2024-01-01から1年間の記事一覧
御祭神は木花咲耶比賣命(このはなさくやひめ)、合祀されているのが『天白神社』と『日本武尊』ですが、この天白神社が合祀されるに至ったエピソードといいますか、歴史的な動きが大変興味深いです。
「謎の多い天白信仰を求めての神社巡り」は、11月17日に参拝した浜松市中央区入野町に鎮座する『天白神社[天馬駒(てんぱこ)神社]』から始めたいと思います。
『蒲神明宮』地元では「全ての願いを叶える神様」として知られているのですが、元々は千年以上も前に「蒲大神(かばのおおかみ)」を奉していたところに「神明宮」を勧請したそうで、古来社殿はなかったとのこと。
千年以上の歴史がある式舞阪の氏神様『岐佐神社』を先月お参りさせていただきました。神社の後ろの「ごしんさま」では小学校庭にあった『天白社』も伊勢神宮や津島神社同様祀ってくれています。
最近私はこの天白信仰の分布がほぼ本州の東半分にみられる民間信仰だと初めて知りました。 しかもその分布は長野県・静岡県を中心として、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっているといいます
今回お参りした古の神々を祀る遠江の神社は浜松市中央区白鳥町に鎮座する『六所神社』です。昨日グーグルの検索で見つかった「六所神社」は、市内になんと52社ありました。
だいぶ遅れていると感じていた今年の紅葉。それでもそろそろいかが?と、紅葉を楽しみに四ツ池公園へ出かけた「勤労感謝の日」、なんとも神秘的な神社に出会ってしまったのでした。
今回は浜松市民から通称「赤電」と呼ばれ親しまれている遠鉄電車の「さぎの宮駅」から歩いて7分でお参りできる『鷺之宮八坂神社』です。御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)と雨忍穂耳命(アメノオシホミミ)。
今回お参りした神社は、かつて池があり、この池の周りに松が生い茂っていたことから命名されたという浜松市中央区松小池町に鎮座する『松之浦神社』です。
今回の遠江の神社は、浜松市浜名区内野に鎮座する『内野神明宮』です。先日記事にした『六所神社』と同じく「延喜式神名帳」にある遠江国・長上郡『朝日波多加神社』と推定される神社です。
今回の古の神社は浜松医科大学病院東に位置する『六所神社』です。三方原台地の東麓に鎮座し社殿は東を向いており、江戸時代は六所明神と称していたとのことでかなりの歴史の深さを感じる神社です。
鳥居をくぐり、苔むした階段を一段一段登り、木の根が絡む参道を進めた先に鎮座する『山上社』の佇まいは、あまりにも古(いにしえ)で、空気に乱れのない静けさに時が止まったような感じがしました。
今回お詣りしてきた古の神社は、今が柿の全盛期の愛知県豊橋市石巻町にある『石巻神社(いしまきじんじゃ)』です。一説では大神神社(おおみわじんじゃ/奈良県桜井市)から分祀されたものと言われております。
今回は浜松市浜名区貴布祢に鎮座する『貴布禰(きぶね)神社』です。こちらにもいつもブログに登場する、平安時代の征夷大将軍で蝦夷征伐を成し遂げた坂上田村麻呂の伝承が残されています。お楽しみに♪
今回の徳川家康ゆかりの地は、舘山寺から庄内半島を約2kmほど南下した場所(浜松市中央区庄内町)にある月見の名所としても知られる曹洞宗の名刹『藤谷山宿蘆寺(とうこくざんしゅくろじ)』です。
こちらのブログには何度も登場している平安時代に蝦夷討伐で活躍した武将「坂上田村麻呂公」。遠江にもいくつかの伝説が残されているこの方をお祀りしている神社です。
今回お参りしてきた神社は浜松市浜名区細江町に鎮座する『蜂前(はちさき)神社』です。 蜂前神社は、およそ1700年前に建てられた神社。三方原から祝田(ほうだ)の坂を下ったところに鎮座する古社です。この場所は『三方原の戦い』で武田軍が徳川軍を待ち伏…
今回は浜名区於呂に鎮座する、ゆったりと広い静寂な空間を味わうことができる『於呂神社』をお参りしてきました。『於呂神社』の創建は明らかではありませんが、平安時代から鎮座していたと伝わる古社です。
”電車が鳥居の上を走る!”という『椎が脇神社』。また浜松市内に鎮座する『有玉神社』『白華寺』『高貴神社』などと同様に、こちらの『椎ヶ脇神社』にも蝦夷討伐のための東征途中での坂上田村麻呂にかかわる伝承が残されています。
今回は私がいつもお参りしている身近な神社、静岡県浜松市中央区上島に鎮座する『高貴神社』を改めて調べていきます。こちらは公民館が併設されているため、選挙の投票所にもなっていて親しみやすいです。
都田に鎮座する『須倍神社』は、「蒲神明」(浜松市大蒲町)、「鎌田神明」(磐田市鎌田)とともに、遠江三神明の一社に数えられ、創建は887年と古く、伊勢神宮の御厨である都田に神宮を勧請したと伝わります。
前回の『砥鹿神社本宮』に続き、神代より大神様が鎮まる霊山標高789mの『本宮山』、各所には古代祭祀遺跡が点在することから砥鹿神社の創祀と考えられる『砥鹿神社奥宮』について深堀りしていきます。
今川軍に包囲された一宮砦に、家康が寡勢で救援に駆けつけ多くの今川軍を蹴散らし、宿陣したと伝わる『砥鹿神社。1602年(慶長7年)には、家康より朱印領として百石の寄進を受けたともいいます。
失礼ながら『赤尾渋垂郡辺神社』を全く存じあげませんでしたが、参拝してみて『赤尾渋垂郡辺神社』の名称には、創建から奈良時代の「神仏習合」さらに明治の「神仏分離」の歴史が詰まっていると実感しました。
許禰神社には「徳川家康御座石」も残されたおり、家康公がこの宮に参詣したことが証明されていますし、関ヶ原の戦いの勝利を祈願し、心願成就して70石の所領を与えたとの記録も残っているそうです。
今回お参りしたのは、静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷(いいのや)にある杉の大木に囲まれた『渭伊神社(いいじんじゃ)』です。神社の奥には古墳時代から鎌倉時代までの巨岩祭祀遺構の『天白磐座遺跡』が広がります。
『長篠・設楽原の戦い』。歴史を変えたともいえるこの決戦を前に織田信長・徳川家康が、こちらの『石座神社』に戦勝祈願したと伝わるそうです。また、太古より雁峯山に大きな岩があり、古代の磐座で『石座神社』の起源とされます。
今回の徳川家康ゆかりのお寺は、浜松市天竜区山東にある『金光明山光明寺(こうみょうじ)』です。1575年(天正3年)武田勢の襲来を知った光明寺の住職が家康に知らせ、追討できたという伝承も残されています。
県外からもたくさんの方が訪れると聞く『瀧川神社』。特に興味深いのは、こちらの御祭神が瀬織津姫(せおりつひめ)であるということ。
お金を貸してくれる上に、担保として持病を持ち去ってくれる神様を御存じでしょうか?そんな都合の良い神社が実は浜松市天竜区二俣にあります。その名を『金貸水神社』といいます。