sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

1600年以上の歴史を持つ『焼津神社』焼津地域の漁業関係者の信仰の強さを感じた

今回訪ねた徳川ゆかりの神社は静岡県焼津市の『焼津神社』、焼津駅から歩いて13分と市街地にある神社ですが、広大で近代的な境内が印象的!なんと自動でお水が出る大きな手水鉢が2カ所もあります。

『荒鎺(アラハバキ)神社』で感じた不思議な感情をあなたにも感じて欲しい!

浜松市浜名区(旧浜北区)の浜北森林公園のまだ奥の堀谷(ほりや)という山間部に『アラハバキ神社』は鎮座しています。素朴な木の鳥居の奥に社殿はなく、そそり立つ大きな岩が見えます。古の磐座信仰ですね。

【遠江の神社巡り】今回は静岡県磐田市中泉御殿に鎮座する『遠江國 府八幡宮』

歴史の深い磐田市中泉御殿という地に鎮座する『府八幡宮』は、国府の守護神として、天平年間(729年〜748年)に遠江国司であった天武天皇の曽孫桜井王が国府の守護として勧請したと伝えられる神社です。

往古より「見付のお天神様」として親しまれている『矢奈比賣(やなひめ)神社』

『矢奈比賣神社』は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。御神徳は、五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。

浜松市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』

今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、お参りの前に石碑がたくさんある境内で一服することもあります。

縄文時代早期の三ヶ日人の化石人骨が発見された『只木遺跡』

『三ヶ日人只木遺跡』は静岡県浜松市浜名区三ヶ日にあり、1959年(昭和34年)三ヶ日町の石灰岩採石場で縄文時代早期の三ヶ日人骨が見つかった遺跡です。過去には教科書に載ったことも・・・。

『只木神明宮』の前身は大田田根子命の子孫と伝わる三輪氏族の奉斎する『弥和山神社』

今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。

細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』無料なのに見る価値満載!

先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。

現在も地名に残る家康にまつわる小豆餅、銭取の逸話。やっと本物の小豆餅食ったどー

今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。

愛知県との県境に広がる三ヶ日みかんの里には伝説で2000年近くの歴史を持つ『濱名惣社神明宮』がある

『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていた(日本書紀より)といい、境内には伊勢神宮との関わりを感じさせる場所がいくつか残されています。

三ケ日の『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』で感動のおみくじ体験

先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。

『息(おき)神社』の不思議なモニュメントのような『手水舎』は非常に興味深い

今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。

智慧と福徳の仏様「虚空蔵菩薩」を祀る浜松市中央区新橋町の蔵興寺、通称『虚空蔵様』

浜松市内から西のほうへ車を走らせると、遠くからも見える大きな2つの達磨(だるま)に気づいたことはありませんか?これらは蔵興寺本堂の屋根の両脇に安置された全高6メートルもある虚空蔵尊のシンボルのビッグダルマです。

『細江神社』の境内社ー宝暦4年の大震災の復興につとめた近藤用随を讃えた『藺草神社』のほか七社

宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。

500年以上の歴史を刻む遠江の神社『細江神社』のはじまりに迫る

今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』。古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。

やっと行けた幕末の下屋敷の山門がみられる『白雲山長泉寺』と歩いてすぐの『須佐之男神社』

今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。

平清盛の長男の重盛が建立したと伝わる遠江の”重盛の三連寺”の一つ『三白山連城寺』

遠江新貝(静岡県磐田市新貝)の『三白山連城寺』。裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。

格式高い遠江二之宮の『鹿宛神社』 すぐ北側の『連福寺』には県内最大の木造閻魔大王像を安置

今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。

遠鉄電車[浜北駅]からすぐそこの徳川家康ゆかりの神社『沼八幡宮』

今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。

浜松市中央区にある由緒ある曹洞宗の『普済寺』は家康公も何度もお参りしたのじゃ!

『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。

袋井市の水に浮かぶ『久野城』は最強武田軍も落とせなかったお城

今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。

胸が痛む2024年の幕開け、地震封じの神として慕われる『曽許乃御立神社』参り

新聞広告で知った災除道開の神として知られる『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、2024の初詣は『曽許乃御立神社』に決めたのでした。

約1000年の歴史を持つ古刹磐田市城之崎にある『風祭山福王寺』

静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』は、真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。

磐田市鎌田の『鎌田神明宮』:徳川家康の寄附による復興の物語

今回の徳川家康ゆかりの地は静岡県磐田市鎌田の『鎌田神明宮』です。鎌田神明宮が武田信玄に焼き討ちにあった際には、徳川家康によって手厚い寄附を受け復興しました。また、武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っているそ…

医王寺は”いにしえ”を感じさせてくれる「東海の苔寺」家康自ら浄財を出して再興を援助

奈良時代創建というとんでもない歴史があるのに知らなかった『医王寺』。元亀3年のあの有名な『三方原の戦い』で武田信玄勢の兵火にかかり焼失。兵火による焼失をいたく惜しまれた家康が自ら浄財を出して再興を援助したとは!

最近地元では金運アップのお寺さんとして有名な『初山宝林寺』

『初山宝林寺』は最近地元で金運アップのお寺さんとして有名と聞きます。というのも、叩くと澄んだ音が鳴る『金鳴石』があり、金が鳴る=金が成るというわけで”商売繁盛””金運成就”の石といわれているからなんですって!

『摩訶耶寺』の高麗門は家康が築城した野地城が廃城になった時移築されたもの

今回の家康ゆかりの地は、浜松市北区三ヶ日町の『摩訶耶寺』です。なぜなら、摩訶耶寺の『高麗門』は、家康が浜名湖畔に船入できる水城として築城した『野地城』が廃城になった時、近藤用高の手配で、山門として移築されたかた。

家康公が大阪夏の陣を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進した『有玉神社』

今回の徳川家康ゆかりの神社は浜松市東区有玉南町の『有玉神社』です。秋の例大祭で現在も行われている流鏑馬は、およそ400年前、家康公が『大阪夏の陣』を終えて江戸に戻る途中、戦場で乗った愛馬を寄進したことに始まるといわれます。

『先照山心造寺』の開基は徳川二代将軍秀忠を産んだ西郷の局で天正8年開山の浄土宗寺院

『五社神社』が遷座された時に北側に開かれたのが『心造寺』で、家康から最も愛された側室と伝わり、徳川二代将軍徳川秀忠公の生母の「西郷の局」が開いたお寺だそうです。

令和6年は干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年で『金運降臨の年』

令和6年は『金運降臨の年』ということで、これまで以上に金運アップを目指す人々、もちろん私を含む欲深き人々にとって最高の年になるといわれています。なぜなら干支の「甲辰」と九星の「三碧木星」が重なる年だから・・・。