sannigoのアラ還日記

アラ還女sannigo(さんご)の穏やかな毎日を記録しています。

平清盛の長男の重盛が建立したと伝わる遠江の”重盛の三連寺”の一つ『三白山連城寺』

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回訪ねた地元のお寺は、遠江新貝(静岡県磐田市新貝)にある曹洞宗の『三白山連城寺』です。

 

裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男で遠江守だった平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。

 

その後、江戸時代に、中泉代官大草太郎左衛門政信が荒れた寺を曹洞宗の寺として再興したと寺伝に伝わります。

 

連城寺周辺の丘陵部には大小の古墳が点在し、中でも南側にあった経塚古墳(明治初期に消滅)からは、あの卑弥呼や邪馬台国論などで騒がれている『三角縁四神四獣鏡(さんかくぶちししんしじゅうきょう)』が、明治19年に出土しています。

 

中高年の大河ドラマ好きな皆さまならよくご存知の平清盛は、専制をもって強引に平家の政権を樹立したため、多くの人から恨みをかったようです。ですから、息子の重盛は父清盛の悪行の報いを恐れ清盛によって殺害された人々の冥福を祈るため、また父親の恨みによって自身が死後地獄に落ちないように国毎に3ヶ所に寺院を建立したといいます。

 

遠江では今回登場する新貝の『連城寺』、中泉地区には鹿宛神社横の『連福寺』、竜洋地区の『連覚寺』のことで、”重盛の三連寺”と呼ぶらしいのです。

 

先日、磐田市の[JR御厨駅]から徒歩約5分の『医王寺』をこちらのブログでご紹介しています。その『医王寺』から徒歩約10分で先回ご紹介した『鎌田神明宮』へ、さらに『鎌田神明宮』から徒歩約15分の場所には、今回ご紹介する『連城寺』があります。

 

磐田に出かける機会があったら、この3ヶ所を一気に歩いて回るのも楽しいのではないでしょうか?

 

青空の下親切にパフレットを下さる『三白山連城寺』

 

 

三白山連城寺

 

 

場所:静岡県磐田市新貝1566-1

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[御厨駅]から徒歩約9分

車:東名高速道路[磐田IC]より約15分

駐車場:無料駐車場があります

御朱印:いただけるようですが詳細は不明です

 

平安末期の武将平清盛の長男で遠江守だった平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立したと伝わる『三白山連城寺』ですが、平氏滅亡後、廃寺となりました。

 

その後、荒廃しましたが、1644年(正保元年)徳川家臣中泉代官大草太郎左衛門政信が、萬松山可睡斎(ばんしょうざんかすいさい/静岡県袋井市)第11世鳳山等膳(ほうざんとうぜん)を招き曹洞宗に改宗し再興、現在に至ります。

 

現在『連城寺』では、平清盛、重盛の供養塔や位牌、古墳出土品などを見学することができます。

 

平重盛とはあの有名な武将平清盛の長男ですが、この寺が建立された1179年(治承3年)は重盛のお父さんである平清盛が軍勢を率いて京都を制圧、後白河院政を停止した事件『治承三年の政変』が起きた年でもあります。

 

治承3年11月、清盛の反乱によって後白河法皇の院政は停止され、この反乱によって摂政基房は解任され、代わりに清盛の娘婿の近衛基通が摂政に叙任します。また、院近臣の多くが解官されました。

 

平重盛が1158年(保元3年)に遠江国司に任命されてから、平氏一族が国司を勤めました。このため磐田市内には平氏の一族が開いたと伝わる寺院があります。

 

冒頭でも記したように、平重盛は「連覚寺」(磐田市竜洋中島)・連福寺(磐田市二之宮)・連城寺(磐田市新貝)を開創しました。寺名の「連」は重盛の法名「城連」から付けられたものといいます。

 

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また、草崎の寿正寺なども重盛が開いたと伝わります。これらの寺院は平氏の滅亡とともに衰退しましたが、今も残る千手堂や熊野の逸話なども平氏の勢力がこの地に及んでいたことを示しています。

 

本堂

 

連城寺本堂の「開山堂」と、大黒様

 

連城寺本堂の開山堂には平清盛と平重盛の法名(戒名)が刻まれた高さ60cmにも及ぶ大きな位牌が安置されています。

 

連城寺の涅槃図

 

2月15日はお釈迦様のお亡くなりになった日です。「お釈迦様涅槃会」では江戸時代初期に描かれた涅槃図(ねはんず)をお参りできると聞きます。涅槃図とは、お釈迦様が入滅(お亡くなりになること)した時の様子を描いたものです。

 

お釈迦様が入滅されたことを「涅槃に入る」ということから、この絵を涅槃図といいます。「涅槃」は死ではなく静寂を意味します。涅槃図の上方に雲の上から下ってくる一段があります。摩耶(まや)夫人の一団です。摩耶夫人はお釈迦様のご生母です。

 

周囲には、お弟子、信者はもちろん鳥獣までもが永久の別れを泣き悲しみ、草木もが痛哭する画であります。お釈迦様の涅槃図のお姿は、頭を北に、お顔を西向けられたことから「頭北面西右脇臥(づほくめんさいうきょうか)」といわれ、これが「北枕(きたまくら)」の起源になっています。

 

連城寺の涅槃図の制作年月は不明でありますが、記録によると1647年に寄贈されているので、おそらく江戸時代前期の作と推定されます。また、作成中に村で女性が自殺したため、供養のためにその女性を特別に涅槃図に描いたといわれています。

引用元:連城寺公式ページ

 

平清盛と平重盛の供養塔


連城寺の裏山(秋葉山古墳)には、JRの線路と並行して山を登っていく坂があります。その坂を登ったところにある墓地最上段、中央より東寄りの歴代住職の無縫塔(むほうとう)がある墓地があります。この墓地から、更に階段で一段登ったところに、平清盛と平重盛の供養塔が(五重塔)がひっそりと2つ仲良く並んで鎮座しています。

 

平清盛

 

ご年配の方なら大河ドラマでおなじみの平清盛が活躍した12世紀は、公家から武家へと主導権が変わろうとしていた時代です。そして、武家中心の世の中を作る立役者となった一人が平清盛です。

 

功績として日栄貿易のために瀬戸内海の航路を整えたこと、栄銭の輸入によって貨幣経済を浸透させたことなどがあります。

 

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大草太郎左衛門政信とその一族の墓

 

先ほど登場した大草太郎左衛門政信、江戸時代に荒れた連城寺を曹洞宗の寺として再興された方です。その大草太郎左衛門政信と一族のお墓があります。

 

現在も大草代官と関係のある子孫で構成されている「大草顕彰会」の方々が、墓地を守り、毎年供養祭を行っているそうです。「大草顕彰会」の代表は、4代正清の弟の周軒重親の子孫であり、袋井市国本の大草家が代々務めています。

 

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連城寺古墳群

 

連城寺の裏山は、稲荷山古墳・秋葉山古墳・経塚古墳を含む『連城寺古墳群』となっています。

 

また、連城寺裏山(秋葉山古墳)の墓地には、平清盛と平重盛の供養塔が鎮座しています。この裏山が「秋葉山古墳」で、となりに「稲荷山古墳」「経塚古墳(現存しない)」があり、連城寺古墳群と呼ばれます。中でも「経塚古墳」では古代の『三角縁四神四獣鏡』が明治19年に発見されています。

 

稲荷山古墳

直径47m、今から1650年前の前方後円墳です。古墳の周りからは壺の形をした埴輪(壺形埴輪)が見つかっています。

 

秋葉山古墳

直径50m、今から1650年前の円墳です。土器の破片が見つかりました。

 

経塚古墳

直径90m。今から1700年前の4世紀前半に造られた前方後円墳です。明治19年に行われた東海道線の鉄道工事により破壊されてしまいましたが、その工事中に、鏡が発見されました。鏡は「日月日日銘 三角縁唐草文帯四神四獣鏡」と呼ばれるもので、県指定有形文化財第201号になっています。大和地方の古墳からも同じものが発掘されています。

 

連城寺古墳群まとめ

連城寺古墳群は調査の結果、地元の有力者の古墳であることがわかりました。地元の有力者とは現在で例えるならば県庁所在地の市長といった地位でしょう。1700年前の日本は大和政権が全国統一に向かっていた時期ですから、いろいろな地域で反対や賛成の意思が交錯していたでしょう。

 

そんな中、経塚古墳(明治19年の鉄道工事にて破壊され現存しません)の主は、いち早く静岡県地域の体制づくりに協力したものと思われます。交通の要所でもある県内での協力者は、中央政権にとってありがたい存在であったことが推測されます。鏡は、その感謝の気持ちとして贈られたものだと考えられています。

 

経塚古墳に関しては本格的な発掘調査が行われましたが、稲荷山古墳、秋葉山古墳に関しては古墳のごく一部をのぞき見した程度の調査のため、今も地中には未知なるものが埋まっている可能性が高いです。歴史のロマンとパワーを感じながら古墳を散策してみてはいかがでしょうか。

 

「日月日日銘 三角縁唐草文帯四神四獣鏡」

 

<明治19年鉄道工事中に経塚古墳から発見された古代の鏡>

鏡に穴が開いているのは工事中に作業員のツルハシが当たって発見されたからです。大きさは直径22cm、重さ1053gです。現在の色は青錆色ですが1700年前はピカピカの色でした。主な原料が銅であるため、時間とともに色が変色しました。ツルツルの方が表面、いろいろな絵柄がついている方が裏面となります。
※長く難しい名前ではありますが、鏡の特徴を全て漢字で記したものです。

1. 三角縁
鏡の縁(ふち)を少し斜めから見ると、縁が尖っていて、断面の形が三角形になっています。

2. 唐草文対
鏡の中心と外枠の真ん中あたりを唐草文(からくさもん)が帯状にまわっています。

3. 四神四獣
帯の内側には交互に4人の神様と4匹の獣が描かれています。

4. 日月日日
唐草文帯の中には等間隔に4ヶ所、四角い印鑑のような模様があり、ここには「日月日日(ひつきひひ)」という文字が描かれています。

1〜4のことから、この鏡の正式な名前は「日月日日銘 三角縁唐草文帯四神四獣鏡」(ひつきひひめい・さんかくぶち・からくさもんたい・しじゅうきょう)となります。

引用元:連城寺パンフレット

 

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最後に

 

めえ~めえ~と鳴くかわいいヤギたち

 

連城寺付近の磐田市新貝の住宅街では、メエ~メエ~と鳴き声もかわらしいいヤギがみられるアトリエ樹さんというところがあります。

 

ネットで調べたところ、株式会社樹さんのお店の一つで『アトリエいつき』だそうです。和を基調とした盆栽や古物を扱っているみたいで流行りの「苔玉」もありました。

そして、もう一つが少し南にある「庭の展示場」で洋を基調としたイングリッシュガーデン風のお庭などを提案されているそうです。プチ庭カフェでドリンクも楽しめるようです。

 

さわやかウォーキングを利用したり、グーグルマップで地元で面白そうな神社仏閣やお城などを見つけては、ウォーキングと称してお参りに出かけています。今回の『三白山連城寺』さんは、やはり平清盛の長男の重盛が建立したというところの興味を持って出かけました。

 

そしたら、副産物のように、連城寺の南側にあった「経塚古墳」で、あの卑弥呼や邪馬台国論などで騒がれている『三角縁四神四獣鏡』が明治19年に出土してことを知ることができました。1700年前の4世紀前半にここで人々が暮らしていたことにウキウキします。歴史のロマンってやつでしょうか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。