sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

【遠江の神社巡り】今回は静岡県磐田市中泉御殿に鎮座する『遠江國 府八幡宮』

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。
今回の古の神様を祀る神社は、静岡県磐田市中泉御殿に鎮座する『遠江國 府八幡宮』です。

 

八幡宮は勝利をもたらす神として全国に4万社以上あるそうですが、「首都の八幡さま」という意味の『府八幡宮』の名は全国に例がないといわれます。

 

このお宮がある『御殿』という町は、徳川家康がこの地に御殿を建てたことで知られます。そのことが町名の由来ですが、遠い奈良時代には国の庁舎が置かれた由緒ある土地柄です。

 

先日静岡県知事が「浜松より磐田の方が民度が高い・・・」などとおっしゃり注目を浴びた通り、やはり歴史的にみると古の頃は遠江の中心は磐田だったのですから満更間違っているわけではないのです。ただ、言い方がねーってことかしら?

 

この御殿周辺に人が住み始めたのも遅くとも紀元前5世紀から3世紀にかけての弥生時代といわれ、すでに米を作って暮らす人々が住んでいたことがわかっています。もちろんしっかりと御殿二之宮遺跡からは、この頃の木製の鍬や鍬、稲刈り用の石包丁などの農具が発掘されています。

 

そんな歴史の深い御殿という地に鎮座する『府八幡宮』は、国府の守護神として、天平年間(729年〜748年)に遠江国司であった天武天皇の曽孫桜井王が国府の守護として勧請したと伝えられる神社です。

 

また、鎌倉時代には秋鹿(あいか)氏がこの地に止まり神主となり、江戸時代は代官も兼ねて250石を給せられます。また、神紋は左三つ巴です。

 

【遠江の神社巡り】静岡県磐田市中泉御殿に鎮座する『府八幡宮』の楼門

 

 

 

2019/10/6

 

府八幡宮

 

 

場所:静岡県磐田市中泉112-1

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[磐田駅]北口より北へ徒歩約13分
      JR[磐田駅]北口1番乗り場より、遠鉄バス㉚二俣・山東行きバス乗車3分、[南高校]下車、徒歩約2分

車:東名高速[磐田IC]から県道86号線を南(磐田駅方面)へ約15分
  東名高速[遠州豊田PA(ETC専用)]から県道44号線を南へ約15分

駐車場:南側に無料駐車場があります

御朱印:社務所でいただけます

 

『府八幡宮』の御朱印

 

奈良時代以降、遠江国の首都は磐田市に置かれました。今の御殿に国の庁舎が造られたのは、万葉集では「大の浦」という名で呼ばれた広い水面が南東に広がっていたからでは?と聞きます。

 

八幡宮は大分県の宇佐八幡を起源に、仏教の布教にともなって寺院を守る役目を担い、全国各地に建てられていきました。中泉の『府八幡宮』も、国分寺の守護神として祀られたものです。

 

その後、武士の世の中になると八幡宮は「勝利をもたらす神」としてますます信仰を集めました。4万平方メートルの敷地は自然林に恵まれ、静岡県の「ふるさと自然百選」にも選ばれています。

 

境内にある建物の多くは、江戸時代に建造されたもので、1635年(寛永12年)に建立された楼門は県の有形文化財です。境内には、桜井王と時の天皇の問答歌が刻まれた万葉歌碑があります。また、1868年(明治元年)に廃止された神宮寺の築地塀も一部残っています。

 

御祭神

 

府八幡宮の御由緒書きと、境内案内板

 

誉田別命(ほむたわけのみこと/応神天皇)

足仲彦命(たらしなかつひこのみこと/仲哀天皇)

気長足姫命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后

 

御祈祷


初宮詣、七五三祭、地鎮祭、安産祈願、厄除祈願、車祓、家祓、合格祈願、必勝祈願

 

御神徳


厄除・安産・交通安全の大神として崇敬されています。

 

関連記事≫

www.sannigo.work

 

ではさっそく鳥居をくぐってお参りしていきましょう。

 

鳥居

 

府八幡宮の『鳥居』

 

2代将軍秀忠公が当神社に鳥居を寄進されたと伝わります。かなり大きな鳥居で見上げるほどです。

 

手水舎

 

今年の干支「龍」が立派なお手水鉢で、見本通りに手を清めてからお参りします

 

楼門

 

県の有形文化財指定の『楼門』と、『扁額』


江戸時代1635年(寛永12年)に建立され、県の有形文化財に指定されています。さすがの楼門で歴史を感じます。

 

府八幡宮楼門(県指定文化財)の修復工事は、平成25年度から3ヶ月をかけて行っていました。

 

拝殿・幣殿 

 

拝殿と、2019年10月6日のお祭りの準備風景


江戸時代、1635年(寛永12年)の造営。磐田市指定有形文化財。

偶然2019年のお参りの際、秋のお祭りの準備をされているところにおじゃましてしまったため、しっかりと撮影させていただいてしまいました。きれいなお神輿?でした。

 

本殿

 

府八幡宮の拝殿横から見える『本殿』

 

江戸時代、1617年(元和3年)の造営。三間社流造。磐田市指定有形文化財。

家康公の末娘の政子様(後の東福門院)が御本殿を寄贈されたと聞きました。

 

神宮寺の築地塀

 

 

1868年(明治元年)に廃止された神宮寺の築地塀も一部残っています。

 

中門 


江戸時代の造営。磐田市指定有形文化財

 

関連記事≫

www.sannigo.work

 

御殿東照宮

 

御殿東照宮

 

『御殿東照宮』の御祭神は徳川家康公です。つまり家康の墓を意味するお宮です。

 

家康公が造った御殿は解体されて跡地は畑になりましたが、解体の翌年には跡地の一角、かつて御殿の土塁だった小山に地元の人々が『東照宮』を建てたといいます。

 

江戸時代を通じて地元の人々に大切にされ、明治初めには移住してきた幕臣たちが管理したそうです。後に幕臣たちがこの地を去るとさびれ、こちらの『府八幡宮』脇の神宮寺跡へ移転、明治末年に現在地の『府八幡宮』の境内に移されました。

 

家康公の命日である4月17日が祭礼日でしたが、昭和50年代からは6月10日に変更されたそうです。

 

境内社

 

また、境内社も数えきれないほどあります。確認できたものだけでも上記の『御殿東照宮』を含め【14社】もあります。

 

・山口神社(大山祇命)・高良神社(王座命)

・水尾神社(清和天皇)・皇子神社(大雀命)

・武内神社(武内宿禰)

・住吉神社(表筒男命・中筒男命・底筒男命)

・宇治神社(菟道稚郎子命)

・狩尾神社(國常立命・天兒屋命・大己貴命)

・伊雑宮(天照皇大神)

・小笠社(素戔嗚命)・山神社(大山祇命)

・稲荷神社(宇介之御霊命)・神明神社(天照皇大神)

 

境内社1社1社には、御祭神と簡単な由緒が掲げられているので、順番にしっかりとお参りしました。

 

中でもシニア世代にとっては重要な境内社が、本殿東奥の『武内社』。なぜなら、ボケ封じのお宮さんだからです。

 

武内社

 

本殿東奥にある『武内神社』

 

今や日本は世界的にもトップクラスの超高齢者社会です。となると、やはり私の願いは健康でボケることなくポックリとあの世に逝くこと(できれば早めに)です。

 

若いころは不老長寿を願っていた方も、還暦を迎えるころには親御さんの介護などの必要が出てくるため、やはり自身の老後の認知症なども身近に感じるのではないでしょうか?

 

そこで『府八幡宮』を訪れる機会があるようでしたら、こちらの『武内神社』のお参りをすることで心の平安が得られるかも⁉しれません。

 

御祭神:武内宿禰(たけのうちのすくね)

 

武内神社のお祀りする『武内社』の御祭神の武内宿禰は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳と5代の天皇に仕えた方で、古来より長寿の神様として崇敬させていました。

 

長寿で健康でボケることなく活躍された故事により、現代人の願いであるボケ封じの神様として知られています。

 

参照元:『わがまち 御殿70年』

 

最後に

 

今回日頃の感謝と世界平和、さらに地震の被害軽減をお参りしたのは磐田市中泉という、遠い奈良時代には国の庁舎『遠江国分寺』が置かれた場所に鎮座する『府八幡宮』です。

 

10代のころから仲良くしてもらっている友人の住まいがあった場所でもあり、御殿屋台の引き回しでにぎわう秋のお祭りは何度も見学&楽しませてもらっていました。田舎者の私が社会人になって初めて見た府八幡宮のお祭りでは「雅」ってこういうことなんだ!と感じたものです。

 

そんなわけで、すでに20回以上は訪ねているであろう『府八幡宮』は、もしかしたら徳川家康が浜松城ではなく『城之崎城』で過ごしたかもしれないという磐田という特別な地にあり、全国に4万社以上ある八幡様の中でも、全国に例のない「首都の八幡さま」という名前のお宮さんでした。

 

まだまだお参りさせていただく機会があるかと思います。これからも末永く見守ってください。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。