と。

 

グーグルレンズによると「飾瓦狛犬」というものがあるらしいので、「飾瓦狛犬」としておきましょうか?

 

金山神社の瓦にはの御紋と飾瓦狛犬かしら?

 

『五社神社・諏訪神社』

 

金山神社から歩いて約5分の『五社神社・諏訪神社』は、どちらの神社も家康公はじめ徳川家に崇拝され、現在両社は徳川三代ゆかりの寺として合祀されています。

 

当初浜松城内に奉斎された神社を、二代将軍秀忠公誕生にあたり産土神とされ、天正8年に家康により現在の地に遷されたのが『五社神社』、そして、当初敷知郡上中島村(現在の浜松市中区中島)に奉斎された後にこの地に遷されたのが『諏訪神社』です。

 

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最後に

 

1582年(天正10年)、織田信長と徳川家康が武田氏を滅亡させたことを契機に、甲斐国から技術者を浜松に移住させたことから始まる「浜松の鍛冶集団」。

 

今回訪れた『金山神社』は、家康が美濃国(岐阜県)南宮大社より御分霊を勧請し祀ったことが始まりとされます。

 

歴代城主の信仰も厚く、金銅鋼鉄に関わる商工業者に信仰されました。現在も神社は栄町にありますが、鍛冶町の氏神としても信仰を集めています。

 

何かと気忙しなく暮らす現代人が、少し気持ちを休めるためのオアシスとして、コーヒーや文庫本片手に訪ねたら気持ちが休まるのでは?と思える神社です。