2024-01-01から1年間の記事一覧
歴史の深い磐田市中泉御殿という地に鎮座する『府八幡宮』は、国府の守護神として、天平年間(729年〜748年)に遠江国司であった天武天皇の曽孫桜井王が国府の守護として勧請したと伝えられる神社です。
『矢奈比賣神社』は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。御神徳は、五穀豊穣・安産・子宝・子育て・縁結び等です。
今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、お参りの前に石碑がたくさんある境内で一服することもあります。
『三ヶ日人只木遺跡』は静岡県浜松市浜名区三ヶ日にあり、1959年(昭和34年)三ヶ日町の石灰岩採石場で縄文時代早期の三ヶ日人骨が見つかった遺跡です。過去には教科書に載ったことも・・・。
今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。
先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。
今回、お花見を兼ねてでかけたのは『小豆餅』と『銭取』、どちらも地名に残された家康公の逸話が残されています。この辺りは現在の浜松市中区葵町になり、「小豆餅」を販売している『御菓子処あおい』もあり、小豆餅を購入しいただくこともできます。
『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に、40余日の間一時的にこちらへ祀られていた(日本書紀より)といい、境内には伊勢神宮との関わりを感じさせる場所がいくつか残されています。
先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。
今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。
浜松市内から西のほうへ車を走らせると、遠くからも見える大きな2つの達磨(だるま)に気づいたことはありませんか?これらは蔵興寺本堂の屋根の両脇に安置された全高6メートルもある虚空蔵尊のシンボルのビッグダルマです。
宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。
今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』。古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。
今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。
遠江新貝(静岡県磐田市新貝)の『三白山連城寺』。裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。
今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。
今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』。この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。
『普済寺』はあの「三方ヶ原の戦い」(1573年/元亀3年)の夜、家康の命令で浜松城が炎上したかのように見せかけるため、徳川軍によって火が放たれ本堂を焼失したという伝承が残されています。
今回の徳川家康ゆかりのお城は静岡県袋井市にあり、鎌倉時代に遠江久野を本拠地とした久野宗仲を祖とする久野一族の本拠地だった平山城『久野城』です。
新聞広告で知った災除道開の神として知られる『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、2024の初詣は『曽許乃御立神社』に決めたのでした。