sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

500年以上の歴史を刻む遠江の神社『細江神社』のはじまりに迫る

今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』。古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。

やっと行けた幕末の下屋敷の山門がみられる『白雲山長泉寺』と歩いてすぐの『須佐之男神社』

今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。

平清盛の長男の重盛が建立したと伝わる遠江の”重盛の三連寺”の一つ『三白山連城寺』

遠江新貝(静岡県磐田市新貝)の『三白山連城寺』。裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。

格式高い遠江二之宮の『鹿宛神社』 すぐ北側の『連福寺』には県内最大の木造閻魔大王像を安置

今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。

遠鉄電車[浜北駅]からすぐそこの徳川家康ゆかりの神社『沼八幡宮』

今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。

浜松市中央区にある由緒ある曹洞宗の『普済寺』は家康公も何度もお参りしたのじゃ!

『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。

袋井市の水に浮かぶ『久野城』は最強武田軍も落とせなかったお城

今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。

胸が痛む2024年の幕開け、地震封じの神として慕われる『曽許乃御立神社』参り

新聞広告で知った災除道開の神として知られる『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、2024の初詣は『曽許乃御立神社』に決めたのでした。

約1000年の歴史を持つ古刹磐田市城之崎にある『風祭山福王寺』

静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』は、真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。

磐田市鎌田の『鎌田神明宮』:徳川家康の寄附による復興の物語

今回の徳川家康ゆかりの地は静岡県磐田市鎌田の『鎌田神明宮』です。鎌田神明宮が武田信玄に焼き討ちにあった際には、徳川家康によって手厚い寄附を受け復興しました。また、武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っているそ…

医王寺は”いにしえ”を感じさせてくれる「東海の苔寺」家康自ら浄財を出して再興を援助

奈良時代創建というとんでもない歴史があるのに知らなかった『医王寺』。元亀3年のあの有名な『三方原の戦い』で武田信玄勢の兵火にかかり焼失。兵火による焼失をいたく惜しまれた家康が自ら浄財を出して再興を援助したとは!

最近地元では金運アップのお寺さんとして有名な『初山宝林寺』

『初山宝林寺』は最近地元で金運アップのお寺さんとして有名と聞きます。というのも、叩くと澄んだ音が鳴る『金鳴石』があり、金が鳴る=金が成るというわけで”商売繁盛””金運成就”の石といわれているからなんですって!

『摩訶耶寺』の高麗門は家康が築城した野地城が廃城になった時移築されたもの

今回の家康ゆかりの地は、浜松市北区三ヶ日町の『摩訶耶寺』です。なぜなら、摩訶耶寺の『高麗門』は、家康が浜名湖畔に船入できる水城として築城した『野地城』が廃城になった時、近藤用高の手配で、山門として移築されたかた。

家康公が大阪夏の陣を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進した『有玉神社』

今回の徳川家康ゆかりの神社は浜松市東区有玉南町の『有玉神社』です。秋の例大祭で現在も行われている流鏑馬は、およそ400年前、家康公が『大阪夏の陣』を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進したことに始まるといわれます。

『先照山心造寺』の開基は徳川二代将軍秀忠を産んだ西郷の局で天正8年開山の浄土宗寺院

『五社神社』が遷座された時に北側に開かれたのが『心造寺』で、家康から最も愛された側室と伝わり、徳川二代将軍徳川秀忠公の生母の「西郷の局」が開いたお寺だそうです。

令和6年は干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年で『金運降臨の年』

令和6年は『金運降臨の年』ということで、これまで以上に金運アップを目指す人々、もちろん私を含む欲深き人々にとって最高の年になるといわれています。なぜなら干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年だから・・・。

浜松市有玉北町の良縁がかなうお寺『宝玉山龍秀院』が家康公にゆかりがあるとは知らなんだ

今回の「家康公ゆかりの地」は、普段ウォーキングする範囲にあるお寺さんなのに、徳川家康とのつながりがあるなんて知らなかったため立ち寄ることのなかった遠州三十三観音霊場28番札所の『龍秀院』さん。

『高天神城』攻略の起点とされた『横須賀城跡』で全国的に珍しい『玉石積み』の石垣を見てきた

静岡県掛川市にある『横須賀城跡』は、レトロな街並みや、三熊野神社大祭で知られる遠州横須賀に残されています。徳川家康が『高天神城』攻略の起点とした『横須賀城』は、現在当時が偲ばれる石垣、堀、土塁なども残り、公園として整備されています。

家康公が浜松城にいた頃に弓の稽古に励んだという『宗源院』は今川義元と関係が深い

今回の徳川家康ゆかりのお寺は、38歳で生涯を閉じた築山御前が眠る『西来院』から歩いて約5分と近い『宗源院』です。こちら『宗源院』の東南一帯にある的場で、浜松城にいた頃の家康公は弓の稽古に励んだといいます。

氏真が境目城を築き、後に家康も陣を置いたという歴史ある浜名湖西の『妙立寺』

今回の徳川家康ゆかりのお寺は、静岡では最も西の湖西市にある『妙立寺』です。三河統一を果たした家康の来攻に備えるため、1567年(永禄10年)、今川氏真は宇津山城の南方に『境目城』の築城を始めます。この『境目城』こそが、『妙立寺』の寺域を接収して…

湖西の『本興寺』は文化財の宝庫、家康最初の側室”西郡局”のお墓もあります

湖西市にある文晁寺(ぶんちょうじ)とも呼ばれる『本興寺(ほんこうじ)』はとにかく広くて静かできれい。山門までの参道はまっすぐと伸び、参道脇に植えられたツツジや公園の桜などのシーズンは、お花見のために訪れる人々も多く賑わいが増えると聞きます。

出たぁ!さわやかウォーキングで立ち寄った『白岩寺』に残る「幽霊の掛け軸」の怖ーい話

なんということでしょう。ここ『白岩寺』には、「白岩寺の幽霊軸」という民話が残されています。この掛け軸には画に精魂が宿っているのか、掛け軸の代々の持ち主に不思議な出来事が起きました。転々とした後、この白岩寺に納められたそうです。

「旧東海道」金谷坂の石畳は、江戸幕府が旅人たちが歩きやすいようにと作らせた愛のある道

金谷坂の石畳は、文政年間(1818~1829)、近隣の住民が滑り止めの山石を敷き並べた坂で、幕府が歩きやすいようにと命じ作らせたといいます。実際に坂道を登ってみた現代人の私には、坂道だから当たり前ですが、かなりしんどく感じられました。

御朱印がめっちゃかわいい『鬼岩寺』の境内小社「黒犬神社」、黒犬物語は実に興味深い!

『鬼岩寺』の読み方は『きがんじ』、境内はとても広く、鬼が爪を研いだ跡といわれる「鬼かき石」が安置され、「黒犬伝説」と、神犬「クロ」を祀る『黒犬神社』があります。ここの御朱印がかわいいと評判です。

お茶畑が広がる牧之原台地の丘陵地、急勾配の坂を登れば堅固な守りの『勝間田城跡』

勝手に「徳川家康ゆかりの城」の一つと思いこんで、今回この「勝間田城」を訪ねてみました。駐車場からの登り坂はけっこう勾配がきついですけど、ほんの10分~15分で戦国時代を思わせる城跡に立てるんですから、本当に良いところだと思います。

三ケ野坂を上り大日堂がある高台で本多忠勝のように武田軍が布陣した木原をながめてみた

今回は、1572年(元亀元年]武田信玄が木原(袋井市)、西島(磐田市)に約3万5千の軍を敷き、三ケ野大日堂まで偵察に来た3千の徳川家康軍を攻撃した「三ケ野坂の戦い」が行われた『三ケ野坂古戦場』です。

磐田見付にある三河で一番の色男「大久保忠世」ゆかりの『淡海國玉神社』

今回ご案内する「大久保忠世」ゆかりの『淡海國玉神社』は、こま犬ではなく子うさぎを添えるように上を向いたかわいい「こま兎(うさぎ)」が出迎えてくれるんです。その理由は神社に祀られているのが、「因幡の白兎」で知られる大国主命(おおくにぬしのみ…

偵察に出ていた本多忠勝らが武田軍と遭遇して戦いになったと伝わる『木原畷の戦い』

「木原畷の戦い」後に「三ケ野坂の戦い」があり、「一言坂の戦い」「提燈野の戦い」から浜松城に逃げ帰り、そしてのちの「三方ヶ原の戦い」と続くと伝えられています。「一言坂の戦い」は1572年(元亀3年)10月に遠江に侵攻した武田軍と、それを迎え撃つべく…

ちょこんと座った姿がかわいらしい石像が目印の磐田御殿遺跡公園、御殿の門が移築された西光寺、西願寺

今回の家康ゆかりの地は、JJR磐田駅から南へ100mほど離れた、コンビニの裏にある小さな公園『磐田御殿(ごてん)遺跡公園』と、中泉御殿の門が移築された西光寺、西願寺です。

高根城は信濃との国境にほど近く、国衆奥山氏が街道を押さえる拠点として築いた城

大河ドラマ『おんな城主直虎』でロケ地になり有名になった遠州最北端の山城『高根城』、武田軍が遠江に進出した際には武田信玄と徳川家康による戦国時代の攻防の地で実は”二重掘切”がすばらしいのです。