sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

家康ゆかりの地

細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』無料なのに見る価値満載!

先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。

現在も地名に残る家康にまつわる小豆餅、銭取の逸話。やっと本物の小豆餅食ったどー

今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。

遠鉄電車[浜北駅]からすぐそこの徳川家康ゆかりの神社『沼八幡宮』

今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。

浜松市中央区にある由緒ある曹洞宗の『普済寺』は家康公も何度もお参りしたのじゃ!

『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。

袋井市の水に浮かぶ『久野城』は最強武田軍も落とせなかったお城

今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。

医王寺は”いにしえ”を感じさせてくれる「東海の苔寺」家康自ら浄財を出して再興を援助

奈良時代創建というとんでもない歴史があるのに知らなかった『医王寺』。元亀3年のあの有名な『三方原の戦い』で武田信玄勢の兵火にかかり焼失。兵火による焼失をいたく惜しまれた家康が自ら浄財を出して再興を援助したとは!

『摩訶耶寺』の高麗門は家康が築城した野地城が廃城になった時移築されたもの

今回の家康ゆかりの地は、浜松市北区三ヶ日町の『摩訶耶寺』です。なぜなら、摩訶耶寺の『高麗門』は、家康が浜名湖畔に船入できる水城として築城した『野地城』が廃城になった時、近藤用高の手配で、山門として移築されたかた。

家康公が大阪夏の陣を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進した『有玉神社』

今回の徳川家康ゆかりの神社は浜松市東区有玉南町の『有玉神社』です。秋の例大祭で現在も行われている流鏑馬は、およそ400年前、家康公が『大阪夏の陣』を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進したことに始まるといわれます。

『先照山心造寺』の開基は徳川二代将軍秀忠を産んだ西郷の局で天正8年開山の浄土宗寺院

『五社神社』が遷座された時に北側に開かれたのが『心造寺』で、家康から最も愛された側室と伝わり、徳川二代将軍徳川秀忠公の生母の「西郷の局」が開いたお寺だそうです。

浜松市有玉北町の良縁がかなうお寺『宝玉山龍秀院』が家康公にゆかりがあるとは知らなんだ

今回の「家康公ゆかりの地」は、普段ウォーキングする範囲にあるお寺さんなのに、徳川家康とのつながりがあるなんて知らなかったため立ち寄ることのなかった遠州三十三観音霊場28番札所の『龍秀院』さん。

『高天神城』攻略の起点とされた『横須賀城跡』で全国的に珍しい『玉石積み』の石垣を見てきた

静岡県掛川市にある『横須賀城跡』は、レトロな街並みや、三熊野神社大祭で知られる遠州横須賀に残されています。徳川家康が『高天神城』攻略の起点とした『横須賀城』は、現在当時が偲ばれる石垣、堀、土塁なども残り、公園として整備されています。

家康公が浜松城にいた頃に弓の稽古に励んだという『宗源院』は今川義元と関係が深い

今回の徳川家康ゆかりのお寺は、38歳で生涯を閉じた築山御前が眠る『西来院』から歩いて約5分と近い『宗源院』です。こちら『宗源院』の東南一帯にある的場で、浜松城にいた頃の家康公は弓の稽古に励んだといいます。

氏真が境目城を築き、後に家康も陣を置いたという歴史ある浜名湖西の『妙立寺』

今回の徳川家康ゆかりのお寺は、静岡では最も西の湖西市にある『妙立寺』です。三河統一を果たした家康の来攻に備えるため、1567年(永禄10年)、今川氏真は宇津山城の南方に『境目城』の築城を始めます。この『境目城』こそが、『妙立寺』の寺域を接収して…

湖西の『本興寺』は文化財の宝庫、家康最初の側室”西郡局”のお墓もあります

湖西市にある文晁寺(ぶんちょうじ)とも呼ばれる『本興寺(ほんこうじ)』はとにかく広くて静かできれい。山門までの参道はまっすぐと伸び、参道脇に植えられたツツジや公園の桜などのシーズンは、お花見のために訪れる人々も多く賑わいが増えると聞きます。

お茶畑が広がる牧之原台地の丘陵地、急勾配の坂を登れば堅固な守りの『勝間田城跡』

勝手に「徳川家康ゆかりの城」の一つと思いこんで、今回この「勝間田城」を訪ねてみました。駐車場からの登り坂はけっこう勾配がきついですけど、ほんの10分~15分で戦国時代を思わせる城跡に立てるんですから、本当に良いところだと思います。

三ケ野坂を上り大日堂がある高台で本多忠勝のように武田軍が布陣した木原をながめてみた

今回は、1572年(元亀元年]武田信玄が木原(袋井市)、西島(磐田市)に約3万5千の軍を敷き、三ケ野大日堂まで偵察に来た3千の徳川家康軍を攻撃した「三ケ野坂の戦い」が行われた『三ケ野坂古戦場』です。

磐田見付にある三河で一番の色男「大久保忠世」ゆかりの『淡海國玉神社』

今回ご案内する「大久保忠世」ゆかりの『淡海國玉神社』は、こま犬ではなく子うさぎを添えるように上を向いたかわいい「こま兎(うさぎ)」が出迎えてくれるんです。その理由は神社に祀られているのが、「因幡の白兎」で知られる大国主命(おおくにぬしのみ…

偵察に出ていた本多忠勝らが武田軍と遭遇して戦いになったと伝わる『木原畷の戦い』

「木原畷の戦い」後に「三ケ野坂の戦い」があり、「一言坂の戦い」「提燈野の戦い」から浜松城に逃げ帰り、そしてのちの「三方ヶ原の戦い」と続くと伝えられています。「一言坂の戦い」は1572年(元亀3年)10月に遠江に侵攻した武田軍と、それを迎え撃つべく…

ちょこんと座った姿がかわいらしい石像が目印の磐田御殿遺跡公園、御殿の門が移築された西光寺、西願寺

今回の家康ゆかりの地は、JJR磐田駅から南へ100mほど離れた、コンビニの裏にある小さな公園『磐田御殿(ごてん)遺跡公園』と、中泉御殿の門が移築された西光寺、西願寺です。

高根城は信濃との国境にほど近く、国衆奥山氏が街道を押さえる拠点として築いた城

大河ドラマ『おんな城主直虎』でロケ地になり有名になった遠州最北端の山城『高根城』、武田軍が遠江に進出した際には武田信玄と徳川家康による戦国時代の攻防の地で実は”二重掘切”がすばらしいのです。

生涯で1,000回以上も鷹狩りを楽しみ、孫の家光も練薬で治すほどの薬をつくる家康

大河ドラマ『どうする家康』が好調だからなの?最近は歴史番組はもちろん、普段から放送しているクイズ番組まで”徳川家康関連”が多くてうれしい限り。ところで、家康の銅像は鷹狩りスタイルが多くない?どんだけ鷹狩りが好きだったの?それから「薬作り」も…

家康が鯛の天ぷらで食あたりを起こしたという藤枝の『田中城』の下屋敷を訪れてみた

家康好きが止まらないアラ還は、今度は浜松を飛び出し藤枝市の『田中城跡』を訪ねてきました。『田中城』といえば、一説では徳川家康の死因ともいわれる鯛の天ぷらを食したお城としてよく知られ、小説やドラマでも何回となく描かれています。

鍛冶屋や金工職人、鋳物屋の篤信を集める『金山神社』はまるでオアシス

今回の徳川家康ゆかりの神社は『金山神社』です。徳川家康をはじめ、歴代の浜松城主からも崇敬されていたといいます。家康が美濃国(岐阜県)南宮大社より御分霊を勧請し祀ったことが始まりとされます。

遠江侵攻を始めた徳川家康が最初に攻めた『宇津山城』は正太寺からの宇津山城跡散策コースがおすすめ

今回の徳川家康ゆかりの城は、遠江侵攻を始めた家康が最初に攻めたという湖西市の正太寺鼻にある『宇津山城跡』、ちょうどツツジがきれいな今なら城跡までの険しい山道も楽しいのでは?と考え思い切って訪ねてみました。

家康の伝承が残る樹齢1000年を迎える雲立の楠、『浜松八幡宮』に浜松の名前の起源があるの?

今回の徳川家康ゆかりの神社は、浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する『浜松八幡宮』です。家康が三方ヶ原の戦いでの敗走時に逃げ込み身を隠した『雲立の楠(くもだてのくす)』が今も残る神社で、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。

観覧車が目立つ舘山寺遊園地パルパルは『堀江城跡』の地に立つ

浜松の小学生、中学生諸君。君たちが大好きであろう『浜名湖遊園地パルパル』は、もともとはお城だったことをご存知だろうか?観覧車の下にひっそりと佇む堀江城の案内板に気付いていますか?

武田勝頼が築いた武田流築城術を駆使した大規模な山城『諏訪原城跡』

今回は、武田勝頼が遠江攻略のために築いた、武田流築城術を駆使した大規模な山城『諏訪原城跡』です。こちらを訪れたら、きっと誰もがそれまで想像していた「お城」そのものの印象がガラッと変わるのではないでしょうか。なんとなくですが、私的には「戦(…

家康公から天竜川の材木流運の特権を与えられた『筏問屋 旧田代家住宅』

先回JRと天浜線、さらに遠州鉄道がコラボした『さわやかウォーキング』で、家康の支城として知られる二俣城と鳥羽山城、そして戦国の悲劇信康が眠る清瀧寺を訪ねました。今回は、その際、立ち寄った家康公ゆかりの『筏問屋 旧田代家住宅』をご紹介しましょ…

家康、秀忠、家光が合祀される『三方原神社』は三方原に入植した旧幕臣の名残り

『三方原神社』の御祭神は東照大権現(徳川家康)ですが、秀忠公、家光公も合祀されています。1922年(大正11年)6月25日、旧浜松城内に祀られていた「東照宮」(元城神社)をゆかりの地三方原村へお迎えし、村民の信仰の中心となる神社としました。

今も三方ヶ原合戦を伝える、戦没者を葬った「精鎮塚」が 残されている『三寶山本乗寺』

今回の徳川家康ゆかりの寺は、三方ヶ原合戦の戦没者の墓が残されている『三寶山本乗寺』です。境内には「精鎮塚」と記された1573年(元亀3年)に行なわれた『三方ヶ原の合戦』の戦没者を葬った墓が残されています。