sannigoのアラ還日記

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御朱印がめっちゃかわいい『鬼岩寺』の境内小社「黒犬神社」、黒犬物語は実に興味深い!

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回も浜松から飛び出して、同じ静岡県の藤枝市にある『鬼岩寺(きがんじ)』について記事にしていきたいと思います。

 

さわやかウォーキングで「藤まつり」が開催されていた蓮華寺公園のコースで立ち寄っ『鬼岩寺』なんですが、最初は「おにいわてら」っていうくらいだから、きっと群馬県の『鬼押出し園』のように岩がゴツゴツしているんだろう?と思っていたら、大間違い!

 

読み方は『きがんじ』でしたし(笑)境内はとても広く、鬼が爪を研いだ跡といわれる「鬼かき石」が安置され、「黒犬伝説」と、神犬「クロ」を祀る『黒犬神社』があります。

 

『黒犬神社』のお社の中にはかわいらしい黒犬のぬいぐるみが祀られたり、『黒犬伝説』では愛知と長野と隣接する浜松市の北部の「春埜山」の狼犬が登場したりで、広い境内の中をワクワクしながらお参りして回ることができ、想像以上に楽しかった『鬼岩寺』でした。

 

726年(神亀3年)に行基上人によって開創されたと伝わる古刹『鬼岩寺』

 

 

鬼岩寺(きがんじ)

 

鬼岩寺は726年(神亀3年)に行基上人によって開創されたと伝わる古刹です。田中城の一部をいただいて本堂にしていたこともあるという歴史あるお寺です。

 

境内はとても広く、鬼が爪を研いだ跡といわれる「鬼かき石」が安置されている他、黒犬伝説と神犬クロを祀る「黒犬神社」があります。

 

 

場所:静岡県藤枝市藤枝3丁目16-14

 

《アクセス》


電車・バス:JR藤枝駅 志太温泉線からバスで10分[鬼岩寺入口]下車、徒歩2分
車:東名高速道路[藤枝岡部IC]より約15分
  東名高速道路[焼津IC]より約20分
駐車場:なし
拝観:自由
定休日:なし
御朱印:300円(税込)からいただけます。境内にある「黒犬神社」のかわいい御朱印もいただけますが少しお高い(笑)

 

300円(税込)でいただける鬼岩寺の御朱印と、『鬼岩寺』の護摩堂(不動堂)

 

寺名の「鬼岩寺」は寺の裏山にある鬼岩(おにいわ)といわれる巨岩、岩穴に由来しているそうで、弘法大師空海が人々を苦しめる鬼を封じ込めた岩穴と伝えられます。

 

境内はとても広く、鬼が爪を研いだ跡といわれる「鬼かき石」が安置されている他、黒犬伝説と神犬クロを祀る「黒犬神社」があります。

 

その他にも、境内からは南北朝から戦国時代までの中世の石塔が多数見つかっているといい、約400基もの石塔群があります。貴重な歴史資料として藤枝市の有形文化財に指定されています。

 

また、室町時代には室町幕府第三代将軍足利義満と第六代将軍足利義教が富士遊覧の際にこちらの「鬼岩寺」に宿泊されたと伝わります。

 

護摩堂(不動堂)

 

御本尊は「大聖不動明王」で、智証大師円珍(天台宗の高僧)の作です。別名を「池千明王」で、池の水をかわかして悪大蛇を退治したという意味です。(昔ばなしより)

 

・建物は昭和に改修工事を施したが271年(承安元年)の建立。
・正面は田中城主本多伯耆守寄付と伝わります。
・奥の額は1761年(宝暦11年)2月土岐丹後守寄付

 

木造不動明王坐像(藤枝市指定有形文化財・彫刻)

 

ヒノキの寄木造(割矧ぎ/わりはぎ・内刳り/うちぐり)で、彩色が施されており、像高84cm・膝張58cm・膝奥60cmあります。


像様は頭頂部に蓮華の形をした莎髻(しゃけい/草で結った髪)を載き、弁髪を左側に垂らす。目は彫眼で、見開いた右目で天を睨み、半開きの左目で地を睨む天地眼(てんちがん)である。口を閉じて、左の下牙、右の上牙を露わにする。

 

右手に剣、左手に羂索(けんさく/けんじゃく/縄:衆生を救う象徴)をもち台座上に結跏趺坐(けっかふざ)する(座禅のかたちに足を組んで座る)。


典型的な不動明王座像の優れた作例で、製作された年代は、仏像の様式からみて12世紀(平安時代後期)とみられる。毎年1月28日の不動尊大祭で公開される。(案内板より)

 

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鬼かき石

 

3回なでて心よりお祈りする人は願い事叶うという『鬼かき石』

 

むかしこの里に悪い鬼が出現、この岩で爪を研いで里人を悩ましたそうです。弘法大師が『鬼岩寺』を開いて、「真言秘密の法」をもって巨岩に鬼を封じ込めて諸人を救いました。

 

このことから『鬼かき石』という名前があります。大きな石に残った数本の縦に伸びる深い傷の写真を見てください。鬼の爪あとに見えませんか?以来、ここの寺名、町名共に「鬼岩寺」と呼称するようになったそうです。(鬼が封じ込められたという巨岩も西の山に現存しています)

 

そこで、「この爪あとを3回なで心よりお祈りする人は願い事叶う」とのことです。しかも、鬼がつけた爪痕だからでしょうか?いろいろな手芸技術が上達するそうです。もちろん3回なでさせていただきました。(寺内案内板より)

 

石塔がたくさん見つかっています

 

見たこともないほどたくさんの石塔が並んでいます。

 

『鬼岩寺』には境内から出土した1,600点以上にのぼる五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの石塔部材が保存されています。これらは中世から近世にかけての墳墓の墓標であったとみられるものです。

 

なかには銘文をもつものがあり、今川氏の家臣であった「矢部隼人佑(やべはやとすけ)」の人名や南北朝期にあたる1381年(永徳元年/北朝方の年号)の年号など重要な文字資料が含まれています。

 

《五輪塔(ごりんとう)》


万・円・三角・半月・団形(だんぎょう/宝珠)の石を積み上げたもので、密教の思想に基づいて地・水・火・風・空の五大をあらわしています。

 

平安時代からみられますが上部の空、風輪を一石で彫り、4石を組み合わせるものと、すべて一石で彫られている一石五輪とがあります。簡素な塔形で装飾的な要素はあまりみられません。


上から順に空輪、風輪、花綸、水輪、地輪が積み上がっています。

 

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

 

宝篋印塔とは、もとは「宝篋印陀羅尼経」を納めるためにつくられた塔ですが、この形を模して供養塔としたものです。

 

石造の宝篋印塔は、基礎、塔身、笠、相輪を積み上げたもので鎌倉時代の中ごろからみられます。

 

鎌倉時代後半には塔の形に関東・関西の違いが現れます。基礎に返花(かえりばな)座がつき、塔身に輪郭を設けているのは関東型の特徴で、ここでは関東型が多くみられます。

 

上から順に相輪、笠、塔身、基礎、返花座が積み上がっています。

 

史跡 行基菩薩腰掛石

 

『鬼かき石』と並んでいる『行基菩薩腰掛石』と案内板

 

 

726年(神亀3年)正月開山の日、この岩に腰をおろし七堂伽藍の建立の考想を練ったという霊石『行基菩薩腰掛石』。

 

この岩に腰を掛け静かに考想する人は良い知恵を授かり発明を起こすとのこと。技術者、学識者、各種職人さん等、不可思議な霊力をこの手に!と欲していらっしゃるなら、この岩に腰を掛け、御真言の「オンアビラカンケンソワカ」と三返唱えてみてはいかがでしょう。

 

祖師堂(大師堂)

 

赤い色が映えている『祖師堂(大師堂)』と案内板


弘法大師をまつるお堂です。弘法大師とは、お名前が「空海」で灌頂名(かんじょうみょう)を「遍照金剛(へんじょうこんごう)」という真言宗の開祖です。


弘法大師は、774年(宝亀5年)6月15日現在の香川県善通寺市でご誕生になり、835年(承和2年)3月21日、和歌山高野山で御入定(ごにゅうじょう)されました。

 

堂内には八十八ヶ所におまいりできない方のため、本四国よりおまねきした、八十八体のお大師様が、おまつりされております。御真言は「南無大師遍照金剛」です。

 

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黒犬神社

 

黒犬神社と案内板

 

『黒犬神社』は「鬼岩寺」の境内に鎮座する境内小社です。このお社には、神犬クロが祀られています。社の中には神犬「クロ」の像と、かわいらしいぬいぐるみも祀られています。

 

「黒犬物語」(昔ばなし)で亡くなった「クロ」を、田中城主の本多公がわびてクロを祀ったのがこの『黒犬神社』です。

 

今から230年ほど前、領主の田中城主・本多公は闘犬を好み、洋犬の血を引く「シロ」を飼っていました。

あるとき城下の鬼岩寺に、遠州春野町の春埜山(はるのさん)からつかわされた狼の血を引く神の犬「クロ」がいると知り、殿様の愛犬の「シロ」と勝負せよと寺に命じました。

お城の広場で衆人が見守るなか、神犬「クロ」はたちまちのうちに殿様の愛犬を噛み殺してしまいました。

これに怒った殿様の本多公は家臣団数百名に命じ「クロ」を追わせました。城下を追い回された「クロ」は逃げ場を失い、田中城主のわがままを正すため、自ら古井戸に飛び込んで死んでしまいました。

この時、火柱が立ち黒雲が湧き起こり、百雷のような恐ろしいうなり声が城下に響き渡りました。また、異説では浜松の春埜山からクロの仲間が押し寄せて来たとも伝えられています。

この神威に恐れをなした本多公は、平伏合掌して詫び、お社を建てて「クロ」を祀ったのがこの「黒犬神社」だと伝えられています。「黒犬神社」は今でも死して負けずの神、武運長久大願成就の守護神として信仰を集めています。

春埜山とは、狼を遣わすとされた遠州三山、山住、秋葉山、春埜山の一つです(遠州三山といっても法多山・油山寺・可睡斎ではありません)。

この伝説から春埜山の犬飼集団は、江戸時代になっても実際に狼犬を貸し出す事業を行っていたことがわかります。そして、この犬飼集団のオオカミ犬の話が、こちらの「黒犬伝説」へと取り込まれた可能性もありそうです。

 

引用元:黒犬神社

 

供養塔

 

左が「供養塔」で、右が神犬「クロ」の石像です

 

「黒犬物語の昔ばなし」を読んで、なんとなく「クロ」の偉大さがわかったら、上の写真の供養塔を見てみましょう。

 

この「供養塔」は、感謝と供養を願って、田中城主がみずから建てられたものです。安産や子宝をのぞむ人、勝負の必勝を願う人、塔にかるくふれて一心にお願いするとご利益があるとのことです。

 

お出かけの機会があったら、ぜひ御真言を唱えながらお願いしてみてください。《御真言》は「南無黒犬大善神(なむくろいぬだいぜんじん)」です。

 

黒犬物語(その一話)

 

昔、鬼岩寺にクロという、とても強い犬がいました。

 

それを聞いた田中城のお殿様は、自分の自慢の犬シロと噛み合いをさせてみると、クロのそれはそれは強いこと、あっという間に勝負がつきました。

 

愛犬のシロが負けた悔しさに、お殿様は クロを捕まえて打ち首にするように、家来たちに命じました。 

 

何十人もの槍や刀を持った侍に追いつめられたクロは、逃げ場を失ってとうとう近くにあった井戸(生涯センダー正門近く)に身を投げてしまいました。

 

その時井戸の中から黒い煙がもうもうと立ち上がり、それが何百何千という黒犬となって、いっせいに吠えたてました。

 

さすがのお殿様もびっくり。やっと自分の身勝手に気付 き、深くクロに詫び、クロの霊を慰めるために、 黒犬神社を造ってまつりました。

 

なお、このお話しには(その二話)があります。 

 

土佐守は東海道一と恐れられているクロと、自分 の土佐犬を是非勝負させたいと参勤交代をたのしみにしていました。

 

噛み合いになる直前に遠州の春野からたくさんの犬たちが、クロを助けようと「鬼岩寺に」集まって吠えたてたので、土佐守の土佐犬は、しょんぼりしてしまって、戦いにな らなかったということです。

 

神犬クロの「死して尚負けず」のご利益を!

大小の勝負・縁結び・安産・子そだて 盗難除・日切りの願掛け・等々 
◎神犬の絵馬・お礼あり 本坊へ   犬居山 (案内板より)

 

最後に

 

今回訪ねた『鬼岩寺』は726年(神亀3年)に行基上人によって開創されたと伝わる古刹で、決して草津温泉に行く途中で寄ることの多い『鬼押出し園』のような場所ではありませんでした。

 

『鬼かき石』のように、本当に鬼が爪でつけたであろう深い傷のある岩をなでてみたり、行基菩薩が腰掛けて、ここの七堂伽藍どうしよう?なんて考えたという『行基菩薩腰掛石』を眺めたりして、楽しみながらものんびりじっくりお参りできたお寺さんで、かなりのおすすめです。

 

浜松市の北端にある春野から、わざわざこの地に連れてこられた狼の血を引く神の犬「クロ」。田中城主の本多公が闘犬好きだったばっかりに井戸に飛び込んで亡くなってしまったとは。

 

『黒犬神社』は、そんな田中城主がわびて「クロ」を祀ったとのことですが、浜松に住む私にとっては「ゆるせなーい!」って感じです。それでも、(その二話)では、噛み合いになる直前に遠州の春野からたくさんの犬たちが、クロを助けようと「鬼岩寺」に集結!激しく吠えたて戦いにならなかったと聞いて「さすがー」ってことで、しっかりとお参りしてきました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。であ、またです。