sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

薙刀を片手に家康と懸命に戦うも命を落としたお田鶴の方がお祀りされている『椿姫観音』

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

みなさんは浜松城天守閣や市観光インフォメーションセンター、各区役所などでいただける『家康公ゆかりの地 出世の街浜松 家康の散歩道』というパンフレットを御存知でしょうか?

 

全長6.34キロ、徒歩で約1時間30分(見学時間は除く)で家康公が居城とした浜松城とその城下町を巡るルート《城内・城下ルート》、さらに全長5.8キロ、徒歩で約1時間15分(見学時間は除く)で三方ヶ原の戦いや武田氏との内通を疑われた築山御前ゆかりの地を巡る《合戦ルート》が紹介されているパンフレットです。

 

ゆかりの地の名称や解説、周る順番や所要時間に料金、駐車場やトイレの有無まで、さらに家康公の年表から相関図まで網羅し、家康公のゆかりの地を巡ってみたいと考えている方には絶対に役に立つと思われます。

 

かくいう私も、こちらのパンフレットを手がかりに月をまたいで何日かかけ、20ヶ所をめぐり尽くすことができました。NHK大河ドラマ『どうする家康』を楽しみにご覧になっているみなさんも予習・復習と健康づくりを兼ねてお出かけになってみてはいかがでしょう。

 

今回はこちらの『家康の散歩道』《城内・城下ルート》から、お田鶴をまつる『椿姫観音』を中心に解説していきたいと思います。

 

お田鶴とは、夫の曳間城主”飯尾連龍(いのおつらたつ)を亡くしたあと、今川方の「おんな城主」として、家康の遠江侵攻の際に薙刀を片手に城兵や侍女たちとともに懸命に戦うも命を落としたと伝わる勇ましく美しい姫です。

 

『どうする家康』での放送を浜松市民らしく徳川方を良しとして見ていると、悪い女と思われがちに描かれてきた関水渚さんが演じる「お田鶴」でしたが、最後に引間城に火を放ち、薙刀を片手に馬上で「かかれー」と叫んだ気迫は今川家への思いで溢れ涙を誘いました。

 

実は3月19日に浜松市中区の静岡文化芸術大講堂で行なわれた『どうする家康』第11回放送のパブリックビューイングに、ありがたいことに参加できたのでこちらの感想も添えておきます。

 

薙刀を片手に勇ましく戦ったお田鶴の方を祀る『椿姫観音』

 

 

椿姫観音

 

家康と懸命に戦い侍女とともに討ち死にした場所と伝わる『椿姫観音』

 

「椿姫観音」には、徳川家康が浜松に入ってきたときの引間城主であったお田鶴の方(おたづのかた/椿姫)が、家康と懸命に戦い侍女とともに討ち死にした場所という伝承が残されています。

 

 

 

場所:中区元浜町133

 

〈アクセス〉

電車・バス:JR浜松駅より徒歩約20分
      遠鉄バスで約10分
      浜松城公園より徒歩約9分
車:東名高速道路浜松ICより約30分
  東名高速道路浜松西ICより約30分

駐車場:なし

 

このあたりは徳川家康が浜松城に入るまでは、今川家臣・飯尾連龍(いのおつらたつ)が引間城主として君臨していました。

 

お田鶴の方は引間城主・飯尾連龍の正室であり、武田・徳川の侵攻により今川家衰退による混乱の中、今川氏真に謀殺された夫亡き後、代わりにおんな城主として引間城に立てこもり城を守っていました。

 

1568年(永禄11年)に家康が遠江に侵攻、お田鶴の方がこもる引間城に家康は開城明け渡しを申し入れますが、お田鶴の方は申し入れを撥ね付けます。

 

引間城は家康に攻め込まれ、お田鶴の方は薙刀を片手に、城兵や侍女たちとともに懸命に戦うも命を落としたといいます。一説では、お田鶴は10人あまりを切り捨てたあとに討ち取られたともいわれています。

 

家康が浜松に移ってから、その武勇を惜しみ、こちらに祀ることとし、母同士が義理の姉妹にあたる瀬名姫(築山御前/家康公の正室)も彼女の死を哀れみ、この地にお田鶴の方と侍女たちの亡骸を手厚く葬り、塚の周りに100株余りの椿の木を植え供養したと伝わります。

 

椿は毎年美しく咲き誇り、いつしか「椿塚」と呼ばれ、それが椿姫の名の由来となったと言い伝えられています。

 

おんな城主として家康と戦い討ち死にした椿姫は、この観音さまに飾られていたイラストのように凛々しく華麗なお姿だったかもしれません。

 

『椿姫観音』に飾れらたお田鶴の凛々しいお姿

 

夫のため、家康公との合戦で討ち死にを果たしたお田鶴の方と侍女18人は、きっとこの街角に佇む御堂で、地元の方に大切にされ安らかに眠っていることでしょう。

 

また、5月3日から5月5日まで子供の誕生を祝って凧揚げをする『浜松まつり』の始まりは、永禄年間(1558年~1569年)この浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って、凧を揚げたことが始まりとされまていますが、記録としては定かではないようです。

 

記録に残っているのは寛政年間(1789年~1800年)の記録に凧の記述があるそうで、「遠州からっ風」という干した布団が吹き飛ぶほど強い風が吹きまくる浜松は凧揚げに適した場所ふだったのでしょう。

 

昭和に入ると豪華な御殿屋台も誕生、昭和25年から市民を挙げてのまつりにとの願いを込め「浜松まつり」と改称されました。

 

御堂の中には地元ボランティアさんによる案内音声が流れるようになっているので、聞きたい方はスイッチONして聞いてみてはいかがでしょう。

 

さらに、合掌礼拝のあと優しく触れながら心を込めてご祈祷することで「商売繁盛」「無病息災」「家内安全」「交通安全」「学業成就」などなどまだまだ願い事を叶えてくれるという『祈願石』が置かれています。

 

合掌礼拝のあと優しく触れながら心を込めてご祈祷すると願いが叶うという祈願石

 

現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」では、勇ましくも美しいお田鶴の方役を関水渚さん、有村架純さんが、こちらで登場した心やさしき瀬名姫(築山御前)を演じていることはすでにご存知でしょう。

 

実は、先日舞台上の関水渚さんを拝見する機会に恵まれまして、関水渚いう女優さんの魅力に圧倒され、かなり興奮してしまいました。その機会とは『どうする家康』第11回放送のパブリックビューイングです。

 

『どうする家康』第11回放送のパブリックビューイング

 

3月19日に浜松市中区の静岡文化芸術大講堂で行なわれた『どうする家康』第11回放送のパブリックビューイングに、ありがたいことに参加できたので感想等を記しておきます。

 

「さわやかウォーキング」で約8.5kmほどを約2万歩で歩いたあと、足を引きずるようにたどり着いたのがこれまで御縁のまったくなかった「静岡文化芸術大講堂」。(入口がわからなくて立入禁止のドアを開けようとしたことは秘密です)

 

指定席に座ってまず目に飛び込んできたのが、舞台上のテーブル上に飾られたお花たちの中で一際目立つ真っ赤な「椿の花」でした。

 

「さすが!椿姫だものね」なんて話をしながら開演を待つこと1時間。待ちに待ったヒロインは真っ赤な衣装で登場し、再び「さすが!」と観客を唸らせました。

 

舞台上の関水渚さんは、椿姫ことお田鶴の方を演じている時はもちろん姫様らしく美しく、瀬名姫と駿府城で過ごした天真爛漫で思いに真っ直ぐな女性というイメージでした。が、なんとご本人もかなり真っ直ぐで天真爛漫、しかも正義感の強い女性という印象を持ちました。

 

そして何よりトーク力とコミュニケーション能力に長けていて、お田鶴の演じ手としての感想や収録についてや、他のキャストについてなど情景が浮かぶようにお話してくださる方でした。

 

何より、ちょっとしたプライベートの話からも、ご本人のハツラツと女優業を楽しみつつ、遊びも一生懸命、お友達やご家族や周りの人を敬いながらパワフルに人生を謳歌していることが伝わりました。

 

静岡や浜松の話にも触れてくださり、鰻が大好きなこと、いずれ浜名湖で趣味のウインドサーフィンを楽しみたいことなども聞くことができて、なんかうれしかったです。


第11回放送を最後に「どうする家康」でのお田鶴さんを見ることはなくなってしまいましたが、大泉洋さんや長澤まさみさんと共演したドラマでも存在感のあった女優さんですから、これからも多方面で活躍されることでしょう。浜松の片隅で応援していきます。

 

浜松人が愛してやまない『浜松まつり』の起源と伝わるのが、お田鶴さんのお子様の誕生を祝って入野町の人びとが凧を揚げたという伝承です。今年も5月3日〜5月5日には「浜松まつり」が開催されます。

 

5月5日の最終日には大河ドラマ『どうする家康』で家康を演じている松潤こと松本潤さんが家康公に扮して参加する「騎馬武者行列」の初開催も発表されています。

 

GW中ですから、ホテルの予約などの手配もお早めに!という記事を多く見かける今日このごろ、これからの浜松はきっとしばらく人であふれる年になることでしょう。まだ車社会の浜松、渋滞や事故には気をつけましょう。

 

最後に

 

今回は、三河から遠江に侵攻を始めた家康が、夫亡き後代わりに守っていた引間城主今川家臣・飯尾連龍の正室お田鶴の方に開城を求めたのですが、お田鶴の方は今川方への深い忠心から要求を撥ね付けます。

 

そして、馬上で薙刀を片手に家康と懸命に戦うものの、命を落としたお田鶴がお祀りされている『椿姫観音』をご紹介しました。

 

宝塚で公演されても問題なさそうなこのお田鶴の方の伝承。今川方でも徳川からの侵攻にNO!と唱え、今川を信じ戦った人たちも多くいることを知ることが出来ます。

 

このお田鶴の方の勇ましく戦う姿や、瀬名姫や家康、氏真が駿府城で一緒に楽しく過ごした幼少期などが放送された第11回の『どうする家康』は、浜松に住む故かわかりませんがやたらと涙がこぼれました。

 

パブリックビューイングでお田鶴の方を演じた関水渚さんのお人柄に触れてしまった影響も大きかったかも知れません。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。