sannigoのアラ還日記

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磐田市鎌田の『鎌田神明宮』:徳川家康の寄附による復興の物語

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の徳川家康ゆかりの地は静岡県磐田市鎌田の『鎌田神明宮』です。鎌田神明宮が武田信玄に焼き討ちにあった際には、徳川家康によって手厚い寄附を受け復興したといいます。

 

また、武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っているそうです。

 

最近気づいたのですが、たしかに徳川家康が29歳から45歳まで過ごしただけあって浜松にもゆかりの場所はたくさんあります。

 

ですが、お隣の磐田はなんといっても石器時代、縄文時代から人々が生活していた場所です。家康が活躍する時期にはすでに援助が必要な寺社も多かったと思われますので、今後は浜松に限らず”遠江”の家康ゆかりの地もどんどん訪ね歩こうと思っています。

 

こちらの『鎌田神明宮』は、御厨(みくりや)地区の総鎮守(総社)で、農業関係の神として信仰を集め、社殿には多くの鎌が奉納されているのが特徴です。

 

私的には、空高く伸びるシイやカシなどの深い緑の中に鎮座する社殿、こけ庭なども見られる自然たっぷりな境内で厳かな気分を味わうのにはぴったりな場所かなと思います。すぐ隣にはいくつものかわいらしいうさぎ(作り物ですが)がいる『うさぎ山公園』もあります。

 

磐田市鎌田の『鎌田神明宮』:徳川家康の寄附による復興の物語

 

 

鎌田神明宮

 

 

場所:静岡県磐田市鎌田2262

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[御厨駅]から徒歩約5分
      JR[磐田駅]からバスで約20分、[神明前バス停]下車で徒歩1分

車:東名高速道路[磐田IC]から車で5km
駐車場:あります(二の鳥居の左手)
御朱印:いただけます

 

鎌田神明宮でいただいた御朱印

 

磐田市

 

まずは、鎌田神明宮のある磐田市について解説しておきましょう。サーカーファンなら『ジュビロ磐田』チームの本拠地としてよくご存知でしょう。そのため、磐田駅前から北に延びるジュビロードの歩道には、歴代のジュビロ磐田の監督や選手のサインと足形・手形を焼き付けた陶板が埋め込まれています。足形って珍しくないですか?

 

サッカーはさておき、磐田市は日本のほぼ中央、静岡県西部の天竜川東岸に広がる地域で遠州灘に面しています。黒曜石の石器や貝塚が発掘されており、石器時代、縄文時代より人々が生活していたといわれます。

 

『御厨古墳群(みくりやこふんぐん)』など古墳が多く存在し、その規模から現在の磐田市がこの地方の中心地であったことが想像できます。

 

『医王寺』や『鎌田神明宮』がある磐田東部のこのあたりは、太田川が運んだ肥沃な土地のおかげで豊かな稲作地帯が広がっています。弥生時代にできた磐田で最初の村もこのあたりにあったそうです。

 

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また、JRを挟んで北側には「ヤマハ発動機」や「NTN」などの企業があり、もちろん「ヤマハスタジアム」もこの付近ですから、試合のある日は大いに賑わっています。

 

さらに磐田バイパスがあるあたりには、鎌倉時代の古い道、江戸時代の東海道、明治・大正・昭和・平成に造られた道が横断しているので、今でも”いにしえの道”をかんたんに歩くことができるんです。

 

鎌田神明宮

 

そんな磐田の東部にある『鎌田神明宮』は御厨地区の十七郷十九社の総鎮守(総社)で、境内には御厨の各氏子神社を合社として祀っています。前身は、式内社である島名神社とも言われ、651年(白雉2年)の鎮座と伝えられ農業関係の神として信仰を集め、社殿には多くの鎌が奉納されています。  

 

古くから『嶋名神社』と称し、延喜式(平安時代に編纂された格式に記述がみられる式内社で、伊勢神宮の外宮、豊受姫之神(とようけひめのかみ)を祀っている神社になります。また瀬織津姫(せおりつひめ)をはじめとする多くの神々を祀っています。

 

鎌倉時代から、夜泣き虫封じの御神徳あらたかとして有名になり、現在では全国から御参拝、御祈祷に来られるそうです。これは幼児の癇の虫を鎌で切り取って封じるもので、10年の満願の時にお礼として鎌を奉納するのが伝統だそうです。だから、鎌がたくさん奉納されているのですね。ナットク!

 

境内の案内板によるとこちらの『鎌田神明宮』白鳳時代の白雉2年(651年)に創建されたとのこと。西暦651年創建ということは、古墳時代から奈良時代に移り変わる少し前、今から約1300年も前からこの地にあるということ、645年に年若い中大兄皇子、大海人皇子の協力によって大化の改新が推進されていたころ、つまり豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へ移り変わったころに創建された神明宮ということです。

 

1300年の昔、伊勢国から豊受姫大神が渡御し、白羽の矢となって鎌とともに中島の浜に飛来しました。このため『鎌田』の地名がうまれ、そこに豊受姫大神を祭るようになったといわれています。

 

神社といえば「〇〇さんが勧請して創建」というのが多いと思われがちですが、こちらは「白羽の矢が飛んできた!お祀りしなくちゃ!」という感じでお社を建てたみたいです。地元では「神明さん」と呼ばれ広く愛され、拝殿には多くの鎌が見られ、昔から夜泣き虫封じの神様としても有名です。

 

伊勢神宮の神領地であった御厨の総社で、社殿は伊勢神宮と同様、20年毎に式年遷宮、60年毎に大遷宮を行ってきているそうです。

 

遷宮の際には本殿を北へ動かして合社とし、ここに御厨19村の御祭神を斎祭します。そして、それまでの合社を解体し、それをもとに全く同じ形の本殿を作るそうです。口承によればこの歴史は1300年も続いているといいますからスゴイ!

 

『鎌田神明宮』は武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っていますし、武田信玄に焼き討ちにあった際も徳川家康によって手厚い御寄附を受け復興したといいます。

 

この神社には農業神を祀る日本古来の素朴な原始信仰が残っているということから、民俗学上貴重な神社ともいわれます。

 

境内には自然のシイやカシなどの大木が茂り、磐田原本来の植生が見られ静岡県の「ふるさと自然百選」にも選ばれているそうです。

 

では、さっそく『一の鳥居』『二の鳥居』『三の鳥居』『神門』をくぐりお参りしていきましょう。まずは、龍が立派な手水舎でお清めしてからですね。

 

一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居

 

紅葉で華やぐ『二の鳥居』と『三の鳥居』違うかも?

 

磐田市新出、県道403号線に立つのが鎌田神明宮の『一の鳥居』で、かつては『鎌田神明宮』の参道に立っていたようですが、道路の拡張により脇に移されたとか。現在は南御厨公民館の脇に立ってるようです。

 

神門

 

かわいらしい『神門』と、自然のシイなどの大木も茂る『神明のこけ庭』

 

手水舎

 

りっぱな龍が清めてくれる手水舎の『手水鉢』です。

 

社殿

 

拝殿と、裏の本殿

 

間口7尺5寸、奥行き6尺8寸、最近では昭和51年に第30回遷宮がおこなわれ、御厨、南御厨徳の山車がみんな集合しにぎやかだったそうです。

 

1300年続いていると伝わる大遷宮の記録として残っているものでは、1395年(應永2年)、1435年(永享7年)、1495年(明應4年)、1555年(弘治元年)、1615年(元和元年)、1675年(延宝3年)、1735年(享保20年)、1795年(寛政7年)、1775年(安永4年)、1855年(安政2年)、1917年(大正6年)、1976年(昭和51年)と60年毎に本殿の造影が続けられています。

 

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境内社殿の周囲には御厨の各氏子神社を合社として祀っているいうことで、たくさんの神様が祀られています。右から順番に境内社をお参りしていきましょう。

 

境内社

 

『鎌田神明宮』境内社いろいろ

 

◯若宮八幡宮
御祭神:大雀命(おおさざきのみこと)

◯天磐戸社(あまのいわとしゃ)
御祭神:伊勢都比古命/いせつひこのみこと

◯白鬚社
御祭神:猿田彦命/さるたひこのみこと
御神徳:この大神はよく道案内をし給うゆえに道祖神とも申し奉る

◯大福天社
御祭神:天太玉命/あめのふとだまのみこと(忌部氏の遠祖にあたる)

◯高根社
御祭神:彦火火出見尊/ひこほほでみのみこと(別名を山幸彦)

◯若宮社
御祭神:宇犀之若郎子之命/うじのわきいらつこ(履中天皇の御事)

◯稲荷社
御祭神:倉稲魂命/うかのみたまのみこと
御神徳:農商(商売繁盛)の神

◯奇神社(くすじんじゃ)
御祭神:少彦名命/すくなひこなのみこと
御神徳:健康成長の神(明治初年まで東光寺と称し薬師を祀る)

◯八幡社
御祭神:品陀別命/ほむだわけのみこと(応仁天皇御事)
御神徳:弓矢の神、武勇の神

 

本殿の真後ろには”周辺の神社を合祀した社殿”『合社』があります。案内板には、以下の旧地名と神社名が記されています。現代人かつ浜松市民にはちょっとわかりにくかったですが、いろいろ調べて記しました。まちがっていたらごめんなさい(._.)

 

”周辺の神社を合祀した社殿”『合社』と、『青麻神社』

 

・天神社(三ヶ野村)・高根神社(和口村)・八幡宮(新貝村)
・春日神社(新出村)・八王子神社(稗原村)・十二社神社(東脇村)
・六所神社(鍬影村)・八面神社(浅羽中村)・須賀神社(長江村)
・貴布祢神社(蛭池村)・浮宮神社(東貝村)・六所神社(小島村)
・須賀神社(西貝村)・天神社(南島村)・塩釜神社(西之島村)、
・藻山神社(五十子村)・水神社(大立野村)・八王子神社(下太村)、
・造立神社(東新屋村)

 

まだまだ、境内社は続きます。

◯青麻神社
御祭神:雨夜尊/あまよのみこと、壽根霊命/いのちのねのきみたま
御神徳:眼の神、中風の神

 

『鎌田神明宮』境内社の『塩釜神社』と、『天照皇太神宮』

◯塩釜神社
御祭神:武甕槌神/たけみかづちのかみ、経津主命/ふつぬしのかみ、塩土老翁神/しおつちおじのかみ
御神徳:武勇の神、国家鎮護の神

◯伊雑宮(いざわのみや)
御祭神:伊雑登美能命/いざわとみのみこと
皇大神宮 内宮の別宮

◯天照皇太神宮(てんしょうこうだいじんぐう)
御祭神:大日霊貴命/おおひるめむちのみこと
天照皇太神(あまてらすすめおおかみ)のまたの御名を大日霊貴命と申し奉し我が皇室の御大祖に座まして千代萬代に動ぎなき日本国の基をお定め給ふ神様であらされます

◯船魂大神(ふなたまのおおかみ)別名 船玉大神
御祭神:猿田彦神/さるたびこのみこと
御神徳:海路平安の神、先導の神


そして最後に『祓所』があります。案内板による四柱の大神は以下になります。

 

◯瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)
世の中の罰、穢れを祓ひ給ふ大神であると共に水神であり、罰、穢れを大海へ流し給ふ

◯速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)
諸所の罰、穢れを海にて呑みこみ給ふ大神、水戸(みなと)の神、河口の神

◯伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
世の中の罰、穢れ兇害を吹き放ち除き去り給ふ神

◯速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)
世の中の罰、穢れを祓い捨て消滅せしめ給ふ大神

 

すべてお参りするのはなかなか大変でした。ここまでたくさんの神様にお願い事をしたら、神様が喧嘩して逆にご利益がなさそうと思う反面、やばい!絶対年末ジャンボ当たっちゃうなんて思ったり(笑)。

 

鎌田神明宮の宝物

 

鎌田神明宮『拝殿』

 

鎌田神明宮の宝物は、古文書として天正17年の『徳川家七ヶ篠定書』、徳川家康公駿河在城の折、高百石の『御朱印』、寛永13年の徳川家光社領寄付朱印状等9通、鏡、弓、太刀、農具類だそうです。

 

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数え切れないほどの境内社のお参りを済ませ、鎌田神明宮の裏側を奥へ進んでいくと、『天楠神社』の赤いのぼりが見えてきます。階段を登れば、高根山(たかねやま)古墳頂上に鎮座する『天楠神社』に到着です。

 

天楠神社

 

高根山古墳にある『天楠神社』

 

境内の一部に『兎山公園』と『市立神明中学校』があり、境内には48もの古墳があります。そのうちの一つ高根山古墳には、菅原道真公、楠正成公を祀る『天楠神社』があります。

 

『天楠神社』は参道入口の歌碑からもわかるように「天」は菅原道真=天神様のこと、「楠」は楠木正成の名前からの「楠」。学問と武勇の2人を神として祀っていることがよくわかるネーミングです。

 

他にも、直径10m前後の古墳が鎌田神明宮境内、兎山公園周辺には分布しています。高根山(たかねやま)古墳などの『御厨古墳群』について調べてみましょう。

 

高根山(たかねやま)古墳

 

高根山古墳は、古墳時代中期(5世紀前半)の築造とされており、直径約52m・高さ8mの規模で、墳丘は2段築成。円墳としては静岡県内で3番目の規模の大きさです。4世紀末に造られた、松林山古墳の後継者の墓と考えられます。 古墳の表面に葺石が葺かれ、円筒埴輪(えんとうはにわ)、壺形埴輪(つぼがたはにわ)が並べられていました。 

 

なお、高根山古墳を含む磐田市の新貝・鎌田地区にある計5基の古墳が『御厨古墳群』として国の史跡に指定されています。

 

松林山古墳

 

鎌田神宮のすぐ北には『松林山古墳』があります。東日本で最も早くかつ最も大きな『松林山古墳』は、4世紀の前方後円墳で国指定の文化財です。また、南の田園には弥生時代の遺跡が広がっているし条里制(古代の土地区画)の遺構も見られます。

 

これらのことからこの地は早くから稲作農耕がおこなわれ、巨大な政治力と経済力をもつ豪族が丘陵地に古墳を築き、条里制を施行できるだけの力をもつ先進地であり、古代文化の一大中心地であったことが推察されます。

 

さらに、銚子塚古墳、松林山古墳からは卑弥呼の鏡と呼ばれる三角縁神獣鏡が出土しているそうです。

 

目隠山古墳 

 

公園の南に位置する『目隠山古墳』は南北35m、東西33m、高さ5.8mの円墳で、5世紀に造られたと考えられています。

 

そして、『鎌田神明宮』のすぐ隣りにあるのが、うさぎ好きな方やお子様に人気の『うさぎ山公園』です。たくさんのうさぎがいるうさぎ山公園ですが、さて何羽いるか回って確認してみるのも楽しみの一つです。(15羽いるらしいです)

 

うさぎ山公園

 

『うさぎ山公園』のうさぎ達のほんの一部のうさぎ

 

場所:磐田市鎌田2262

駐車場:あります
トイレ:あります

 

兎山には、松林山や高根山など大小の古墳群があり、1965年(昭和40年)に兎山児童遊園、1968年(昭和43年)に兎山児童館が完成しました。

 

西側に隣接する鎌田神明宮の自然林と調和して、さまざまな遊びのスポットがあり、中でもトンボ池は多くの家族連れで賑わっています。人気のザリガニ釣りかな?

 

公園内には遊具や砂場、水辺の遊具広場やうさぎ型のすべり台もありますが、芝生広場の「ローラーすべり台」は子どもたちに大人気のようです。

 

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最後に

 

今回ご紹介した『鎌田神明宮』・『うさぎ山公園』も、実は『JRさわやかウォーキング』に参加して初めて訪れた場所になります。磐田はお隣さんですし、しかも社会人になりたての頃2~3年住んだこともある馴染みの深い町なのです。

 

ところが、このように歴史深い、まさに「(ムシゴロシ)645年大化の改新」と覚えていた頃の7世紀の651年創建とかの場所が身近にあるなんて知らなかったですし、興味もなかったです。

 

ところが、『鎌田神明宮』をお詣りしてから古墳にも興味津々でいろいろ調べています。そして知ったのが兵庫や鳥取、京都や千葉、さらに岡山、広島、福岡、奈良などは古墳の町と言っても良いほど古墳の数が多いこと、住まいのある静岡県は11位で3,837基(2021年)もの古墳があることです。

 

中でも、磐田の古墳は947基(2021年3月時点)、県下最大の古墳は静岡市街真ん中の谷津山古墳(墳丘長110m)ですが、現存する2位、3位の古墳は磐田市の銚子塚古墳、松林山古墳なんですって!!

 

しかも松林山古墳からは卑弥呼の鏡と呼ばれる「三角縁神獣鏡」が出土しているそうです。いや~もうこうなったら、今度は古墳巡りするしかないでしょう。

 

つまり、隣のうさぎ山公園の芝生広場でお弁当を広げて家族でくつろいだり、神明宮をお詣りしていにしえを感じたりと、それぞれの楽しみ方でゆったりと流れる時間を満喫できる場所が『鎌田神明宮』なのです。が、還暦の人が古墳に興味を持つにもピッタリの場所なのです。

 

案外こういった古墳研究をする場所って少ないですから、磐田は穴場的存在かもしれません。というか、今頃?こんなことも知らなかったの?と古墳好きの方に怒られそうです。

 

大河ドラマ『どうする家康』で「狸」や「忍耐強い」などのイメージだった家康ですが、実は白兎のように弱くて心優しい人が、戦のない世の中にしたいと自分の一生をかけて実現した人だったと描かれ、浜松で亡くなった瀬名姫も悪人ではなかった。家康でなければ長きにわたる戦乱の世は終わらせることはできなかったし、260年もの太平の世を築けなかったと、家康ファンを大いに喜ばせる内容で最終回を迎えました。

 

ここ2年ほど、家康そして戦国時代にどっぷりはまっていた還暦の私ですが、最近奈良時代や飛鳥時代創建の神社・仏閣を訪ねたことにより、戦国時代になる前の旧石器時代から縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安時代(次の大河は『光る君へ』)までの歴史に興味がムクムクと湧いてきました。

 

ということで、今回はこのへんでおしまい。最後までお読みいただきありがとうございます。

 

では、またです。