sannigoのアラ還日記

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約1000年の歴史を持つ古刹磐田市城之崎にある『風祭山福王寺』

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回ご紹介する地元の神社・仏閣は、静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』です。

 

『福王寺』は真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。

 

遠州三十三観音霊場めぐりの18番札所だからでしょうか?紅葉の時期だったからでしょうか?訪れた12月初旬はかなりの人で賑わっていました。

 

なんと!平安時代の984年(永観2年)開創当時に、福王寺での陰陽師安倍晴明の御祈祷によりとてつもなくなかなか治まらなかった暴風雨が鎮められ、以来山号も「風祭山」と称するようになったそうです。その時の御祈祷の旧跡が境内の西の小高い処に今も苔むして残り、毎年3月8日に風祭りの行事がおこなわれていると聞きます。

 

その後の福王寺は次第に衰微してしまったようですが、永享年間(約5百年前)1444年には、順徳天皇第3皇子寒厳義尹禅師の曽孫の天翁義一禅師(永平寺の直系)を迎え、改めて曹洞宗として再興し今日に至っているといいます。

 

天平の頃の『福王寺』の旧境内は実に4万5千余坪と広大なものだったそうですが、明治維新の際の奉還で現在は約8千坪。それでも東京ドーム約2個分ですから、境内を一回りするのもなかなか大変でした。

 

御本尊は聖観世音菩薩(秘仏)で、聖武天皇の時代の名僧行基菩薩の作と伝えられ、重要文化財に指定されています。

 

福王寺は今川氏の頃より御朱印を賜り、徳川時代約300年の間も10万石を以て待遇されていたそうで、境内には今川家の初代で、遠江の国・駿河の国の守護大名であった今川範国公の墓所があります。また、大庭園「萬両園」では桜やもみじなど季節ごとの自然が楽しめます。

 

約1000年の歴史を持つ古刹磐田市城之崎にある『風祭山福王寺』

 

 

風祭山福王子

 

 

場所:静岡県磐田市城之崎4-2722-1

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[磐田駅]より徒歩約19分
      JR[磐田駅]より遠鉄バス[城之崎方面行き]に乗車、[城之崎西]バス停で下車、徒歩約5分

車:東名高速道路[磐田IC]より約15分
駐車場:20台分の無料駐車場があります

拝観時間:江月堂は土曜・日曜 9:00~16:00のみ開館しています。
御朱印:総受付でいただけます

 

福王寺の御朱印

 

『風祭山』のいわれ

 

福王寺の山号を風祭山と称しますが、これにより次のようないわれがあります。

開創直後の(永観2年)、今から約1千年前、大暴風雨が遠州一帯をおそった際、たまたま諸国行脚の途中にあった天文陰陽の御祈祷をなされたところ、たちまちにして大暴風雨がおさまり、多くの人々の災難を救われました。

このことによって福王寺の山号は、風祭山と称され、御祈祷の旧跡は今なお境内の一隅に残っています。

 

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では、さっそく歴史を感じる朱色の総門をくぐり福王寺をお参りしていきましょう。

 

総門

 

福王寺の総門をうぐると立派な龍の彫刻があります

 

総門前には大きな阿吽の仁王像が立っています

 

手水舎で手を清めてからお参りです。こちらにはかっこいい龍と寺紋があります。

 

ちょっとした橋を渡り手水舎で手を清めます

 

山門

 

なんと!楼上に梵鐘がある『山門』

 

山門は1868年(慶応4年)に再建されたもので弁柄色で立派です。なんと!楼上に梵鐘があります。

 

本堂

 

福王「本堂」と、扁額

 

福王山の『本堂』は1742年(寛保2年)に再建されたもので、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行9間でとても立派で圧倒されます。

 

御本尊である『聖観世音菩薩像』は行基菩薩が彫刻したと伝わるもので、2005年(平成17年)に磐田市指定有形文化財に指定されています。

 

大書院「法輪閣」

 

74畳の大広間は、禅宗寺院の本格的な書院づくりです。

 

安倍晴明堂

 

キラキラとした☆が印象的な『安倍晴明堂』

 

福王寺は遠く1000年前この地に開創され今日に及んでいます。開創当時の984年(永観2年)全国稀な大暴風雨が当地をおそい、大災害が起きようとした時、諸国行脚中の天文陰陽の大家・安倍晴明大権現が当寺境内の西南方の丘陵において御祈祷をなされましたところ、忽ち災害鎮まり快晴となったのであります。

以来斉しくその威神力を讃え風の神として安倍晴明大権現を祀り風祭りを行い、更に当寺の山号を風祭山と称することとなりました。

1000年の長い間多くの苦難を救い当地を守護して戴きました清明大権現の御霊徳を讃えると共に宏大な呉御恩に報いるため、今回御堂を改築し鎮座し給わり、今後、益々当地方の人々が一人残らず無事安らかに、そして共々に末永く栄えますよう祈願するものであります。

   昭和55年10月吉日

   風祭山 福王寺

(福王寺の案内板より)

 

五芒星が素敵な御堂で、キラキラの☆が珍しく見入ってしまいました。神聖なものという感じがヒシヒシと感じられます。

 

本堂の後ろ側に回る感じで案内通りに進んでいくと、大庭園『萬両園』に行くことができます。

 

大庭園『萬両園』

 

大庭園『萬両園』では、紅葉が見頃を迎えていました

 

大書院『法輪閣』より孟宗竹林を背景とした、清く爽やかな庭園が広く一望できます。大きな石をダイナミックに配したお庭ならではの、爽やかなイメージのお庭で、きれいにお手入れがされていたことに感動でした。

 

藤の花(藤棚)

 

樹齢250年の大樹で、4月中旬頃には長さ1m以上で咲き誇る藤を楽しめます。花のない季節なら、藤棚の下のベンチでのランチも清々しい気分でおいしくいただけます。

 

水琴窟

 

穴に水が落ちると琴のような美しい音色を聞くことができる『水琴窟』もあります。

 

今川範国の墓

 

今川家初代で、鎌倉時代末期から南北朝時代に遠江国・駿河国の守護大名であった今川範国の墓所があります。範国公は今から約600年前の1384年(至徳元年)87歳で亡くなりました。歌道や有識故実に通じた文化人として知られ、足利将軍家の儀式なども指導したそうです。

 

大きな『観音さま』の脇の坂を登っていくと『江月堂』があります。

 

江月堂

 

大きな観音さまの左上に『江月堂』があります

 

1858年(安政5年)の寺子屋『江月堂』を21世紀へ。ということで、いろいろな寺宝などの展示室や学習室がある『江月堂』を見学させていただきました。


1階は寺宝等の展示室、2階は学習室、文庫になっています。展示室には磐田の歴史がわかる資料や、家康公より普済寺へあてた5ヶ条からなる条書の写し、さらに天保年間製の『古代朱あじろ篭』なども展示されていて興味深かったです。

 

沼から掘り出された沼薬師如来

 

福王寺の薬師堂に安置されている薬師如来は別名『沼薬師如来』といわれているそうです。というのも、江戸時代中期、見付東坂、西蒲田屋加藤幸八家の裏池の沼から掘り出され、福王寺に祀られたものだからだそうです。

 

さらに『沼薬師如来』は眼病に霊験あらたかで、以来薬師様を掘り出した加藤家の眼病はことごとく治ったと伝わります。現在でも眼病に苦しむ人びとがたくさんお参りしているとのことで、遠江四十九薬師霊場の客番です。もちろん「根に難あり」で、一刻も早く眼病に退散してほしい私もじっくりとお参りさせていただきました。

 

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また、歴史深い古刹だけあって、福王寺にも『大蛇』の伝説が残されているそうです。

 

福王寺の伝説

 

昔、福王寺の境内の奥深い孟宗竹の竹やぶの中に7mもある大蛇が住んでいて、夏に鳴ると夜毎今之浦の田に出て稲を分けていき、大穴の池でウロコを光らせて水を飲んでいたといいます。

 

また、この竹やぶの中には米倉がありましたが、時折不思議に米が減るので調べてみると、なんとたくさんのねずみが住みつき、そのねずみを大蛇が食べていたことがわかり、この米倉を通用門に近い南側へ移したということです。

 

また、お墓参りに来た人が丸太に腰をおろして休んだところ、それは丸太ではなく大蛇だったので驚いたという話も伝えられているそうです。

 

最後に

 

とにかく「壮大な」という表現がぴったりな『福王寺』、開設から千年の歴史を持つ古刹らしく、時間がゆったりと流れているのを感じました。改めて全体をゆっくり巡ろうとすると、やはり半日以上必要かな?と思います。

 

今回特に、陰陽師の安倍晴明が祈祷をして暴風を鎮め「風祭山」と山号を称したという話はこれまで聞いたことがなくて、確かR150沿いに『安倍晴明』と書かれた看板を見たことがあるなと思い出し、もしかしてこの辺りは安倍晴明ゆかりの地なの?すごく調べたい!すぐ調べたい!と、かなり検索好きな私に思わせる案件でした。

 

また、こちらの福王寺に残る伝説のように一休みのため座った丸太が実は大蛇だったとか!今日ならちょっと心臓が止まってしまいそうな話です。

 

ところが、農耕がはじまる新石器時代には、農耕には水が不可欠で大河が大蛇の姿に似ているため「蛇は雨をもたらす」と信じられていたとのこと、農耕文化の拡大とともに蛇の呪術が全世界的に広がっていたことを思うと、長い時を経て蛇も随分と嫌われるようになってしまって可愛そうな気がしてきました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。