sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

縄文時代早期の三ヶ日人の化石人骨が発見された『只木遺跡』

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こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

『三ヶ日人只木遺跡』は静岡県浜松市浜名区三ヶ日にあり、1959年(昭和34年)三ヶ日町の石灰岩採石場で縄文時代早期の三ヶ日人骨が見つかった遺跡です。

 

この化石人骨はすべて破片ですが、身長150cmと推定される成人男性のものでした。残念ながら崩落の危険性があるとのことで只木遺跡は現在立ち入りが禁止され、発掘されたであろう場所を遠くから眺めることしかできません。

 

それでも、甘くておいしい「三ヶ日みかん」で知られるみかん畑が広がる丘に、立派な石碑が建てられ、地元で大事に守られていると感じることができます。

 

1959年〜1961年(昭和34年〜36年)の調査当時の分析で後期更新世(12万6千年前~1万1700年前までの期間/旧石器時代)の人類「三ケ日原人」の骨と判断され「すごいぞ!『三ケ日原人骨』が発見された!」と世間を驚かせ、当時の教科書にも記載された当時、地元の人々の喜びやびっくり加減はどれほどのものだっただろうと思います。

 

ところが、その後2001年(平成13年)放射性炭素による年代測定で縄文時代早期(今から8千年前)の「三ケ日人」の骨と判明してしまい教科書からも消えました。

 

ただ、三ケ日原人ではなく縄文人骨だとしても、ここ三ヶ日に争うことなく狩猟採集で約1万年も暮らした縄文人が暮らしていたであろうことは今でも変わらぬ事実ですし、尊いことに間違いありません。

 

『只木遺跡』にある「三ヶ日人骨出土の地」と刻まれた石碑

 

 

三ヶ日人只木遺跡

 

 

場所:静岡県浜松市浜名区三日町只木

 

《アクセス》


電車・バス:天竜浜名湖線[三ヶ日駅]から徒歩約1時間

車:東名高速道路[三ヶ日IC]より約9分、ICから県道308号を北上し約6km。
       大福寺から県道68号を南進し、左折して県道308号を進むと約5分(約2.9km)。

駐車場:トイレ前に駐車場があります

 

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三ヶ日人骨が発見されたであろう石灰岩の裂け目?、和歌?の石碑かな

 

縄文時代初期の「三ヶ日人骨」は、石灰岩採石場の石灰岩の裂け目から動物の骨と一緒に見つかったといいます。以前は「三ヶ日人骨」発見場所の近くまで行けたそうですが、岩場に小さな洞窟が残されているのがわかります。(遠くから写真だけは撮れました)


浜松市浜名区から愛知県豊橋市にかけての地域は、海底に堆積した生物遺骸由来の炭酸カルシウム層が隆起した、アルカリ土壌の石灰岩の地層が続いているそうです。

 

日本列島の大部分は、火山の噴火活動でできた酸性土壌のため骨が溶けてしまうそうです。それなのに、アルカリ土壌の石灰岩の地層のおかげで、こちらの浜名区三ヶ日町の『只木遺跡』や、同じく新人段階の化石人骨(浜北人骨)が発掘された浜松市浜名区根堅の岩水寺地内『浜北. 根堅遺跡』(根堅遺跡)をはじめとして、いくつもの遺跡が浜松市内にはあるのです。

 

そして、愛知県豊橋の『牛川洞穴遺跡』では、発見当時は約10万年前のもので、当時としては国内最古の化石人骨と考えられていた「牛河人骨」が発掘されました。ただ、2022年9月16~19日に行われた第76回日本人類学会大会・第38回日本霊長類学会大会連合大会において、東京大学特別教授の諏訪元氏らから、「牛川人骨はヒグマの骨である」とする見解が示されてしまいましたが・・・。

 

ちなみに、現在旧石器時代の本州最古の人骨である、浜北根堅遺跡で発見された「浜北原人骨」は東京大学総合研究博物館に保管されています。市民ミュージアム浜北には、そのレプリカが展示されているそうです。

※浜北文化センターの大規模改修に伴い2024年1月16日〜2025年6月30日(予定)まで休館となっています。

 

たとえ只木遺跡で最古の人骨が発見されなくても、日本列島に住む旧石器人によって築かれた「縄文時代」の人骨が見つかったわけですし、この辺り一帯の祖先は、日本における最初の区分時代の約1万年を、狩猟採集(狩りや漁撈、木の実や果実を採っての生活)で争いのない暮らしをしていたであろうことが想像できます。何度も言いますが、かなり尊いことですし我々の祖先には感謝しかありません。

 

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三ヶ日人只木遺跡の石碑

 

立派な石碑と、案内板

 

この碑は、平成5年3月に三ヶ日町教育委員会(当時))により只木遺跡内に設置されたものです。

只木遺跡で発見された「三ヶ日人骨」は、調査当時 (昭和34~36年)の分析技術では洪積世(更新世)と 判断されましたが、後年、分析技術、機器の進歩により、 縄文時代早期のものであると結論づけられました。

三ヶ日人骨の時代観は変わりましたが、私たちの祖先の記録がこの地に刻まれていたことに変わりはありません。

発掘調査や遺跡の保存・活用のために尽力されてきた 地元をはじめ、多くの方々に感謝すると共に、郷土の 歴史・誇りとして、後世に語り継いでいきます。

平成26年12月 浜松市

(案内板より)

 

 

1958年(昭和33年)、三ヶ日町只木の石灰岩採掘場で、獣骨の化石を見つけた 山本三男氏が、三ヶ日高校の高橋佑古教端に届けたのがきっかけとなり、翌年、東京大学 理学部人類学教室(鈴木尚教授)と同地質学教室(高井冬二教授)により、地元只木区と 三ヶ日町、三ヶ日高校などの協力のもとに発掘調査が行われました。

その結果、現生人類の祖先と思われる人骨七片(頭蓋骨五、腰骨一、大腿骨一)と数多くの更新世の動物(オオツノシカ、ヒョウ、アオモリゾウなど)の化石が発見されました。 

発見当時は人骨も旧石器時代にさかのぼるものとして注目されましたが、後年、お茶の水大学の分析により、縄文時代早期(約8千年前)のものと特定されました。

浜松市内では、 海北人(約1万8千年前と1万4千年前の二時期)とともに、本州に現存する化石人骨として最古の部類に属し、この地域での人類の変遷を知るうえで貴重な発見です。 

浜松市を縦断する中央構造線沿いの石灰岩地帯には、鍾乳洞など特徴的な地形が見られるだけでなく、こうした化石の産地が点在しています。

平成二十六年十二月浜松市

(左の写真の案内板より)

 

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三ヶ日人発掘経過記

 

昭和三三年八月

当地白谷石灰採石場ヨリ山本三男氏ガ獣骨化石三十余点ヲ三ヶ日高校高橋佑吉教諭二届ヶ同教諭、肉食動物ノ下アゴト思ワレル骨片ヲ東京大学地質学教室

同三四年一月

高并冬二教授二報告スル 高井教授ハ同大学人類学教室鈴木尚教授同伴来町も前記化石ヲ洪積世期ノ猫科獣骨ト鑑定スル

同三四年九月

両教授再度来町シ獸骨化石中ヨリ人間ノ腰骨片トアオモリゾウ牙ヲ発見スル

同三四年十月

東京大学学術調査団七名来町三ヶ日町(堀口真隆町長)三ヶ日高校(内藤睦美校長)只木区(高橋元一区長)~郎業主)等ノ協力ニヨリ発掘調査シ日本最初~ノ獸骨片~ヲ発見シコレラ七~積世三ヶ日人ト命名し現在東京大学総合研究

同三五年六月

両教授ヵ日本人類学会ニオイチ三ヶ日人骨研究~

三五年八月

鈴木教授がパリノ国際人類民族学会にオイテ~

(石碑文より)※一部樹木の陰で解読できずすいません。

 

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最後に

 

『三ケ日原人』といわれ、教科書にも記載された当時は三ヶ日の町中が沸きに沸いて、いろんなイベントやアクションがあったことでしょう。

 

中でも、当時三ヶ日町のお祭りの際に『三ヶ日原人太鼓』というアトラクションがあったそうです。ただ、「最近は見かけません。」という書き込みをネットで拾いました。

 

いやいや、きっとコロナ禍で中止されていただけでしょう?と思い、グーグルさんに伺ってみると、2018年の三ヶ日町農業協同組合の9月号の『只木納涼盆踊り大会』を紹介する記事を発見!

 

記事内では”大会前になると子供達や女性部は盆踊りの練習。男性陣は原人太鼓の練習や準備でグラウンドは毎晩、賑やかに。”と書かれていましたので、今年あたり多分復活するのでは?期待しましょう。そして、縄文時代以前から続く日本人気質を大切に祭事を楽しんでいきましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。