sannigoのアラ還日記

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日本一大きく金ピカの『焼津千手大観音』は曹洞宗大覚寺全珠院の御本尊

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回紹介する寺院は、地元の情報番組で知った日本一大きくて金ピカの「千手大観音」を拝むことができる静岡県焼津に建つ『曹洞宗大覚寺全珠院』です。

 

焼津といえば、『古事記』『日本書紀』のヤマトタケルの東征で賊の火攻めにあい草薙剣で草を薙ぎ、向い火を放って難を逃れたという『火難伝説』が今も伝えられます。その焼津に現在も「焼津市大覚寺」の地名として残るほどの古刹です。

 

『大覚寺全珠院』は、かつてこの地に建てられていた、弘法大師作の薬師如来像を御本尊として850年に創建された「大覚寺」の法灯を継ぐお寺で、1553年に曹洞宗に改修され今に到っているそうですが、古刹と金ピカの大きな観音さまには大きく惹かれます。

 

新鮮豊富な海の幸がもりだくさんの『焼津魚センター』へも近く車なら4分、歩いても11分と、お参りしたあとにはカツオやマグロのお買い物を楽しめるのも魅力かも⁉

 

日本一大きく金ピカの『焼津千手大観音』は千手大観音殿の中で拝めます(撮影禁止)

 

 

『曹洞宗大覚寺全珠院』

 

 


場所:静岡県焼津市大覚寺1丁目19番地

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[焼津駅]から徒歩約34分
      焼津さかなセンターから徒歩約11分

車:東名高速道路[焼津IC]より約3分
  焼津さかなセンターから約4分
駐車場:専用駐車場があります

営業時間:9:00~16:30

御朱印:いただけます

 

『大覚寺全珠院』の御朱印

 

曹洞宗大覚寺全珠院

 

『曹洞宗大覚寺全珠院』の参道、参道にある『祈りの碑』『献鍾』

 

焼津は記紀での神話でヤマトタケル東征の舞台となった地です。この焼津に今から約1150年も前の西暦850年に伝弘法大師作薬師如来を本尊として開創されたのが『真言宗大覚寺』です。その後1557年に『曹洞宗全珠院』に改められ現在に至っています。

 

 神話のヤマトタケル東征の舞台ともなった焼津。
850年(嘉祥3年)、嵯峨天皇御領、入江荘を開き、伝弘法大師作薬師如来を本尊として真言宗大覚寺が開創されました。
現在の「焼津市大覚寺」の地名としてこの地に残っています。

 たび重なる天災地変を受け 大覚寺の法灯は998年(長徳4年)、荘園郷主大覚寺屋敷「本家 槇田家」の菩提寺として天台宗善修庵にひきつがれ、1557年(弘治3年)曹洞宗全珠院に改められ、今日までの法灯を伝えています。

(案内板より)

 

参道の『祈りの碑』

 

石碑に刻まれた案内文によると、『祈りの碑』は広島市雑賀飛龍氏、広島市国際平和推進部のご好意により『原爆死没者慰霊碑』を模したものだそうです。

 

復元された八丁櫓

 

復元された『八丁櫓』

 

焼津といえば『八丁櫓』。『八丁櫓』とは、明治時代頃まで活躍したとされる焼津の伝統和船です。船をこぐ櫓(ろ)と呼ばれるオールが8本ある船で、走力があり小回りも利くのでカツオ漁船に活用され、焼津の遠洋漁業の礎を築いたとされています。

 

NPO法人焼津八丁櫓まちづくりの会により1997年に復元された『八丁櫓』が2019年3月にこちらの『大覚寺』に寄贈され、現在もこの大覚寺全珠院の境内に展示されています。全長13メートル、重量4.7トンあり、船に乗ることができるそうです。

 


八丁櫓の詳細は『焼津神社』の記事をお読みください≫

www.sannigo.work

 

手水舎

 

芸術的で素敵な手水鉢で手と口を清められて幸せ!!

 

焼津千手大観音 一丈八尺大仏の開眼

 

この千手大観音殿の中に焼津千手大観音が安置されています(撮影禁止でした)

 

京都三十三間堂千手大観音以来、750年ぶりに造仏された『焼津千手大観音』は大覚寺全珠院のご本尊で、2003年(平成15年)新たに千手観音の大仏となったそうです。

 

ここ数年あまり観光にも出かけなかったので、京都とか奈良の大きな仏像や大仏を見慣れていなかったせいもあり、やたらと大きく、金箔が金ピカで、しかも大きくて圧倒されました。

 

とにかく、千手だけあって腕が何本もあり、しかもお顔もいくつもあってと、とにかく「ありがたい観音さまに出会えた」という感動を味わいながら、しっかりとお参りさせていただきました。

 

あまりに観音さまの背が高いということで、2階というか階段を上がって観音さまをながめることもできます。確かに下から見上げるだけよりも優しいお顔に見える気が

しました。

 

複雑な構造をもつ千手観音像、従来鎌倉時代の仏師・湛慶の作で知られる『京都三十三間堂』の丈六千手観音が最大のものでしたが、750年ぶりに出現した大仏様式の像高4.2メートル、仏頭1.8メートルの千手観音は、日本一大きな千手観音なんです。

 

焼津千手大観音は、著名な大仏師、渡邊勢山氏が、樹齢300年〜400年の木曽ヒノキを使って造仏。水中乾燥法などの古来の技法や、漆塗りで材の強度を増し、さらに手打ちの金箔で漆を保護しているため、千年の歳月に十分耐え得るとのことです。

 

千手大観音の功徳

 

千手観音は正式には「千手千眼観世音菩薩」。

 

千という文字は具体的な数ではなく、無量無辺を意味していますから、人々のあらゆる願いを叶え、生きとし生きるものすべてを悩みから救ってくれる慈悲の仏さまで、別名「大悲菩薩」とも呼ばれています。

両脇からでている脇手は大願を成就させる法力をもち、それぞれの持物(じもつ)は、人々の願いを叶えるための道具。

また、仏さまが膝の上に組んでいるのは「禅定印(ぜんじょういん)で悟りをひらいたときの手。

そして胸の前で合掌している手が、礼拝する人の心を受けとめ、願いを受けいれ、脇手に法力を発揮させる千手観音の中心となる手です。

見上げれば、7m近い高さから微笑みかける優しいお顔と金箔の輝き。人々のあらゆる願いを叶えてくれる法力をもつという、仏さまの前で、静かに合掌すれば、あなたもきっと、何かの力をいただけるはずです。

焼津千手大観音:一丈八尺大仏の開眼/曹洞宗大覺寺全珠院

 

関連記事≫

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玉光山全珠院方丈

 

850年伝弘法大師作の『薬師如来像』が安置される『玉光山全珠院方丈』

 

焼津千手大観音が安置される『千手大観音殿』の横には、薬師如来像 (850年 泰安 伝 弘法大師作)、千手観音像(998年 泰安)が安置されている『玉光山全珠院方丈』があります。

 

檀家様への接客空間としての客殿や本堂としての機能を併せ持つ『玉光山全珠院方丈』、また、焼津千手大観音をお参りされた人々が休憩するための「方丈」建築だそうです。

 

最後に

 

今回は地元の情報番組でリポートしていた「焼津にある大きくて金ピカな観音様」を一度拝んでみたかった、さらに、『焼津さかなセンター』で新鮮なお刺身をおいしくいただければ最高とことで、日帰りの焼津観光を計画して実行してみました。

 

さすがに情報番組で見た通り、『焼津千手大観音』は大きくて金ピカで、どんなお願いも叶えてくれそうな観音様でした。ちょっと怖かったけど・・・。

 

焼津神社でも感じたのは焼津って「太古の昔から漁業の町」なんだな!ってこと。人々の暮らしにとって最も大切と感じる『食』に関する町だからこその深い歴史を感じました。

 

もちろん、刺身定食もおいしかったですし、今度は景色の良い大崩海岸や、焼津漁港などにも出かけてみたいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。