sannigoのアラ還日記

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『先照山心造寺』の開基は徳川二代将軍秀忠を産んだ西郷の局で天正8年開山の浄土宗寺院

こんにちは!sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今年こそ秋を満喫しよう!と、あのいつまでも暑い夏を耐えながら考えていたのに、なんと秋をすっ飛ばしていきなり真冬がやってきてしまった2023年の11月です。

 

それでも、まだ訪れきれていない浜松市内や磐田・湖西などの徳川家康ゆかりの地を今回も訪ねています。

 

今回は徳川2代将軍秀忠の産土神として現在の場所に遷座された『五社神社・諏訪神社』ではなく、そのすぐ裏手にある『心造寺』にお参りしてきました。

 

すでに何度も訪ねている『五社神社・諏訪神社』は、朱色が映える豪華なイメージですが、こちらの『心造寺』はかなり対照的でこじんまりとしたクールなイメージです。

 

『五社神社・諏訪神社』は2代将軍秀忠の産土神として、徳川家康の命で浜松城内から現在の地に遷座したとされる、徳川家の歴史と関わりの深い子育て神社でした。11月は七五三詣りで訪れる親子連れなどで大変混雑していたようです。

 

この『五社神社』が遷座された時に北側に開かれたのが『心造寺』で、家康から最も愛された側室と伝わり、徳川二代将軍徳川秀忠公の生母の「西郷の局」が開いたお寺だそうです。

 

秀忠公は浜松でお生まれになった唯一の天下人です。どちらの神社も秀忠公ゆかりの神社ということです。浜松駅から歩いても15分くらいの場所ですし、せっかくの機会ですので、どちらも訪ねてみることをおすすめします。

 

高層マンションの隣に位置する『心造寺』はクールなイメージ

 

 

先照山心造寺

 

家康が最も愛したと伝わる西郷の局が開基した『先照山心造寺』

 

先照山心造寺は、開山は讃誉知眼(さんよちげん)上人、開基は徳川二代将軍秀忠を産んだ西郷の局です。江戸時代の1580年(天正8年)開山の浄土宗寺院です。

 

現在もその時に西郷局が奉納された鉄灯籠が寺宝として伝えられているそうです。戦災で片方が失われ、現在は1基だけ残されているとのことでした。が、私が訪れた2023年10月には残念ながら発見できませんでした。

 

ご本尊は阿弥陀如来で、遠江四十九薬師霊場の第22番札所でもあります。歴史のあるお寺で、1758年(宝暦8年)に完成した七間四面の本堂は1771年(昭和8年)に全焼、1775年(安永4年)に同じ七間四面の本堂が再建されたといいます。

 

しかし、1945年(昭和20年)6月の太平洋戦争中に空襲を受けほとんどが焼失してしまい、現在の建物は戦後の1951年(昭和26年)に再建されたものだそうです。(浜松情報BOOKより)

 

大河ドラマ『どうする家康』でも描かれていましたが、家康の側室だった西郷の局は強い近視だったため薬師如来を祀り治癒を祈願したといいます。

 

 

場所:浜松市中区紺屋町300-19

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[浜松駅]から西へ、徒歩で約15分ほど
      遠鉄電車[第一通り駅]から徒歩約11分。「五社神社」の北にあり、高層マンションの脇にあるので見つけやすいです
車:東名高速道路[浜松IC]より約23分
駐車場:ありません
御朱印:いただけるようです


入口の脇にはきれいな坪庭があり、山門をくぐり坂になっている参道を登ると、こじんまりとした味わい深い境内になっています。奥に本堂が建っていて、その奥は墓地になっているようです。

 

入口付近の掲示板にはとても細かい細工の仏像らしきものが並んでます

 

家康公ゆかりのお寺にしては高層マンションに迷い込んだような場所にあり、特に案内板もなく例の「家康公ゆかりの地」のようなのぼり旗もなくとても静かなため、ひっそりとお参りだけさせてもらいました。

 

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賀茂真淵の句碑

 

境内には賀茂真淵の「大空のはてなく広し霜の朝」の句碑が建てられています。賀茂真淵は『万葉集』を研究し、万葉風の和歌を復興した浜松出身の国学者で”国学の四大人(こくがくのしうし)のひとりとして称えられています。

 

西郷局

 

西郷局(さいごうのつぼね)1552年(天文21年)のお生まれです。1561年(永禄4年)説もあります。

 

通称は「あい」・「お愛(お相の説もあり)の方」で、家康公の側室であり、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠、松平忠吉の生母として知られ、院号は宝台院です。

 

父は戸塚忠春(遠江国(静岡県掛川市)上西郷(溝江)の住人で、今川氏に仕えた西郷十八士の一人。天文23年(1554年)大森の戦で戦死。次男に永伝(法泉寺七世心翁)がいる。)(ウィキペディアより)とされています。

 

母は源姓土岐氏流三河西郷氏とされる西郷正勝の娘とされるため、西郷局は三河八名郡嵩山(愛知県豊橋市嵩山)月ヶ谷城主の西郷正勝の外孫にあたるようです。西郷局の幼少時は父忠春と兄の忠家が討死し、母とともに祖父・西郷正勝に保護されていたそうですから、お愛様は幼少時は愛知県豊橋市嵩山で過ごされていたのかもしれません。

 

さらに、お愛の母は忠春の死後、蓑笠之助正尚(みのかさのすけまさなお)に嫁いだためにその養女となりますが、その後また正勝に引き取られたとされ、のち、正勝の嫡孫・西郷義勝と結婚し義勝との間に1男1女をもうけているそうです。やはり、家康公の側室になる以前のお住まいは父方の掛川の上西郷ではなく、母方の愛知県豊橋市嵩山というのが正しそうです。

 

NHKの『鶴瓶に乾杯』の番組内で、お愛様を演じる広瀬アリスさんと釣瓶さんが掛川を訪ねた際に、地元の方がおっしゃっていたように、掛川にはたまに遊びに来ていたくらいのイメージのようです。掛川出身の私としては少し残念ですが・・・。

 

大河ドラマ『どうする家康』でも描かれたように西郷の局は極度な近視だったと伝えられ、目の不自由な人々や瞽女なども保護していた優しく朗らかな方で、家康はもちろんですが、家臣からも愛されていたようです。

 

ちなみに、先日放送された大河44話では視聴者が「生きてた~」とびっくりした家康公の母の於大の方が、徳川家康の「寅年生まれの武神の化身」という話はデタラメで実はうさぎ年生まれだったとばらしてしまい、随分とジジ様になった還暦を迎えた家康もこの『干支詐欺』にはビックリというかキョトンとしていましたね。

 

今回はお愛の方が母である徳川2代将軍秀忠も、家康公から「関ヶ原の戦い」への遅刻を随分と責められお気の毒でした。だけども案外ひるまない、あくまでポジティブな秀忠は、お愛様の気質をしっかりと受け継いで「大いなる凡庸」だからこそ、徳川家を受け継ぐ資格があるみたいな感じ諭されて納得するような、とっても素直な好青年に描かれていました。

 

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最後に

 

これまで訪ねてきた『家康公ゆかりの地』とはだいぶ雰囲気がちがい、高層マンションの横にクールに建つお寺さんといった感じの『先照山心造寺』でした。

 

こちらのお寺を開基された西郷の局ですが、どこかで読んだような気がするのは「門前には施しを受けていた目の不自由な人々や、瞽女のようなたくましく生きている人々までもが西郷の局を訪ねて行列をなしていた」という話です。

 

『どうする家康』では、静岡出身の広瀬アリスさんが天真爛漫で誰からも愛されるキャラで熱演されていました。まさに演じられたイメージそのもののような方が『西郷の局』だったのでは想像していたので、正直、現在の『心造寺』さんのイメージが重ならず残念な感じがしました。

 

さて、今度はどこを訪ねましょう?最後までお読みいただきありがとうございます。

では、またです。