sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

遠鉄電車[浜北駅]からすぐそこの徳川家康ゆかりの神社『沼八幡宮』

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の徳川家康ゆかりの神社は『沼八幡宮』です。遠州鉄道[浜北駅]からも近く地元の神社という感じで、こじんまりとした気持ちの良い神社です。

 

この『沼八幡宮』は、1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしたそうです。


また、沼之助は石清水八幡宮を訪れたときに持ち帰った「真竹(まだけ)の苗」を、数多くの戦功により家康から与えられ領地(現在の浜松市浜名区沼)の『沼新田村』に植え付けます。


そして村人にも植竹を勧め、長年『沼の真竹』として旗竿などを歴代の浜松城主に献上したおかげで、村人達の兵役は免除され村人の救世主として感謝されたといいます。


『沼八幡宮』には二つのお社があり、一つは「八幡宮」、もう一つは祖先の霊を祀る社「祖霊舎」です。では、さっそく浜松市浜名区(旧浜北区)沼にある『沼八幡宮』をお参りしていきましょう。

 

『沼八幡宮』

 

 

沼八幡宮

 

 


場所:静岡県浜松市浜名区沼199


《アクセス》


電車・バス:遠鉄電車[浜北駅]より徒歩約4分
車:新東名高速道路[浜松浜北IC]より約22分
  東名高速道路[三方原スマートIC]より約21分
駐車場:ありません

 

御祭神:主神 誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)
    配神 磯部大神(いそべのおおかみ)

御霊社:みたまさま 太田家の祖先を祀る

御神刀:沼之助の脇差(この脇差は徳川家康から拝領されてと伝わります)

 

『沼八幡宮』御由緒

 

入り口の風景もいたってシンプルです


1586年(天正14年)徳川家康の家臣である太田沼之助が氏子・子孫の守りとして、京都の石清水八幡宮からお迎えしました。

 

『沼の真竹』と案内板


その時に境内にあった真竹の根を持ち帰り栽培を進め、江戸時代には村の特産として歴代浜松城主に献上し旗竿などに用いられたそうです。長年『沼の真竹』を献上していたことよって村の人たちの兵役は免除されていたとのこと。


この「沼」という地名は、この地を開拓した沼之助が自身の名前から「沼新田村」と名付けたのが由来とされているため、俗にいう沼地(湿地帯)だったというわけではないようです。

 

『沼八幡宮』の鳥居と本殿


この『沼八幡宮』には二つのお社があります。一つは「八幡宮」、もう一つは祖先の霊を祀る社「祖霊舎」です。なぜかというと、太田一族が明治の初め頃に神道に改宗したためだそうです。

 

太田一族の祖先の霊を祀る社「祖霊舎」

 

沼八幡宮の最寄りの駅である遠州鉄道[浜北駅]の住所は浜名区「沼」です。沼は約500世帯1400人ほどが暮らす浜名区では中規模の町です。沼八幡宮周辺を歩いていると「沼」の名付け親でもある沼之丞の名字「太田」が多いことに驚きます。

 

実は全国順位で43位の太田さんですが、静岡県では23位でおよそ17,600人、浜松市だけでおよそ6,200人静岡県の太田さんの4割近く(約35%)が浜松市にいらっしゃることになります。(名字由来net)


初代沼之助から数えて19代目「太田なにがしさん」も健在でいらっしゃて、太田さんのお宅の庭には「真竹」が残されているとか。(チャンネルWindyより)


真竹の功績を残すため50年ごとに祭礼が行われ、直近で行われたのは2004年(平成16年)だったようですから、次回は2054年に開催される予定ですね。

 

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そもそも、沼之助は浜松城下に住み、彼の屋敷に通じる小路は「沼殿小路」と呼ばれていたそうです。その小路の名は飯尾豊前守連龍が曳馬城主だった頃、家老の江間安芸守泰頭の屋敷の脇道が江間路小路、沼殿小路と呼ばれていたとも伝わりま
す。


『沼の真竹』についてはこちらの記事が詳しく説明してくれています>>

Lifework

 

最後に

 

まずお伝えしたいのは、今回訪ねた静岡県浜松市浜名区沼の『沼八幡宮』は、いわゆる沼地や湿地帯にあるから「沼」の字がついているわけではありません。

 

れっきとした徳川家康の家臣だった太田沼之助、しかも三方原の戦い以前から多くの戦功を納めたおかげで拝領した領地、そこを開拓した沼之助自身の名前の『沼』という字を使い「沼新田村」と名付けたのが由来ですから。ここに住まおうとされている皆さま「安心してください!」

 

というわけで、今回お参りした『沼八幡宮』は村の鎮守という感じで、何となく落ち着く感じでした。ちょうどお参りに訪れていた方もご近所さんというイメージで、もしかしたら毎日とか来ているのかしら?うらやましいわと思いました。

 

この辺りには他にも『貴布禰神社』や『須佐之男神社』、幕末最後の浜松城主たる井上河内守正直の下屋敷の門であり当時浜松市街(現千歳町モール街東側)にあった山門が残る『白雲山長泉寺』もあります。今後記事にできたらいいなと思っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。