sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

釣鐘には”源家康”の銘文あり「身代わり地蔵」としてよく知られる宣光寺

🕖2023/03/17  🔄2024/03/14

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今や定番の健康法となっているウォーキング。私のようなアラ還世代なら認知症予防や高血圧、糖尿病などの予防改善などのためと頑張っている方も多いのでは?

 

最近は大河ドラマの影響で、「健康のためのウォーキング」というより、「家康公のゆかりの場所を訪ね歩いていること」がつまりウォーキングというような感じになっています。

 

ゆかりの地ってけっこうお寺や神社が多くて、車ではなかなか入れない狭い道沿いにあることが多いのよね。でも、歴史を勉強しつつ、健康のためにも、ダイエットにも良いのだからこんな良いことは他にはないのでは?

 

ってことで、最近よく参加しているのが、『さわやかウォーキング』というJR東海が企画・主催しているウォーキングイベント。参加することでポイントが積算されて、踏破賞のオリジナルバッジや、タオル、キャップなどいろいろなものに交換できるんです。

 

しかも、現在ハマッているのが『どこ行く家康コース』、先週末はJR[豊田町駅]スタートのコースに参加して、今回ご紹介する『宣光寺』にも立ち寄ることができたのです。

 

じつは、この『宣光寺』昨年の秋頃からナビを頼りに車で何度もトライしていたのに、どうしてもたどり着けないお寺だったのです。歩いてみてわかったことは、狭くて入りにくい道を案内してくれるナビだっただけで、『宣光寺』は見付宿のすぐ近くというより、見付宿の中だったってこと。

 

生きている間にどうしても「家康」という銘文の入った釣鐘を見たかった!大げさなようですが本音!『さわやかウォーキング』のおかげで、人の波に流されて簡単にたどりつけ、しっかりと刻まれた”源家康”の文字を見て参ったでござる。

 

ただ、10kmという道のりは長く、足の指に豆ができてちょっぴし痛かったけど満足でござった。というわけで、そろそろ本題の『宣光寺』をいつものように詳しく調べてみたのでご覧くださいませ。

 

宣光寺の立派な御門と立派なお腹の石像ですが。布袋様かしら?

 

 

珠玉山宣光寺

 

敷地内にある釣鐘は、戦国時代に戦死した多くの武将のために、徳川家康の信仰が厚かった延命地蔵菩薩にその冥福を祈って家康公が寄進されました。鐘には家康の名前が刻まれています。

 

境内は広く、あちこちにあるお地蔵さんがかわいらしく、門の手前の大きな布袋様?の石像には驚きましたが、境内は静かで緑も豊か気持ち的に癒やされます。

 

 


場所:磐田市見付1340-1 

 

《アクセス》

バス・電車:JR[磐田駅]からバスで約15分
車:東名高速道路[磐田IC]より車で約6分
  磐田バイパス[見付IC]より約5分
駐車場:あり
    旧見付学校(見付駐車場)から徒歩約6分

 

旧東海道にあり地蔵小路の奥に鎮座する『珠玉山宣光寺(しゅぎょくさんせんこうじ)』は寺伝によると1596年(慶長元年)の開創。

 

豊川稲荷として知られる「妙嚴寺(みょうごんじ)」の25世太淵龍堂和尚によって開山された曹洞宗のお寺です。宣光寺は遠州三十三霊場の17番札所で、延命地蔵菩薩がご本尊です。

 

見付には今でも街道沿いにいくつか横町に入る小路が遺されています。その一つの「地蔵小路」と呼ばれる小路に宣光寺はあります。

 

地蔵小路の由来は、古来より宣光寺境内の地蔵堂内に、延命地蔵を安置しているところから付けられた名称とされています。

 

延命地蔵はこの辺りでは有名だそうで、かつては東海道を行き交う人びとが立ち寄り、旅の無事を祈願したと思われ、身分を問わす多くの人が訪れていただろうと想像できます。

 

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宣光寺には、県指定文化財の「木造地蔵菩薩坐像」と「木造毘沙門天」の二つの仏像が伝わります。どちらも平安時代後期に作られたものです。

 

御本尊の木造地蔵菩薩坐像と毘沙門天立像

 

本堂に隣接する地蔵堂はかなり重厚な感じです

 

本堂に隣接する地蔵堂には、宣光寺の「身代わり地蔵」としてよく知られる平安時代後期作で静岡県指定文化財の『延命地蔵菩薩坐像』が祀られています。

 

地蔵堂の前に、「水かけ地蔵」がありますので、ここでお地蔵さまに願掛けをしてお水をかけます。身も心も健康になりますように!とお参りします。

 

地蔵堂前の水かけ地蔵

 

案内板には以下のように書かれています。

お地蔵さまにお水をかけていただくと、皆さまの身体の痛みや心の痛みを和らげて下さいます。

お水をかけて、身も心も健康になりますようお詣りして下さい。 山主

 

延命地蔵菩薩坐像

 

身代わり地蔵の縁起が書かれた案内版

 

堂内は明るく拝観しやすい感じですが、地蔵菩薩像を見ることは難しいです。延命地蔵菩薩坐像は延命地蔵とも呼ばれ、1160年(永禄元年)の銘が残っているそうです。

 

桧の寄木造で左足を下げた半跏坐(はんかざ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手に宝珠を乗せていますが、これは衆生を救う行脚の姿を表わしています。高さ140cmにも達する大きな坐像で、日本三代地蔵の一つとされているそうです。

 

かつては60年に一度しか開帳されない秘仏だったそうですが、現在は毎月24日(11月のみ23日で、この日は大祭)に広く一般に公開されています。事前に連絡すれば開帳していただけると小耳に挟みました。

 

じつは、この地蔵菩薩には徳川家康にまつわる不思議な伝承が伝えられています。

 

徳川家康にまつわる不思議な伝承

 

1572年(元亀3年)、三方ヶ原の戦いの直前の「一言坂の戦い」の際、、武田勢に追われて見付に逃れた家康は、見付の町に火を放ちました。町は火に包まれ、人びとは恐怖におののき逃げ惑いました。

 

その中を一人の小坊主が、泣き叫ぶ女や子どもたちを火中から救い出そうと懸命に走り回っていました。その小坊主は延命地蔵の化身であったというのです。

 

1578年(天正6年)には、家康が大旦那となり傷んだ地蔵菩薩を修理したとの記録が残されています。地蔵菩薩は今でも災難の身代わりになってくれる仏様として人びとの信仰を集めています。

 

毘沙門天立像

 

地蔵像の左右の厨子には、毘沙門天立像、不動明王像が安置されています。毘沙門天立像は邪鬼を足元に踏み、鎧の装飾もみごとに表現され鮮やかな彩色が施されています。

 

この他にも木喰上人作と伝わる子育如来像、子育地蔵像や、1776年(安永5年)に奉納された和算額などが残されているとのこと。

 

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忘れちゃいけない釣鐘ですが、1587年(天正15年)徳川家康は中泉御殿を造営すると共に、この地蔵菩薩のために釣鐘を寄進しています。

 

釣鐘には「時天正一五亥年霜天廿四大・・・」や「大旦那 源家康」の銘文を見ることができます。

 

家康寄進の釣鐘

 

家康が寄進した釣鐘が釣られる釣鐘堂

 

鐘の胴部に「大旦那源家康」と1587年(天正15年)と銘文がありますが、この写真は裏側のため、鐘の鋳造に関わった人の名が見られます。

 

宣光寺の釣鐘は地蔵菩薩のため、1587年(天正15年)に徳川家康が寄進したものです。

 

釣鐘の胴部には、家康の名前が『源家康』と刻まれており、家康の文字が刻まれていたおかげで「世界大戦」の供出を免れ今に至ります。

 

残念ながら、せっかくの『源家康』の写真が撮れていなかった(泣)、なのに、裏側はしっかりと撮れていたのです(笑)。ちなみに、写真にある名前は、釣鐘の鋳造に関わった見付の住人である藤原孫藤吉、小工藤原久次、鍛冶大工久吉の亡が見られます。

 

-2024年3月14日追記-

先日(3月10日)リベンジのため、宣光寺さんへお参りに出かけました。今度はしっかりと『源家康』の文字を発見してきました。アップにしてじっくりと確認なさっていただければ、うっすらと見えます。

 

今回は『源家康』の文字を発見でき、写真におさめてきました

 

参照元:わがまちみどころガイド

 

最後に

 

磐田は知れば知るほど、古くから政治や経済の中心として栄えたことがよくわかる町です。

 

今回「さわやかウォーキング」に参加して、約10kmの距離で回れる見付宿や、家康ゆかりの地である一言坂の古戦場、一言観音、宣光寺などを歩いてみたことで、より一層戦国時代のいろいろを知りたくなってきました。

 

徳川家康の遠江支配の主要な足がかりとなった場所と思いながら歩くことで、今度はなぜ浜松?浜松の利点は?などの疑問も湧いてきます。

 

戦国時代って本当におもしろい!ってことで今回はおしまい。最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。