湖西市にある文晁寺(ぶんちょうじ)とも呼ばれる『本興寺(ほんこうじ)』はとにかく広くて静かできれい。山門までの参道はまっすぐと伸び、参道脇に植えられたツツジや公園の桜などのシーズンは、お花見のために訪れる人々も多く賑わいが増えると聞きます。
なんということでしょう。ここ『白岩寺』には、「白岩寺の幽霊軸」という民話が残されています。この掛け軸には画に精魂が宿っているのか、掛け軸の代々の持ち主に不思議な出来事が起きました。転々とした後、この白岩寺に納められたそうです。
金谷坂の石畳は、文政年間(1818~1829)、近隣の住民が滑り止めの山石を敷き並べた坂で、幕府が歩きやすいようにと命じ作らせたといいます。実際に坂道を登ってみた現代人の私には、坂道だから当たり前ですが、かなりしんどく感じられました。
『鬼岩寺』の読み方は『きがんじ』、境内はとても広く、鬼が爪を研いだ跡といわれる「鬼かき石」が安置され、「黒犬伝説」と、神犬「クロ」を祀る『黒犬神社』があります。ここの御朱印がかわいいと評判です。
勝手に「徳川家康ゆかりの城」の一つと思いこんで、今回この「勝間田城」を訪ねてみました。駐車場からの登り坂はけっこう勾配がきついですけど、ほんの10分~15分で戦国時代を思わせる城跡に立てるんですから、本当に良いところだと思います。
今回は、1572年(元亀元年]武田信玄が木原(袋井市)、西島(磐田市)に約3万5千の軍を敷き、三ケ野大日堂まで偵察に来た3千の徳川家康軍を攻撃した「三ケ野坂の戦い」が行われた『三ケ野坂古戦場』です。
今回ご案内する「大久保忠世」ゆかりの『淡海國玉神社』は、こま犬ではなく子うさぎを添えるように上を向いたかわいい「こま兎(うさぎ)」が出迎えてくれるんです。その理由は神社に祀られているのが、「因幡の白兎」で知られる大国主命(おおくにぬしのみ…
「木原畷の戦い」後に「三ケ野坂の戦い」があり、「一言坂の戦い」「提燈野の戦い」から浜松城に逃げ帰り、そしてのちの「三方ヶ原の戦い」と続くと伝えられています。「一言坂の戦い」は1572年(元亀3年)10月に遠江に侵攻した武田軍と、それを迎え撃つべく…
現在は市街地に没している、徳川家康が鷹狩りのおりに休憩・宿泊施設として築いた「中泉御殿」の表門は西光寺に、裏門は西願寺にと、付近のお寺に移築され現存しており、市指定文化財に指定されています。
大河ドラマ『おんな城主直虎』でロケ地になり有名になった遠州最北端の山城『高根城』、武田軍が遠江に進出した際には武田信玄と徳川家康による戦国時代の攻防の地で実は”二重掘切”がすばらしいのです。
松潤で湧く街中からは少し離れ、車で2時間程度北へ走り、かねてから死ぬまでに一度はお参りしなくちゃ!と思っていた『秋葉神社上社』で、「ニノ」こと二宮和也氏が若かりし頃植えたという「梅」と「もみじ」を見てきました。
大河ドラマ『どうする家康』が好調だからなの?最近は歴史番組はもちろん、普段から放送しているクイズ番組まで”徳川家康関連”が多くてうれしい限り。ところで、家康の銅像は鷹狩りスタイルが多くない?どんだけ鷹狩りが好きだったの?それから「薬作り」も…
家康好きが止まらないアラ還は、今度は浜松を飛び出し藤枝市の『田中城跡』を訪ねてきました。『田中城』といえば、一説では徳川家康の死因ともいわれる鯛の天ぷらを食したお城としてよく知られ、小説やドラマでも何回となく描かれています。
今回の徳川家康ゆかりの神社は『金山神社』です。徳川家康をはじめ、歴代の浜松城主からも崇敬されていたといいます。家康が美濃国(岐阜県)南宮大社より御分霊を勧請し祀ったことが始まりとされます。
今回の徳川家康ゆかりの地”磐田”で訪ねたのは、天竜川の河川敷にある家康が天竜川の渡船権利を与え保護した『池田の渡し』を再現した公園と、最大長さ1.5m以上にもなる見事な長藤『熊野の長藤』が見られる行興寺です。
浜松まつりといえば、まずは「熱気と興奮の凧揚げ合戦」がまっさきに浮かぶイメージですが、今年に限っては「浜松まつり」の最終日5日、午後2時~4時、市の中心地で行なわれる『家康公騎馬武者行列』が注目を浴びそうです。コースは浜松駅周辺の800m。
今回の徳川家康ゆかりの城は、遠江侵攻を始めた家康が最初に攻めたという湖西市の正太寺鼻にある『宇津山城跡』、ちょうどツツジがきれいな今なら城跡までの険しい山道も楽しいのでは?と考え思い切って訪ねてみました。
今回の徳川家康ゆかりの神社は、浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する『浜松八幡宮』です。家康が三方ヶ原の戦いでの敗走時に逃げ込み身を隠した『雲立の楠(くもだてのくす)』が今も残る神社で、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。
浜松の小学生、中学生諸君。君たちが大好きであろう『浜名湖遊園地パルパル』は、もともとはお城だったことをご存知だろうか?観覧車の下にひっそりと佇む堀江城の案内板に気付いていますか?
今回は、武田勝頼が遠江攻略のために築いた、武田流築城術を駆使した大規模な山城『諏訪原城跡』です。こちらを訪れたら、きっと誰もがそれまで想像していた「お城」そのものの印象がガラッと変わるのではないでしょうか。なんとなくですが、私的には「戦(…
先回JRと天浜線、さらに遠州鉄道がコラボした『さわやかウォーキング』で、家康の支城として知られる二俣城と鳥羽山城、そして戦国の悲劇信康が眠る清瀧寺を訪ねました。今回は、その際、立ち寄った家康公ゆかりの『筏問屋 旧田代家住宅』をご紹介しましょ…
じっとこちらを見つめるかわいいつぶらな瞳、お利口さんに座った健気な姿の猫が、お部屋の一角にあれば明るい未来が訪れそうな気がしてきます。運気の入り口の玄関やリビングに飾ることで、家族やあなたの金運や幸運を見守ってくれそうな『金運を連れてくる…
今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。
新生活をスタートさせる方が多いこの時期、地元では今年も昨年に続いて入学式や入社式などを桜満開の下で迎えられたようで良かったです。スタートに合わせて今回は皆さんの金運・幸運の手助けになれば!ということで、金運縁起がこもった『九星馬九行久ペン…
『三方原神社』の御祭神は東照大権現(徳川家康)ですが、秀忠公、家光公も合祀されています。1922年(大正11年)6月25日、旧浜松城内に祀られていた「東照宮」(元城神社)をゆかりの地三方原村へお迎えし、村民の信仰の中心となる神社としました。
今回の徳川家康ゆかりの寺は、三方ヶ原合戦の戦没者の墓が残されている『三寶山本乗寺』です。境内には「精鎮塚」と記された1573年(元亀3年)に行なわれた『三方ヶ原の合戦』の戦没者を葬った墓が残されています。
今回の徳川家康ゆかりの城は、堀川城と同様三河の家康が遠江に侵攻してくる徳川に備えて、今川方の豪族たちが築いたお城『刑部城』です。 刑部城には悲しい姫様の悲話も残されているということで、興味津々で調べてみました。
今回の家康ゆかりの地は、三ヶ日みかんでよく知られる三ヶ日にある1200年もの歴史がある古刹『瑠璃山大福寺』です。家康が愛した『浜名納豆』の発祥の地であり、寺内に多数の文化財があることもご参拝の楽しみです。
ドラマですから、松潤と一緒に架純ちゃんも大往生しても良いのでは?とも思うのですが!今回は築山御前が生前肌見離さず携えていたとされる秘伝「腹籠(はらごもり)地蔵尊」が本堂の位牌堂に祀られている『護法山地蔵院』です。
天浜線の『松潤ラッピング列車』をご存知ですか?しかも、天竜浜名湖鉄道の[天竜二俣駅]には、3月20日から副駅名(愛称)として『どうして!?信康』の看板がホームに誕生したのです。その二俣には苦笑いするほどチャーミングなお顔の『信康くん』もいます。